第百八話「ここからは、監査室の仕事」
着任四百四十四日目、朝。
監査室からの正式便は、これまでで最も厚かった。
ロイドが受領時刻を記す。
封の状態を確認する。
ライル、ミラ、ダグラスが立ち会う。
「開けます」
「お願いします」
中には、三種類の文書が入っていた。
一、エルン・ハルデ聴取要旨。
二、関連文書の照合結果。
三、監査室の暫定判断。
「暫定、です」
ロイドが言った。
「最終処分ではありません」
「そのまま読みましょう」
ライルが答えた。
最初の頁。
——エルン・ハルデは、事件六日前の「臨時文書回収」承認を認めた。
ミラが息を止めた。
ロイドは続ける。
——目的について、「ガルダに残存する旧比較資料の回収」と説明。
——正規の監査手続を経なかった理由について、「正式照会にすれば監査室の案件となり、自身の過去の取次処理まで再確認されると考えた」と供述。
ダグラスが、ゆっくり目を上げた。
「過去の取次処理」
「続きます」
——七、八年前、エルンは地方文書取次補佐として、ガルダから提出された人事月報を受領した。
——同月報の「病没」記載に根拠番号がないことを認識していた。
——本来は差戻しまたは根拠確認を行うべきところ、「地方側確認済み」として、そのまま本局へ送付した。
部屋の中から、音が消えたように感じられた。
「知っていた」
ミラが言った。
「根拠番号がないことは」
「はい」
ロイドが答えた。
「でも」
ダグラスが言った。
「あの方が亡くなっていないと知っていたわけではない」
「そこは、監査室も分けています」
次の頁。
——エルンは、当時「あの方」の死亡事実を確認していない。
——失踪・死亡の真相について、知っていたことを示す証拠も現時点で確認されない。
——エルンが認めているのは、根拠不足の人事月報を差し戻さず通過させた職務上の不備である。
ライルは頷いた。
「ここは、混ぜません」
「はい」
ロイドが続けた。
——近時、監査室がガルダ旧記録を広く再確認していることを知り、過去の取次不備が明らかになることを懸念。
——ガルダに比較写しが残っていることを、旧保管照会の経路から把握。
——正式な回収命令を出す権限がないため、「臨時文書回収」票を作成し、正規処理簿へ綴じず、外部仲介を通じて回収を試みた。
「外部仲介」
ミラが言った。
「確保された二人につながる」
「はい」
ロイドが答えた。
——エルンは、仲介者を通じ、「原本・比較写しを回収」「拒否された場合は現場の者を動けない状態にする」「『あの方の記録を消す』と告げる」旨の指示を出したことを認めた。
ダグラスが、目を閉じた。
ライルは何も言わなかった。
ロイドが最後まで読む。
——エルンは、傷害を目的とした指示ではなかったと主張。
——監査室は、権限のない文書回収、外部者への不正な依頼、拒否時の身体拘束指示、証拠資料の抹消企図について、本人の主張にかかわらず責任追及の対象と判断。
「ここまでで」
ミラが言った。
「あの襲撃事件については」
「指示を出した責任者が、確認できたと言えます」
ライルが答えた。
「はい」
ロイドも頷いた。
「少なくとも、現在の襲撃事件については」
机の上に、二つの時代の紙が並んでいた。
七、八年前。
根拠番号のない「病没」。
タイスが記した公式人事綴り。
同時に残した比較写し。
その月報を、差し戻さず通したエルン。
現在。
比較写しが再び見つかる。
監査が広がる。
過去の確認不備を恐れたエルンが、権限のない回収を指示する。
外部の者がカイを拘束し、記録を消そうとする。
「一本には、なりましたね」
ダグラスが言った。
「一部分は」
ライルが答えた。
「エルンが七、八年前に確認を怠ったことと、今、記録を消そうとしたこと。この二つは、本人の供述と記録でつながりました」
「では、あの方が消えた理由も」
「つながっていません」
ライルは、はっきり言った。
ダグラスは頷いた。
「はい」
「エルンは、あの方の死亡を作ったと認めていない。死亡や失踪の真相を知っていた証拠もない」
「『鍵』も」
ミラが尋ねた。
「別です」
「辞令書の余白印も」
「別です」
ライルは答えた。
「今日、解けたものだけを解けたと書きます」
監査室の暫定判断には、さらに明記されていた。
——エルン・ハルデについて、職務停止を継続。
——証拠隠滅企図、不正な権限行使、外部者への身体拘束指示を含む一連の行為について正式審理へ送付。
——七、八年前の人事月報取次不備についても、別件として職務責任を審査。
——あの方の失踪・死亡そのものについては、本件供述のみでは結論を出さない。
「別件として」
ミラが言った。
「過去の確認不備と、今の襲撃を、一つの罪名にまとめない」
「その方がいいです」
ライルが答えた。
「同じ人の行為でも、行為ごとに分けた方が、何に責任があるかが消えません」
ダグラスが、長く息を吐いた。
「私は」
言葉を選ぶ。
「もっと、大きな何かが出てくると思っていました」
「大きな組織ですか」
「はい」
「出ませんでした」
ライルが言った。
「少なくとも、今日までの記録からは」
「一人の人間が、昔の自分の失敗を隠すために」
「今の記録を消そうとした」
「それだけで、人が縛られた」
ダグラスが言った。
「はい」
ライルは答えた。
それだけ、ではなかった。
大きな陰謀でなくても、一つの確認不足が公式記録になり、その記録を守ろうとする次の行為が生まれる。
間違いは、人が悪人だからだけ続くのではない。
訂正しにくい形で残された時にも続く。
「では」
ロイドが尋ねた。
「ガルダ側のこの事件は、ここで閉じますか」
ライルは、机の上の資料を見た。
「襲撃事件については、はい」
「旧書記役タイスについては」
「記録上、ガルダを離れた後に商業中継地まで到達した可能性が高い。現在地と生死は未確認。新たな具体的手がかりがない限り、こちらから捜索は広げません」
「あの方は」
「病没の根拠は確認できない。失踪・死亡の真相も未確認」
「それも」
「今ある記録で届くところまでです」
ミラが、二欄整理の新しい版を作った。
閉じる項目。
——第五十六話襲撃事件:指示責任者エルン・ハルデ。監査室正式審理へ送付。ガルダ側の事実確認を終了。
——北西貴族家本家:直接関与を示す事実確認されず。新規具体的根拠なき限り追跡終了。
——旧書記役タイス:商業中継地までの移動可能性高。以後の所在・生死は未確認。具体的手がかりなき限り追跡停止。
残す項目。
——あの方の実際の生死・失踪理由。
——「鍵」の具体的意味および各用例の関係。
——辞令書余白印の具体的用途。
「未解決が、残りますね」
ミラが言った。
「残ります」
ライルは答えた。
「残るから、失敗ではありません」
「全部を解くことが目的ではない」
「はい」
ライルは頷いた。
「今ある根拠で、どこまで言えるかを決めることが目的です」
昼過ぎ。
カイを、小部屋へ呼んだ。
監査室の文書そのものは見せなかった。
必要な結論だけを伝える。
「あの日の件です」
カイは静かに聞いた。
「あなたを拘束し、記録を消そうとした行為について、指示を出した責任者が監査室の調査で確認されました」
「そうですか」
「正式審理へ送られます」
「名前は」
カイが尋ねた。
「必要なら伝えます」
カイは少し考えた。
「今は、いいです」
「わかりました」
「あの日のことが、なかったことにならないなら」
「なりません」
ライルは答えた。
「記録も残ります」
カイは頷いた。
「それで、十分です」
そのまま水路の見回りへ戻っていった。
夕方。
ヴェクが官倉の点検表を閉じた。
ミラが受付の記録を締めた。
ロイドが監査室への受領回答を作った。
ダグラスは、木箱の保管記録を確認した。
「再封印、異常なし」
「はい」
ライルが答えた。
木箱は、もう謎の中心ではなかった。
証拠として、正しい場所に置かれている箱だった。
夜。
ライルは手帳を開いた。
——監査室聴取により、エルン・ハルデが第五十六話襲撃のための「臨時文書回収」を承認し、外部仲介を通じて原本・比較写しの回収、拒否時の身体拘束、「あの方の記録を消す」との文言使用を指示したことを確認。正式審理へ送付。
——エルンは七、八年前、根拠番号のない「病没」月報を認識しながら差し戻さず本局へ取り次いだことも認める。ただし、あの方の実際の失踪・死亡を知っていた証拠、または病没分類を作成した主体である証拠はない。
——現在の襲撃事件と、過去の取次不備は同一人物の行為としてつながる。あの方の失踪、「鍵」、辞令書余白印まではつなげない。
最後に、一行を書いた。
——解けたところで、線を止める。
手帳を閉じる。
誰か一人が、すべての糸を握っていたわけではなかった。
だからこそ、残った糸を無理に束ねる必要もなかった。
襲撃の責任者は、監査室へ渡った。
木箱は、施錠棚へ戻った。
ガルダの今日の帳面は、今日のうちに閉じられた。
ここから先は、監査室の仕事だった。
お読みいただきありがとうございます。
次回は明日19:10更新予定です。
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