09 夜会
「この娘が、噂の、北の森の大魔女モレガナ唯一の見習いねぇ……」
上から下までじっとりした視線を向けられる。
主催者である西の森の大魔女セレンが、肩周りに立体的な花の装飾があしらわれた豪華なドレスに身を包み、美しい桃色の髪をなびかせて、目の前に立っていた。
「たしかに……見たこともない、美しい魂だ」
「関係ないこと言ってるんじゃないよ」
モルガナが冷たく言い放つ。セレンは私に近づくと、耳元で小さく囁いた。
「モルガナはね、初めてお前に会った時、お前の魂に一目惚れしたんだって」
「……魂が見えるの?」
「ここだけの話、ね」
セレンとの挨拶を終えると、モルガナは私に向かって告げた。
「私はオークションの方に行っているから、後はクロードと一緒に楽しんでね」
自由奔放なモルガナはそう言い残して、止める間もなく人混みへと消えていく。
「私も、一緒に行きたかった……」
優雅な音楽が流れる夜会のメイン会場には、世界中からドレスアップした魔法使いや招待された人たちが集まり、お酒やスイーツを片手に情報交換に花を咲かせていた。
急に広い会場に放り出されたようで俯く私に、それまで影のように寄り添っていたクロードが、躊躇いながらも、真っ直ぐに手を差し出した。
「……私と踊っていただけませんか?」
差し出された彼の手を見つめ、私の心臓がドクンと大きな音を立てる。
いつの間にか、さっきまでの心細さはどこかへ消えていた。
「……はい。喜んで」
彼の大きな手に、私は迷うことなく自分の手を重ねる。その瞬間、クロードの手が私の指先をそっと、驚くほど自然な動作で包み込んだ。
彼は完璧な角度で一礼すると、流れるような身のこなしで私をダンスフロアへと導く。
普段の護衛としての無駄のない動きが、今はそのまま洗練されたエスコートの美しさへと変わっていた。
背中に回された手の温もりと、至近距離から見下ろす彼の真剣な眼差し。
音を立てる心臓を必死に隠しながら、練習の成果であるステップを踏み出す私を、クロードはまるでガラス細工を扱うように、優しく、そして完璧にリードしてくれた。
鳴り響く音楽に身を委ね、私たちはフロアの波に溶け込んでいく。
クロードのリードはあまりに完璧で、ステップを踏むたびにドレスの裾が美しく揺れた。
ターンを終え、再び二人の距離がぐっと近づく。至近距離で見下ろしてくる彼の切れ長の瞳と視線がぶつかり、私はたまらずに口を開いた。
「……クロードは、本当にダンスが上手だね」
緊張を隠すための私の言葉に、クロードは真剣な眼差しのまま、微かに声を潜める。
「これでも、あなたをお守りする身ですから。……ですが、今夜は少し、足元が乱れそうです」
「え……?」
クロードは私を優しく引き寄せ、耳元で切なげに囁く。
「お嬢様のドレス姿、とてもお綺麗です。……先程、ファスナーのお手伝いをしたときは言いそびれてしまいましたが、あまりに綺麗すぎて、本当は直視することすらできません」
モルガナから譲り受けたこのドレスは、深みのあるミッドナイトパープルから、裾に向かって淡いラベンダーへと変わるグラデーションになっている。
軽やかなチュール生地が何層にも重なり、内側には細かなラメや、魔法陣・星座を模したシルバーの刺繍が施されており、フロアの光を反射してまるで星空が瞬いているように見えた。
「お、お姉様のこのドレス、とっても素敵だもんね……」
今度こそ破裂しそうなほど跳ね上がった心臓を誤魔化すように呟くと、クロードが耳元で囁く。
「ドレスではなくて、お嬢様が綺麗だと言っているんですよ」
反射的に顔がカッと熱くなる。
心臓がうるさくて、ステップを踏む足がもつれそうだった。だけど、そんな熱い言葉を真っ直ぐにぶつけておきながら、クロード自身はどこか切なげな、大真面目な顔をしているのがなんだか狡い。
私はぎゅっと彼の肩を掴む手に力を込め、上目遣いで睨むように言い返した。
「……っ、私だって、クロードが格好よくて直視できないよ」
言った瞬間、クロードの動きがピタリと止まった。
完璧だった彼のステップが乱れ始める。
「え……?」
クロードは目を見開いたまま固まり、みるみるうちにその端正な顔を耳の根もとまで真っ赤に染めていく。
「お、嬢様……今、なんと……」
「な、なんでもない! ほら、音楽がまだ続いてるから……っ」
慌てて視線を逸らす私と、完全に余裕をなくして動揺している護衛。さっきまでの完璧なエスコートはどこへやら、私たちは途端に、世界で一番ぎこちないダンスを踊り始めることになってしまった。
◇
音楽が終わり、私たちは逃げるようにダンスフロアを後にした。
お互いに顔を真っ赤にしたまま、まともに目も合わせられない。気まずさと心臓のうるささを誤魔化すように、私は近くのテーブルに置かれていた、可愛らしい星型のチョコレートをひとつ口に放り込んだ。
「あ、お嬢様、それはーー」
クロードが焦った声をあげた時には、もう遅かった。
口いっぱいに広がったのは、とろけるような甘さと、カッと喉を焼くような熱いお酒の風味。
「魔法使い向けの強いリキュールが入っているものです……!」というクロードの言葉が、遠くの方で聞こえた気がした。
ほんの数秒で、急激に世界がぐにゃりと歪む。
体中が熱くなり、急に足の力が抜けて、私はその場にへたり込みそうになった。
「お嬢様!?」
すかさずクロードの大きな手が私の腰を抱き止め、倒れそうになる身体をぐっと引き寄せる。
「……う、うう……クロードぉ……?」
いつもなら緊張して固まってしまう距離なのに、今は彼の胸板に顔を埋めているのが、たまらなく心地いい。
「しっかりしてください、お嬢様。……くっ、完全に酔いが回ってしまっている。ひとまず、夜風に当たれる場所へ……」
「やだ、いかない。ここでいい……」
私は彼の首に腕を絡ませ、すっかり熱くなった頬を、彼の冷たいシャツの襟元に擦りつけた。
「お嬢様……っ! お願いですから、離れてください……」
抱きすくめるクロードの腕が、微かに震えている。上目遣いで見上げた彼の顔は、さっきのダンスの時よりも、ずっと深く熱い色に染まっていた。
完全に出来上がってしまった私は、彼の首にぎゅっと抱きついたまま離れない。
これ以上人目に晒すわけにはいかないと判断したのか、クロードは小さく覚悟を決めるような息を吐くと、私の膝裏に腕を滑り込ませ、迷いのない動作でひょいと抱き上げた。
「わ……っ」
視界が浮き上がり、抱っこの体勢になる。
「お騒ぎにならないでください。ひとまず、静かなところへお連れしますから」
焦りで声を低く尖らせるクロードだったが、耳の根もとまで真っ赤なのは隠せていない。
私はといえば、彼の首にしがみついたまま「クロード、あったかーい……」と完全に緊張感を失っていた。
クロードが足早に廊下の角を曲がったーーその瞬間だった。
「あらあら。私、ちょっと席を外しただけなんだけど。随分と大胆に楽しんでいたのね?」
目の前に立っていたのは、戦利品らしき小箱を抱え、満面の笑みを浮かべたモルガナだった。
「も、モルガナ様……っ!」
普段の冷静沈着さはどこへやら、クロードの身体が文字通りガチガチに硬直する。
「これは、その、決して不埒な真似をしようとしたわけでは……! お嬢様がアルコール入りのお菓子を口にされ、足元がおぼつかなくなったため、介抱を……!」
必死に言い訳を並べるクロードの額には、冷や汗がにじんでいる。
一方、モルガナはすべてを察したように、ふふっと楽しげに扇子で口元を隠した。
「いいのよ、言い訳しなくても。私の可愛い子が、あなたの腕の中でこんなに幸せそうな顔をしてるんですもの」
「モルガナ様……」
「それにしてもクロード、そんなに顔を真っ赤にして。いつものポーカーフェイスはどこに行っちゃったのかしら?
傑作ね、カメラがあったら撮っておきたかったわ」
完全に面白がっているモルガナの視線に、クロードは今度こそ爆発しそうなほど顔を真っ赤にし、私を抱きかかえたまま、ぐうの音も出ない様子で俯いてしまったのだった。




