02 地獄の魔法特訓
「……ラプンツェル、これはどういうこと?」
声の主の方向へかろうじて顔を上げると、窓辺から、夜の帳をそのまま紡いだような深い紫のウェーブヘアが魔力の渦で揺れている。
「お姉様……」
冷徹なサファイアの瞳に射すくめられた。
「お前はこの塔から出てはいけない。そして、何人たりともここに入れてはいけない。そう言ったはずよね……。
私が、この私が、赤ん坊だったお前を慈しみ、邪悪なものから遠ざけ、大切に大切に育ててきたというのに……!!」
モルガナの身体から魔力がさらに吹き出した。そして、目の前にいた騎士が浮き上がり、そのまま窓の外へ消えた。
魔力の場が解かれ、やっと息が自由にできるようになる。
「……っ!騎士様……!!」
「……お前はあの騎士に誑かされたっていうのかい?」
「違うの、お姉様。あの騎士様は、王子に襲われた私を助けてくれたの!」
「……まぁ、そうみたいね」
モルガナがくつくつと冷たく笑いながら、窓下を眺める。
「この塔を守護する茨たちが言っているよ。
『王子は塔から落ちて、茨で両目の輝きを失った。騎士は傷一つ付けていない』、とね」
モルガナが距離を詰め、両手で私の顔を包んだ。そして、世界で一番愛おしいとでもいうように見つめ、甘く囁く。
「本当に、お前に何もなかったんだね……?可愛いお前のままだよね……?ラプンツェル」
「ええ、そうよ」
サファイアの瞳が妖しく光り、そっと抱きしめられた。
「ああ、よかった……!」
私は甘えるようにモルガナの胸に顔を埋めた。
塔の中とモルガナ、いつもの私の世界が戻ってきたような気がして安心したのか、涙が出そうになった。
王子が侵入してきたとき、私は何もできなかった。騎士が助けてくれたときでさえ、そうだった。
きゅっと胸が締め付けられる。
私のせいで、騎士は傷ついた。
私が無力で、ただモルガナから守られるだけの存在だったから、彼にあのような痛みを背負わせてしまった。
ーーもう、守られるだけの『ラプンツェル』のままではいられない。
じわりと視界が滲むのを、私は奥歯を噛み締めて堪えた。
私は生まれて初めて、心の底から強く願った。もう二度と、何かに怯えていたくない。物語の強制力があるのだとしたら、それに抗えるだけのーー強い力が、欲しい。
「お姉様、あの騎士様はこれからどうなってしまうのかしら……?」
「ふん、王子に反抗し、失明させたんだ。城に帰ってから、それ相応の罰を受けるだろうね」
私のせいで、一人の誠実な人間の未来が、容赦なく踏みにじられる。
胸の奥から、激しい罪悪感と、それを上回るほどの強烈な怒りが湧き上がってくる。
私はこの手を泥で汚してでも、這いつくばってでも、強くなる!
あの人を、今度は私が救い出すんだ。
「お姉様、私はこの塔から出たいです。そして、お姉様と一緒に暮らしたい。魔法を教えてほしいの。強く、なりたいから!」
「……ラプンツェル」
モルガナの瞳が動揺で揺れる。
「泣き言は言わないって約束する!」
「……私は、毎日、この塔でお前に会うのが、癒しで、楽しみにしていたんだよ」
「前みたいに一緒に暮らせば、もっと楽しいわ。お姉様、お願いします」
私は真っ直ぐにモルガナを見つめた。モルガナは私の熱量にあてられたかのように、ふと視線を逸らす。
「……本気で魔法使いになるんだね。私は、厳しいよ」
「ありがとう……!お姉様、大好き!」
私は力一杯モルガナに抱きついた。
◇
そして、今、私は大きな姿見の前に立っている。
背後に佇むモルガナが、何度目かわからない確認を口にした。モルガナのハサミを握る手に力が入る。
「本当にいいんだね……?」
「ええ」
鏡に映る自分の瞳をまっすぐ見つめ、私は迷わず頷いた。
ザクザク、と小気味の良い音を立てて、ハサミが進む。
ついさっきまで、私の一部だった長い長い黄金の髪が床へと滑り落ち、横たわった。
仕上げに、一回り小さなハサミで毛先を丁寧に整えてもらう。
鏡の中にいたのは、すっきりと垢抜けた、ミディアムヘアの私だった。
手で髪に触れ、ふっと微笑む。
「うん、なんだか生まれ変わったみたい」
ーーこうして、塔の上で自由を謳歌していた『ラプンツェル』の時間は、終わりを告げたのだった。
◇
「なんだか懐かしいわ……」
モルガナと魔法の箒に揺られて辿り着いたのは、十二歳まで暮らしていた彼女のお屋敷だった。
深い森の奥にひっそりと佇む大きな平屋。その周囲には、記憶のままの青々とした畑が広がっている。
リビングのソファーにちょこんと座り、あたりを見回した。
相変わらず広い部屋だが、記憶にあるテーブルはひと回り小さく、壁の時計は少し低い位置にあるように思える。自分が大きくなったのだと、妙に不思議な感慨が込み上げてきた。
「さて、魔女見習いさん。まずは魔力測定からはじめようか」
モルガナの声に促され、私は両腕をまっすぐ伸ばした。彼女が空中をかき混ぜるように手をくるくると螺旋状に動かす。
「綺麗……」
私の手のひらから、温かみのあるオレンジ色の光が溢れ出した。
それを見たモルガナが、驚きに目を見張る。
「……お前、十二のときより魔力量が激増しているよ。不思議なこともあるんだね。普通は生まれた時から、魔力量なんてほとんど変わらないはずなのに」
十二歳といえば、前世の記憶を思い出した年だ。
もしかして、 『異世界転生者』の特権として、膨大な魔力量を授かったのでは……!?
一人で密かに興奮していると、モルガナが現実を突きつけるように手を叩いた。
「さぁ、まずは体力作りだよ。庭の周りをジョギング一時間、スクワット十回を三セット、プランク三十秒を三セット!」
「えぇっ!?」
「塔に六年間も籠っていたんだ、当然だろう?それが終わったら、庭の畑の手入れを頼むよ。これからは、畑の管理もお前の担当だ。夜は座学。いいかい、いくら塔から出たとはいえ、この屋敷の外には一歩も出てはいけないよ。わかったね?」
「はい……」
少し不満げな私を一瞥すると、モルガナは杖を取り出して、さらりと呪文を唱えた。
すると、下ろしていた髪があっという間に編み込まれて、すっきりとした一つ結びの束になる。
モルガナは満足そうに頷くと、そのままどこかへ出掛けていってしまった。
「……やるしかないか」
こうして、魔女見習いの一日目がスタートした。
塔の中でそれなりに動き回っていたつもりだったけれど、モルガナの言うとおり、私の体力は底をついていたようだ。
ジョギングを始めて三十分が経つ頃には、すでに両足が鉛のように重い。
モルガナの代わりに私を監視するカラスが、どこか呆れたような目を向けている気がした。
息も絶え絶えになりながらジョギングを終え、そこからさらにスクワットとプランクをこなす。
その後は、重たい身体を引きずって、畑へと向かった。雑草を抜き、一枚一枚の葉をめくっては、虫食いや病気がないか確認していく。仕上げに、たっぷりのお水を撒く。
井戸とお屋敷の往復を何度も繰り返し、ようやく作業を終えたときには、疲労で腕がまったく上がらなくなっていた。
地面にへたり込み、荒い息を吐きながら、ふと、あの背中を思い出す。
……騎士様なら、これくらい、なんてことないんだろうな。
彼の姿を想うたび、淡い初恋と罪悪感で胸がぎゅっと締め付けられる。
今、どこにいるのだろう……?
早く、一刻も早く強くなって、あなたの助けになりたい。
その強い想いだけが、ボロボロになった私の身体を突き動かす、唯一の原動力だった。




