第百十一話「つながりは、確認できない」
着任四百五十二日目、朝。
監査室からの正式便が届いた。
ロイドが受領記録を残し、封を切る。
「『鍵』の他地域用例について、追加照合の結果です」
「最終、とありますか」
ミラが尋ねた。
「はい」
ロイドが答えた。
「新しい具体的根拠がない限り、これ以上の広域照合は行わない、と」
中の紙を読み上げる。
——既知資料「鍵、二年目。交代未了」。
——別地域旧資料二件に、「鍵」の語と年数表現を含む記載あり。
——一件は引継ぎに関する語が周辺にあり、一件は保管担当の変更に関する語が周辺にある。
——いずれも対象者氏名・所属部署・具体的職務を確定できず。
——三件の間に、共通する組織名、任命主体、指揮系統、伝達経路を示す記録は確認されなかった。
部屋が静かになった。
「では」
ミラが言った。
「別々のものだった、ということですか」
「そこまでは書けません」
ライルが答えた。
「確認できなかったのは、つながりです。無関係だと確認できたわけではありません」
「でも、これ以上は追わない」
「はい」
ロイドが監査室の結論を指した。
——現時点の資料から、各用例を単一制度・単一組織へ統合することはできない。
——同一由来であることも、独立して生じたことも、いずれも立証できない。
——追加照合を終了し、各地域の用例はそれぞれの記録として保持する。
「独立に生まれた、とも決めないんですね」
ミラが言った。
「決めません」
ライルは頷いた。
「似た言葉が独立に生まれることはあります。ですが、あり得ることと、今回そうだったことは別です」
「一つの大きな仕組みだった可能性も」
「証拠は出ませんでした」
「完全に別だった可能性も」
「証拠は出ませんでした」
ライルは答えた。
「だから、どちらにも寄せずに閉じます」
ダグラスが、比較表を見つめていた。
「私が話したことで、ガルダの『鍵』については、一つわかりました」
「はい」
ロイドが言った。
「少なくとも『鍵は、もう三年目だ』が、ダグラスさん本人を指した言葉だったこと」
「それ以上は」
「呼び名の由来も、一般的な役目の定義も、まだ断定できません」
ダグラスは頷いた。
「それでいいと思います」
ミラが尋ねた。
「他地域の『鍵』と同じ意味だったか、気になりませんか」
「気にはなります」
ダグラスは答えた。
「ですが、気になるから同じにしたい、とは思いません」
少し間を置く。
「昔の私は、わからないものに、大きな意味をつけたがったかもしれません」
「今は」
「自分についてわかった分だけで、十分です」
誰も、すぐには言葉を返さなかった。
ロイドが、新しい二欄整理を開いた。
まず、ガルダ内部の項目。
——「鍵は、もう三年目だ」:ダグラス本人を指した言葉と本人証言により確認。
その下に残していた問い。
——呼称「鍵」の由来。
——一般的な職務範囲。
——旧資料「鍵、二年目。交代未了」との関係。
ロイドが尋ねた。
「全部、未解決のまま残しますか」
ライルは少し考えた。
「由来と一般的な職務範囲は、これ以上確かめる具体的な材料がありません」
「行政的に閉じる」
「はい」
「旧資料との関係も」
「監査室の照合で、つながりを示す証拠は出なかった。新しい資料が出ない限り、追いません」
ロイドが欄外に書く。
——呼称「鍵」:ガルダ内部でダグラス本人を指した用例は確認。呼称の由来・一般的定義は資料不足により確定不能。他地域用例との共通起源・共通制度は確認できず、新規具体的根拠がない限り追跡終了。
「これで、閉じるんですね」
ミラが言った。
「はい」
ライルが答えた。
「『全部わかった』ではなく、『ここまでしかわからないと決めた』という形で」
ダグラスが、静かに息を吐いた。
「私の中では、それで閉じられます」
「軽くなりましたか」
ミラが尋ねた。
「軽くは、なりません」
ダグラスは、はっきり答えた。
「小さな金と、小さな立場のために、自分で引き受けたことは変わりません」
「はい」
「ただ」
ダグラスは、少しだけ笑った。
「何か大きなもののせいにしなくてよくなりました」
ライルは、その言葉を記録しなかった。
事実ではない。
ダグラス自身が、自分の過去をどう受け取ったかという言葉だった。
残すなら、本人の記憶メモの側だ。
ロイドが、「鍵」の項目に紙帯をかけた。
第五十六話襲撃事件。
北西貴族家本家。
旧書記役タイス。
その隣に、新しく置く。
——呼称「鍵」。
「残るのは」
ミラが言った。
「二つです」
ロイドが答えた。
——あの方の実際の生死・失踪理由。
——辞令書余白印の具体的用途。
「次は、印ですか」
「はい」
ライルは答えた。
「アルノ様の旧資料との照合結果が届けば、そこまでを確認します」
「あの方は」
「材料が増えるまでは動かしません」
「最後まで、わからない可能性もありますね」
ミラが言った。
「あります」
ライルは答えた。
「それも、最初から含めている答えです」
昼過ぎ、カイが水路の見回り記録を届けに来た。
「例の『鍵』、片づいたんですか」
「片づきました」
ライルが答えた。
「何だったんですか」
「ガルダでは、少なくともダグラスさんを指して使われた呼び名でした」
「他でも同じだったんですか」
「そこは、確認できませんでした」
カイが少し考える。
「わからないまま、終わるんですね」
「はい」
「それでも、終われるんですね」
「終われます」
ライルは答えた。
「確かめる手段が尽きたことまで確認できれば」
カイは、ゆっくり頷いた。
「それなら、いいと思います」
水路の方へ戻っていった。
午後。
ダグラスは、自分の記憶メモを開いた。
昨日の証言の続きとして、一行だけ書いた。
——「鍵」は私を指した。なぜその名だったかは、最後まで知らない。
もう一行。
——知らないことを、知っていたことにはしない。
紙を閉じる。
以前なら、空白を残すことが怖かった。
今は、その空白が、どこから先を自分が知らなかったのかを示している。
夕方、ヴェクが官倉の点検記録を届けに来た。
「変わりありません」
「ありがとうございます」
ロイドが受け取り、日付を入れる。
大きな答えが出なかった日にも、今日の記録は今日の形で閉じる。
夜。
ライルは手帳を開いた。
——監査室追加照合。ガルダを含む「鍵」用例三件の間に、共通組織・任命主体・指揮系統・伝達経路を示す記録は確認されず。同一由来・独立発生のいずれも立証不能。新規具体的根拠なき限り、広域追跡終了。
——ガルダ内部では、「鍵は、もう三年目だ」がダグラス本人を指した言葉であったことを本人証言により確認。呼称の由来・一般的職務範囲は資料不足により確定不能。
——「鍵」の項目を行政的にクローズ。未解決部分を未解決のまま明記して保管する。
最後に、一行を書き足した。
——つながらないとわかったのではない。つながりを確認できなかったところまで、確かめた。
手帳を閉じる。
三つ残っていた問いのうち、一つが棚へ戻った。
答えが全部埋まったからではない。
埋まらない場所まで、正確にわかったからだった。
お読みいただきありがとうございます。
次回は明日19:10更新予定です。
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