第百四話「根拠のない、病没」
着任四百二十六日目、朝。
ロイドが、古い事務手順書を机に置いた。
「人事綴りの転記手順です」
紙は古かったが、文字はまだ読めた。
異動。
休職。
復職。
退任。
死亡。
どの項目も、最終的には人事綴りへ一行で記される。
だが、その一行の前には、必ず根拠となる紙がある。
「当時の手順では」
ロイドが読み上げた。
「死亡の場合、確認記録または上位機関からの確定通知。そのどちらかの番号を、転記欄へ残すことになっています」
「確認記録がない時は」
ミラが尋ねた。
「暫定扱いです。『死亡確認待ち』として記し、病没・事故死などの分類は確定通知後に入れる」
部屋が静かになった。
「では」
ダグラスが言った。
「病没という一行は、手順通りではない」
「はい」
ライルが答えた。
「少なくとも、今残っている形では」
人事綴りを開く。
——病没。
根拠番号なし。
確認者なし。
暫定の印もない。
それだけだった。
「これが、後から根拠を失った可能性は」
ミラが尋ねた。
「あります」
ロイドが答えた。
「だから、根拠番号がないことだけでは、当時からなかったとは言えません」
「では、もう一段見ます」
ライルが言った。
監査室へ送っていた照会のうち、人事綴り以外の同時代記録。
その返答が、昼前の正式便で届いた。
「ちょうど、来ました」
ロイドが受領記録を残し、封を開ける。
内容は短かった。
——該当月の地方人事月報控えを確認。
——対象調整官について「病没」の記載あり。
——ただし、根拠書類番号欄は空欄。
——本局受領時の確認欄にも、補足資料の受領記録なし。
「こちらも、空欄」
ミラが言った。
「はい」
ロイドが答えた。
「ガルダの人事綴りだけでなく、本局へ送られた月報控えにも、根拠番号がない」
「月報を作った人は」
ダグラスが尋ねた。
「個人名は残っていません」
ロイドは答えた。
「ガルダ執務所名義です」
「公印は」
「あります」
「では、公式な報告ではある」
ライルが言った。
「はい。ただし、何を根拠に病没としたかは、向こうにも届いていない」
ロイドが、続きの注記を読む。
——同時期の他地域月報では、死亡分類記載に根拠番号を伴う例が大半。番号欠落例は少数あるが、今回照会対象との共通原因は確認できない。
「ここでも」
ミラが言った。
「似たものがあるから、同じ仕組みとはしない」
「はい」
ライルは頷いた。
「今回は、ガルダの一件だけを見ます」
時系列表へ、新しい行が加わった。
——人事綴り「病没」:根拠番号なし。
——本局保存・地方人事月報「病没」:根拠番号なし。
——医療・埋葬の裏づけ:確認できず。
——木箱比較写し:「死亡確認資料、当方では確認できず」。
「これで、何が言えますか」
ダグラスが尋ねた。
ライルは、しばらく紙を見た。
「『病没』という分類が、確認資料を伴わないまま、ガルダから本局へ報告され、そのまま人事記録として残った」
「誤記、でしょうか」
ミラが尋ねた。
「誤記かどうかは、まだ言えません」
ライルは答えた。
「誰かが意図して病没にしたのか。伝聞を確定扱いしてしまったのか。別の根拠紙が当時だけ存在していたのか」
「ただ」
ロイドが言った。
「今残る記録の中に、その判断を支えるものはない」
「そこまでは言えます」
ライルは頷いた。
ダグラスが、木箱の比較写しを見た。
「タイスは、それを知っていた」
「『死亡確認資料を確認できず』と書いたのがタイスなら」
ライルが答えた。
「確認できていないことは、知っていた可能性が高いです」
「それでも、病没と書いた」
「はい」
「なぜ」
「まだ、わかりません」
ライルは、はっきり言った。
「でも、問いは小さくなりました」
「小さく」
「タイスがあの方を殺したのか、ではない」
ライルは言った。
「タイスが、確認できていない『病没』を、なぜ公式記録へ書いたのか」
ミラが、その言葉を照合票に書いた。
「次に見るのは」
ロイドが尋ねた。
「タイスが病没を記入した前後の、発送と受領です」
「何か指示が来ていたか」
「指示と決めません」
ライルは答えた。
「書状でも、口頭でも、何もなかったかもしれません。前後に何が届き、何が出ていったかを、まず並べます」
午後、レオが井戸の水位記録を持ってきた。
「三日分です」
数値は、三日とも大きく変わっていなかった。
「掘り直しは」
ロイドが尋ねる。
「一軒は不要です。もう一軒は、浅いところだけ直します」
「最初の見立てから変わりましたか」
「変わりました」
レオは答えた。
「三日見たので」
ロイドは、小さく頷いた。
昔の記録も、同じだった。
一行だけを見て決めるのではなく、その前後を見る。
夜、ライルは手帳を開いた。
——監査室より地方人事月報控えの照合結果。ガルダから本局へ報告された「病没」記載にも根拠書類番号なし。本局受領時の補足資料記録もなし。
——現存記録上、「病没」を支える医療・埋葬・確認資料は見つかっていない。一方、木箱比較写しには「死亡確認資料、当方では確認できず」。
——結論:確認資料を伴わない「病没」が、地方記録から本局記録へ転記・定着したことは確認できる。故意・誤認・当時のみ存在した根拠のいずれかは未確認。
最後に、もう一行を書いた。
——次は、「病没」が書かれた前後に、ガルダへ何が届き、ガルダから何が出たかを見る。人ではなく、紙の流れから先に追う。
お読みいただきありがとうございます。
次回は明日19:10更新予定です。
ブックマーク・評価で応援いただけると励みになります。




