第百六話「言わされた、言葉」
着任四百三十六日目、朝。
監査室からの正式便が届いた。
封には、簡潔に記されていた。
——確保者二名・追加聴取記録。ガルダ執務所開示可。
ロイドが受領時刻を記し、封の状態を確かめる。
「開けます」
「お願いします」
ライルが答えた。
机を囲んだのは、ライル、ロイド、ミラ、ダグラス。
カイは呼ばなかった。
自分が襲われた事件ではある。
だが、監査室の聴取記録を読むことまで、カイの役目ではない。
ロイドが最初の頁を開いた。
「二名とも、監査室の管理下で継続聴取。強制的な手段は用いていない、とあります」
「供述は」
「一部、変わりました」
部屋の空気がわずかに締まった。
「依頼主の名前を、話したんですか」
ミラが尋ねた。
「いいえ」
ロイドは首を振った。
「二人とも、依頼主の氏名も顔も知らない、という点は変わっていません」
「では」
「仕事を受けた時の手順を、以前より詳しく話しています」
ロイドが読み上げた。
——二名は、それぞれ別に声をかけられた。
——指定された場所へ行き、そこで初めて互いを引き合わされた。
——仲介した人物の氏名は知らない。
——報酬の一部を前払いで受領。
——現地で言うべき言葉、要求する物、退く条件は、紙で渡された。
「言うべき言葉」
ダグラスが低く繰り返した。
「はい」
ロイドが、次の頁へ移る。
——指示紙に記されていた要求。
——木箱に保管された原本および比較写しを回収すること。
——拒否された場合、対象者をその場から動けない状態にすること。
——現場では「あの方の記録を消す」と伝えること。
誰も、しばらく口を開かなかった。
「『あの方』という言葉も」
ミラが言った。
「二人が知っていた言葉ではなかった」
「そう供述しています」
ロイドが答えた。
甲。
——「誰のことかは知らなかった。紙にそう書いてあった」。
乙。
——「意味は聞かなかった。聞く仕事ではないと思った」。
ライルは、机の上の古い聴取記録へ目を落とした。
第五十六話。
押し入ってきた者たちは、確かに「あの方の記録」と口にした。
その言葉を聞いた時、こちらは当然、その意味を知っている者だと考えた。
だが、今日わかったのは違う。
「言葉を知っていたことと、その意味を知っていたことは別だった」
ライルが言った。
「はい」
ロイドが頷いた。
「少なくとも、確保された二人については」
ミラが、二欄整理の新版を作る。
左欄。
——確保者二名は「あの方」の意味を知らず、指示紙に指定された文言として使用したと供述。
——指示紙には、原本・比較写しの回収、拒否時の拘束、現場で使用する文言が記載されていた。
右欄。
——指示紙を作成した人物。
——仲介者。
——依頼を発した主体。
「以前の証言は」
ダグラスが言った。
あの時、確保者の一人が口にした言葉。
——あの方からも、同じことを聞かれました。
「今回の供述で、意味は決まりましたか」
「いいえ」
ライルは首を振った。
「その発言は、その発言のまま残します。今回の追加供述だけで、過去の一言まで読み替えません」
「わかりました」
ダグラスが頷いた。
ロイドが、所持品の再確認記録へ移った。
「もう一つあります」
取り出したのは、第六十話で監査室へ引き渡した際にも記録されていた、欠けた意匠の写しだった。
完全な紋章ではない。
布片に残った、半分だけの印。
これまでは照合先がなく、意味を持たないまま保留されていた。
「監査室が、今回もう一度比較しています」
「何と」
「貴族家の紋章ではありませんでした」
ミラが顔を上げた。
「商会印でもありません」
ロイドは続けた。
「地方の公文書取次で使われる、受領確認印の一部と形が一致する可能性が高い、と」
ライルは、すぐには答えなかった。
「可能性が高い」
「はい」
「完全一致では」
「欠けているので、そこまでは言えません」
ロイドが、監査室の比較表を机に置いた。
印の外周。
中央から伸びる二本の線。
下部に残った小さな欠け。
既存の受領確認印のうち、一種類と主要な形が重なる。
「これは、辞令書の余白印とは」
ミラが尋ねた。
「別です」
ライルは即座に答えた。
「同じ『印』だからという理由で並べません」
「『鍵』とも」
「別です」
ロイドも頷いた。
「今回見ているのは、現在の襲撃に使われた経路の印です」
ダグラスが、ゆっくり息を吐いた。
「では、貴族家でも、商会でもなく」
「今わかるのは、公文書取次に使われる印と形が近い、というところまでです」
ライルが言った。
「誰が使ったかは、まだわかりません」
監査室からの文書には、次の照合予定も記されていた。
——当該印を使用できた部署。
——事件前後の受領確認票発行記録。
——臨時の文書回収・返却に関する処理記録。
「次は、紙から追う」
ミラが言った。
「はい」
ライルは頷いた。
「二人の記憶から、これ以上名前を絞ろうとしません」
昼過ぎ。
カイが水路の見回り記録を持ってきた。
「異常ありません」
「ありがとうございます」
ロイドが受け取る。
カイは机の奥に積まれた監査室の紙へ目を向けなかった。
「今日の分、ここに置いておきます」
「はい」
それだけで帰ろうとしたカイを、ライルが呼び止めた。
「一つだけ、伝えておきます」
カイが振り返る。
「あの日、あなたを囲んだ者たちが口にした『あの方』という言葉についてです」
カイは黙って聞いた。
「確保された二人は、その意味を知らず、指示された通りに言ったと供述しています」
「そうですか」
「それ以上は、まだわかっていません」
「十分です」
カイは答えた。
「あの人たちが、何でも知っていたわけじゃないとわかっただけで」
少し間を置く。
「前より、怖くないです」
ライルは頷いた。
「続きは、必要になった時に伝えます」
「お願いします」
カイは、いつも通り水路の方へ戻っていった。
夜。
ライルは手帳を開いた。
——監査室追加聴取。確保者二名は、「あの方」の意味を知らず、指示紙に指定された文言として使用したと供述。指示紙には、原本・比較写しの回収、拒否時の拘束、現場で用いる文言まで記載されていた。
——第五十九話の「あの方からも、同じことを聞かれました」は、今回の供述によって意味を確定させない。旧記録のまま保留。
——所持品に残った部分意匠は、地方公文書取次の受領確認印の一種と主要形状が一致する可能性高。貴族家紋・商会印ではない。辞令書余白印・呼称「鍵」とは別項目。
最後に、もう一行を書いた。
——次は、印を使えた人間ではなく、事件前後にその印が使われた紙を追う。
手帳を閉じた。
襲撃者が言った言葉から、意味が一つ剥がれた。
残ったのは、誰かに言わされた言葉だった。
なら、次に見るべきなのは、その言葉を書いた側だった。
お読みいただきありがとうございます。
次回は明日19:10更新予定です。
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