第23話 聖女のお見舞い
「……あっちは花音に任せて大丈夫だよな?」
学園を後にした俺は歩きながら独りごちる。
あれから、倒れた氷川を保健室に運んだ。変な体勢で倒れていたので心配だったが、ショックで気絶しただけらしい。絶望に顔を歪めて気を失った氷川は恐怖と尊敬の対象である女王様ではなく、とても弱々しい普通の少女に映った。
保健室に運び終えた後、花音に任せた俺は帰宅した。
あの場に残っていても出来ることは少ない。残っていても面倒事しか起きないのはわかりきっている。氷川の意識が戻れば再び暴れるだろうし。
『お姉ちゃんのことは任せて。これは花音の役目だから』
そう言った花音は頼もしかった。
……しかし、推しに続いてネトゲの嫁にも告白されるとはな。
この緊急事態について家でゆっくり考えを纏めたいところだが、残念ながら今日のイベントはまだまだ終わらない。
ここからもう一つの大きなイベントが開始されようとしている。幼馴染のお見舞いというイベントが。
正直、ここでも何か起きる予感がしていた。頭の容量はすでに限界を超えているわけだが、お見舞いに行かないという選択肢は存在しない。親から言われているし、何よりも月姫が心配だしな。
「うだうだ考えてても仕方ないか」
間もなくして、月姫の家に到着する。
チャイムを押すと見慣れた人物が出てきた。月姫が髪をばっさり切って歳をいくらか重ねたような美しい女性だ。
「あら、いらっしゃい。佑真君」
「どうもです」
月姫の母親だ。
中学時代に月姫と疎遠になっていたが、おばさんとは何度も会っていた。というのも、俺の母と友達なので我が家にもよく来ている。学校帰りに家の前で話していることはしょっちゅうだった。
ちなみにデートの時も月姫の家に来たわけだが、あの時は外出中だった。
「わざわざありがとね。あの子なら部屋いるわ。佑真君が来ることは伝えてあるから。ゆっくりしていってね」
「お邪魔します」
家の中に入るのはいつ振りだろう。
子供の頃はよく来ていた。どたどたと走りながら階段を上がっては、おばさんに説教されていたっけな。
あの頃とは違う。静かに階段を上がり、部屋の前でノックする。
「はい」
「あっ、佑真だけど」
「どうぞ」
許可を貰い、部屋に入る。
久しぶりの月姫の部屋は懐かしさと新鮮さが半々くらいだった。家具の配置とか内装とか、あの頃とは変わっていた。懐かしいさは机だ。机の位置は昔から変わっていない。
部屋はきれいに片付いていた。俺と違って月姫は昔から掃除ができるタイプだ。
「いらっしゃい、ゆう君」
パジャマ姿の月姫がベッドの上に座っていた。
「寝てなくて大丈夫なのか?」
「大分良くなってるからね。学校も明日から行く予定だよ」
「そいつは良かった」
心配していたが、想像より元気そうで安心した。
「わざわざ来てくれてありがとね」
「気にするな」
「あっ、適当に座ってくれるかな」
俺は部屋の中央に座った。
「この部屋も随分と変わったな」
「さすがに変わるよ。ゆう君が最後に入ったのは小学生の時だから。あれから何年も経ってるし」
「そりゃそうか」
俺の部屋も小学生の頃とは大きく変わった。美少女系のフィギュアとか、Vtuberのグッズとか部屋の一角にあるしな。
「風邪って聞いて驚いたぞ。急に寒くなったから仕方ないけどさ」
「それもあるけど、原因は張り切りすぎちゃったからなんだ」
「張り切りすぎた?」
「ゆう君とのデートが楽しみすぎて、夜中までプラン練ってたら体調崩しちゃったの。それに、精神的なショックもあったし」
月姫は大きく息を吐いた。
「むしろ精神的な面のほうが大きいかも。寝不足と体調不良に加えて、風間さんの告白でトドメ刺された感じ。突然すぎて驚いちゃったよ」
あれには俺もビックリした。人生初告白があの場面とは想像もしていなかった。俺がビックリしたのだから、月姫にとっても想定外だったろう。
月姫は握りこぶしを作ると、ぺちぺちと軽くベッドを殴りだした。
「ただ、今は怒りのほうが強いかも」
「怒り?」
「自分に対する怒りだよ。折角のデートで体調崩しちゃうし、風間さんに出し抜かれちゃったし、本当に最悪だよ」
月姫の頬が膨れる。まっ、楽しみにしていたデートを台無しにされた形だしな。怒るのも無理はないだろう。
しばらく膨れていたが、月姫は俺のほうを見て表情を緩めた。
「でも、ゆう君がお見舞いに来てくれるなら悪くないかもだけど」
「俺なんかのお見舞いで良かったらいつでもするぞ」
「それは嬉しいかも。だけど――」
月姫は一旦言葉を止め。
「欲を言えば悩みのない状態のゆう君が良かったかな」
「っ、わかるのか?」
「当たり前だよ。悩みだけじゃないよね。凄い疲れてる感じもする。私よりも体調悪そうな顔してるよ」
見抜かれていたか。この辺りはさすがに幼馴染だ。確かに今の俺には悩みがあるし、肉体的にも精神的にも疲労もしている。
「何があったの?」
言えない。言えるはずがない。
ただでさえ推しのVtuberとネトゲの嫁に告白されたとか言いにくい内容だってのに、体調不良の月姫相手に言えるはずない。ここで再び精神的な負担を与えて体調不良が長引くとか冗談じゃない。
「教えてくれないんだ?」
「そういうわけじゃ――」
「まっ、大体わかるけど」
「マジか?」
「例の推してるVtuberだよね」
月姫が口にしたのは半分は正解だった。
「どうしてそう思ったんだ?」
「ゆう君に教えられたから調べてたんだ。寝てるだけで暇だったし、スマホで検索してたの。でね、この間の配信をたまたま見たの。私だって気付いたんだから、ゆう君も絶対気付いてるはずだよ」
あの配信でフェニの正体に気付いたのか。
不死鳥フェニの名前を教えたのは失敗だったな。
「あの子の中身って不知火さんだよね。格好いい声には馴染みがあるし、あの可愛い声も聞き覚えがあったし」
「……可愛い声も?」
「球技大会で戦った時に何度か聞いたんだ。可愛い声してるって驚いたもん」
バスケで対戦した時に聞いていたのか。そういえば、月姫と不知火はマッチアップしていたな。接触とかした時にフェニの声が出ていたのか。
「話の内容も完全に不知火さんだったから普通に気付くよ。ショッピングモールの話とか、球技大会のことも話してたから」
あの時のフェニはぺらぺらと近況を話していた。あれは俺に向けてのもので、視聴者が少ないから姫ヶ咲学園の生徒が見ているとは思わなかったんだろう。
不知火にとっての誤算は俺が不死鳥フェニの情報を月姫に漏らしたって点だろうな。これに関しちゃ俺の落ち度かもしれないが、あの時は中身が不知火って知らなかったからと言い訳したい。
余談だが、例の配信のアーカイブは非公開になっている。不知火としてもあの配信がリスクのある行為と理解していたのだろう。
「俺もそこで初めて知ったんだ」
「いつもあっちの声で配信してたなら普通は気付かないよ」
月姫の言う通りだ。
「推しの正体が不知火さんって知ったから悩んでるんだよね?」
「……まあ、そうだな」
厳密には違う。俺の悩みはもっと先にある告白だ。
ただ、それは言いたくない。月姫の体調不良云々もあるが、単純に告白されたことを勝手に言い触らすのは人としてどうかと思う訳だ。
葛藤していると、月姫のスマホが震えた。
「ちょっといいかな」
「構わないぞ。大事な連絡かもしれないし」
「友達かも。心配してくれてる人も多くて――」
月姫がスマホを見て固まった。
そして、わずかに暗くなった目で俺を見ると。
「ゆう君さ、氷川花音さんに告白されたの?」
想定外の方向から殴られた。