03 目覚める規格外の才能
すっかり日が暮れて、夕飯の時間になる頃、ようやくモルガナが帰ってきた。
「ノルマは終わったかい?言っておくけれど、私は基本的にこの屋敷を留守にすることが多いからね。明日からもカラスの監視のもと、しっかり励むんだよ。さあ、夕ご飯にしよう」
目の前に出されたのは、目を瞑りたくなるような禍々しい紫色のスープだった。ときどき、怪しげな気泡がぷつぷつと弾けている。
「魔女はね、毎晩このスープを食べるんだよ。なに、見た目もにおいも味も最悪だけど、まぁ、死ぬわけじゃない」
モルガナが平気な顔でスプーンを口に運ぶのを見て、私も意を決してスープを口に含んだ。その瞬間、なんとも言えない生臭さと、強烈な苦み、そして砂でも混じっているかのようなざらついた食感が口いっぱいに広がる。あまりの衝撃に、思わず吐き出しそうになる。
「ーーっ!」
慌てて水を流し込み、涙目でどうにかすべてを飲み干す。
「ふふ、いい飲みっぷりだ。食べたら座学だよ。まずは薬草の勉強から始めようか。お前が今日手入れした畑の植物は、ほとんどが薬草だから、すぐ役に立つはずさ」
モルガナから分厚い教科書を借り、そのまま夜の講義が始まった。
習ったその場で完璧なアウトプットを求められるという超スパルタ仕様で、何度も何度もこっぴどく怒られたけれど、どうにか今日のノルマを終わらせることができた。
「明日も早いからね。起きたら、まず体力作りから。では、おやすみ」
モルガナが部屋を出ていった後、私はもう一度復習をしようと机に戻った。
書き留めたばかりのノートをめくるたび、ゆっくり、ゆっくりと、重たい瞼が落ちてきそうになる。
ダメダメ、あともう少し……
そう自分を奮い立たせたものの、抗えない睡魔は容赦なく押し寄せ、私の意識を真っ暗な底へと引きずり込んでいく。
ついに限界を迎え、私はノートの上に突っ伏すようにして意識を手放した。
どれくらい時間が経っただろう。
「こんな硬い机の上でよく寝られるねぇ……」
静まり返った部屋のドアが、音もなくゆっくりと開いた。
入ってきたお姉様ことーー大魔女モルガナは、手にした杖を小さくひと振りすると、私をそっとベッドの上まで浮遊させて運んだ。
「……全く、世話の焼ける。お前は少し身体が弱いんだから」
昼間の冷徹な声とはうって変わり、低く呆れたように呟く。
モルガナはお布団を掛け、ベッドの脇に腰を下ろした。そして、インクで汚れた私の手を、自身のハンカチで優しく拭っていく。
「お前のように、魂から綺麗で、気高くて美しい子を……どんなものからも守って、ただ健やかに大きく育てられれば、と思っていたんだけどねぇ……」
ーーラプンツェルの魔法の髪でしか出入りできない、箱庭だった塔。その魔法は、王子の侵入によって無惨にも壊されてしまった。
短くなってしまった彼女の髪は、もうあの幸福な日々には戻れないのだと静かに物語っている。
モルガナは、緑色に淡く光る特製の軟膏を取り出した。
昼間の猛特訓で、パンパンに張ってしまった彼女の腕や脚に、手際よく軟膏を塗り込んでいく。魔法が込められた薬膏は、肌に触れた先からじんわりと熱を持ち、溜まった疲労を急速に溶かしていった。
それから、机の水差しには、栄養満点な数種類のハーブを調合した特製の液体を注ぎ入れる。
あの禍々しいスープに比べれば癖も驚くほど薄い。喉が渇けば、きっと疑いもせず飲んでくれるはずだ。
「どうか、変わらないで。魔法なんか使えなくても、お前は、私の、一番大切な……」
消え入りそうな小さな声で呟くと、大魔女は愛おしそうにその頬へ触れ、気配を消すように再び夜の闇へと消えていった。
◇
モルガナのお屋敷に移ってから、早いもので三ヶ月が経った。
最近、目に見えて体力がついてきたのを実感している。
あれほど地獄だと思っていた、一時間のジョギングを終えても、疲労感は格段に減ったし、息切れもしにくくなった。プランクの成果か、体幹もしっかりと安定してきたように感じる。
それにしても不思議なことに、あれだけのメニューをこなしているというのに、私は一度も筋肉痛に悩まされたことがなかった。
毎朝ベッドから起き上がるときには、いつも身体がシャキッとしていて、最高のスタートを切ることができるのだ。
「やっぱり、睡眠って本当に大事なんだなぁ……。しっかり寝れば、疲れなんて一晩で吹き飛んじゃうんだ!」
そんな結論を出して一人で納得している私を、窓辺に止まったカラスが、なんとも言えない複雑な目で見下ろしていた。
ある日のこと。畑仕事の手入れをしていた私は、手元の薬草図鑑にどうしても載っていない、瑞々しい緑の葉物を見つけた。
ちょうど屋敷にいたモルガナを呼び、私はその葉を指さして質問する。
「これ!この植物はなんていう薬草なの?」
「これは薬草じゃない。ただの野菜だよ」
「なんて名前なの?」
「……ラプンツェル」
モルガナは、酷く言いにくそうに、その名を零した。
「……え?もしかして、私の名前と同じなの?」
「……」
「私の名前はお姉様が付けてくれたんだよね?なんで?どうして、この野菜の名前を私に?」
私はしゃがんでいた身体を起こし、モルガナに向かい合って立ちあがった。
ーー私はいつも、お姉様の前に立つと、その圧倒的な美しさに息を呑んでしまう。深い紫のウェーブヘアが、彼女の白い首元に美しく流れている。冷徹なサファイアの瞳に射すくめられると、悪いことなど何もしていなくても背筋が伸びた。
けれど、モルガナはなにも答えてくれなかった。そのまま静かに背を向け、どこかに行ってしまう。
拒絶するように去っていく彼女の横顔が、あまりにも深く、痛切な悲しみに満ちていた。
残された私はただ立ち尽くすことしかできなかった。
私は、今まで一度も食べたことのない、自分と同じ名前を持つ植物を愛おしむように優しく撫でた。
「あなたはおいしいの?なんでここに植えられているんだろうね。
……なんでお姉様は、私たちを育てているんだろうね」
答えのない小さな呟きは、そよ風にさらさらと流されて、そのまま優しく消えていった。
◇
「お前の体力もそこそこついたし、大体の薬草の取扱いや調合もできるようになった。だから、今日からはいよいよ、実際に魔法を使ってみようか」
「お姉様、『そこそこ』とか『大体』って本当に要る?私、これでも結構頑張っていると思うんだけど」
「事実なんだから、仕方ないだろう。まだまだ私の足元にも及ばないじゃないか」
「それは……っ、お姉様は凄すぎるだけなんだから、比べないでよー!」
そんな軽口を叩き合いながら、差し出された私専用の杖を見て、胸の奥が熱くなる。
「これが……私の、杖……!」
「さあ、教科書どおりに杖を構えて、唱えてみなさい」
「はい!杖を構えてーー」
威勢よく返事をしたものの、肝心の呪文をど忘れしたことに気づく。
私は冷や汗を流しながら、机の上の教科書を盗み見た。
その瞬間、ゴォッ!と爆音を立てて、杖の先から部屋を焼き尽くさんばかりの巨大な炎が出現した。
「わわわっ!怖っ!あ、熱い!」
「何をやってるんだ、慌てるな!体幹をしっかり保ち、魔力を制御するんだよ!」
「は、はい!」
「そして、火を消して」
焦るあまり、声が出ない。私はもう一度教科書のページを睨みつけ、心の中で必死にその文字を読み上げた。
すると、あれほど狂暴に狂い咲いていた炎が、一瞬で掻き消えるように消失した。
「うう……お、終わったーー」
「……信じられない。詠唱もせず、目を走らせただけで魔法をコントロールするなんて」
振り返ると、いつも冷静沈着なモルガナが、信じられないものを見るかのように目を見開いて立ち尽くしていた。
「お前……一体どんな規格外なんだ……?」
「私、すごい才能があるっていうこと!?」
もしかして、 『異世界転生者』の特権として、膨大な魔力量だけでなく、魔法を使う才能も授かったのでは……!?
目を輝かせる私に、モルガナはハッと我に返ると、わざとらしくフンと鼻を鳴らした。
「調子に乗るんじゃない。まずはコントロールからだ。腑抜けたこと言ってないで、さっさと次のステップへ進めるよ。大体、教科書に載っているレベルの詠唱の内容を忘れてどうするんだ?さっきから教科書をチラチラと盗み見ていたのは、とうに気づいているんだからね!」
「ご、ごめんなさい〜!」
そんなこんなで、始まったばかりの魔法実技は手厳しい指導の連続で、初日から身も心もボロボロにされてしまった。
けれど、厳しい言葉の裏にあるモルガナの期待と、たしかに前へ進めているという確かな手応えが、私の心を強く、優しく奮い立たせてくれた。
次回、ついに騎士様と再会です……!




