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辺境調整官、只今着任 〜左遷に見えた赴任は、辺境を変える第一手だった〜  作者: 瀬川 理久
第十一章:引き継がれた、もの

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第百十五話「変わる方の、記録」

 着任四百六十一日目、朝。


 監査室からの正式便が届いた。


 これまでより、さらに厚かった。


 ロイドが受領記録を残し、封を切る。


「広域照合の、最終まとめだそうです」


「件数は」


 ミラが尋ねた。


「出ています」


 ロイドが読み上げる。


 ——確認者署名の欠落・記録の一部欠落等、比較対象となった記載不備案件、合計八件。


 ——うち二件はガルダ・フェルンで確認済みの案件。残る六件は本局側の広域照合で新たに確認。


「八件」


 ライルが繰り返した。


「十には、届きませんでした」


「はい」


 ロイドが答えた。


「地域名は、この便にも記載がありません」


「今後も」


「開示するかどうかは、監査室の判断に委ねられています」


 ロイドが言った。


「ガルダ側から、開示を求める照会は出しません」


「はい」


 ライルは頷いた。


「知りたい気持ちはあります。ですが、知る必要があるかどうかは、別です」


「新たに見つかった六件の案件は」


 ミラが尋ねた。


「今、どうなっているんでしょうか」


「わかりません」


 ライルが答えた。


「必要な所管で、それぞれ個別に確認されることになります」


「ガルダのような形で」


「同じ形とは限りません」


 ライルは言った。


「土地が違えば、事情も違います。同じ答えを、他の土地に当てはめません」


 ロイドが、続きを読む。


 ——本件を受け、内政調整局として、以下の運用改善を実施する。


 ——一、死亡・退任等の重要な人事記載には、根拠書類番号または確定通知番号の記載を必須とする。


 ——二、根拠が確認できない場合の暫定表記(「確認待ち」等)の運用を、全地域で統一の様式により徹底する。


 部屋が、静かになった。


「二つだけ、ですか」


 ミラが言った。


「もっと、大きな改革になるかと思っていました」


「二つで、十分なのかもしれません」


 ライルが答えた。


「根拠を書く。書けない時は、書けないと書く。それだけのことが、徹底されていなかった、ということです」


「当たり前のことに、聞こえます」


 ミラが言った。


「当たり前のことほど」


 ライルが答えた。


「忙しい時、急いでいる時に、抜け落ちます」


「うちも、そうでしたか」


「うちも、そうでした」


 ライルは頷いた。


「最初から、できていたわけではありません。一つずつ、直してきただけです」


「ガルダの、事務手順書と」


 ロイドが言った。


「似ている考え方ですね」


「似ています」


 ライルは頷いた。


「ですが、うちの手順がそのまま採用された、とは書かれていません」


「参考にした、とも」


「書かれていません」


 ライルは、正確に答えた。


「書かれていないことを、書かれていることにはしません」


 ロイドが、続きの一文を見つけた。


 ——なお、本件の照合作業において、ガルダ執務所が実践してきた「事実・伝聞・推測を明確に区分する記録様式」が、複数の照合作業者から参考として言及されたとの報告がある。


「言及、とだけ」


 ミラが言った。


「はい」


 ロイドが答えた。


「採用したとも、標準にするとも、書かれていません」


「それで、十分です」


 ライルが言った。


「誰かの役に立ったかもしれない、というところまでで」


「それだけでも」


 ミラが言った。


「悪くない話だと思います」


「悪くはありません」


 ライルは頷いた。


「ただ、悪くないことと、大きな成果であることは、別です」


 昼前、アルノからの私信が届いた。


 訪問の予告ではない。


 短い文面だった。


 ——正式便に書かれた範囲で、十分だと思う。記録の書き方が誰かの仕事を少しでも確かにするなら、それでいい。誰かの名を冠した制度にする必要もない。


 ——それ以上のことは、私信では書かない。


「アルノ様らしいですね」


 ミラが言った。


「はい」


 ライルが答えた。


「正式便と私信の役割を、混ぜない方です」


 午後、ダグラスが顔を出した。


「広域の件、片づいたと聞きました」


「片づきました」


 ライルは答えた。


「運用変更は、二点に絞られました」


「二つで、足りますか」


「わかりません」


「ですが、今できることは、それだけでした」


 ダグラスは頷いた。


「それだけのことが、ずっとできていなかった、ということですね」


「はい」


 ライルは答えた。


 夕方、カイが水路の見回り記録を届けに来た。


「遠くの話、片づいたんですか」


「片づきました」


 ライルは答えた。


「ガルダのやり方が、少しだけ、他の場所でも使われたようです」


「偉いことですか」


「偉いことだとは、思いません」


 ライルは、静かに答えた。


「いつも通りのことを、いつも通りにやっていただけです」


 カイは、少し笑った。


「それでいいなら、俺たちにもできそうですね」


「できます」


 ライルは頷いた。


「もう、やっています」


 カイは、水路の方へ戻っていった。


 夕刻、ヴェクが官倉の点検記録を届けに来た。


「変わりありません」


「ありがとうございます」


 ロイドが受け取り、日付を入れる。


 全地域向けの運用変更が通知された日にも、官倉の記録は一行で終わる。


 その一行の積み重ねこそが、遠くの土地でも参照された記録様式そのものだった。


 夜、ロイドが二欄整理の紙を見つめていた。


「あの方の生死・失踪理由。残るのは、これだけです」


「はい」


 ライルは答えた。


「ですが、今日、閉じるべきものが、もう一つあります」


「ダグラスさんと、ベルクさんの、処遇ですか」


「はい」


 ライルは言った。


「印の話も、赴任の話も、広域の話も、片づきました。ガルダの中で、まだ動いていないのは、そこだけです」


「監査室からの通知は」


「まだ、届いていません」


 ライルは答えた。


「ですが、届いた時に、すぐ動けるようにしておきます」


 夜、ライルは手帳を開いた。


 ——監査室より広域照合の最終まとめ。比較対象となった記載不備案件は合計八件(既知二件、新規六件)。発生地域の全体像・地域名は非開示のまま。改革内容は、根拠書類番号の必須化と、暫定表記運用の全地域統一という二点に絞られる。


 ——ガルダの記録様式が、複数の照合作業で参考として言及されたが、正式な標準採用や制度化には至っていない。アルノの私信は、正式便の範囲を越える新情報を含めない。


 ——広域の課題が一段落したことで、制度・処遇面でガルダ側に残るのは、ダグラス・ベルクの処遇となった。


 最後に、もう一行。


 ——大きな話にしない。今日も、それだけを守った。


 手帳を閉じた。


 窓の外、水路の音が、いつもと同じ速さで流れていた。


 遠くの土地で、記録の書き方が、少しだけ変わったらしい。


 それだけで、今日は十分だった。


 誰の名前も、そこには残らない。


 それでいい、とライルは思った。


 残るべきは、名前ではなく、書き方の方だった。


 ロイドが、明かりを一つ落とした。


「明日は、ダグラスさんとベルクさんの通知が届くかもしれません」


「はい」


 ライルは答えた。


「届いた時に、動けるようにしておきます」


 執務所の窓に、月明かりだけが残った。

お読みいただきありがとうございます。


次回は明日19:10更新予定です。

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