01 王子と白銀の近衛騎士
高い、高い、天を突くような石造りの塔。
この塔には、大きな窓が一つだけ。扉も階段もなかった。
塔への侵入を許さないというように、壁には茨がまとわりついている。
窓の外にはどこまでも深い緑の森が広がり、風の歌と鳥のさえずりが聞こえてきた。
ーーそこが、十二歳から十八歳の今まで、私の世界のすべてだった。
「朝のストレッチと髪のお手入れをして、お掃除も完璧!
さて、今日は何をしようかなぁ〜っ」
ご機嫌に歌を歌いながら、今日の予定を油絵に決定する。重い画材箱を引きずって運ぶのも、なんだか楽しい。
モルガナは、私が頼めばどんなものでも用意してくれる。『象に乗りたい!』なんて言ったら、本当にこの塔に象を連れてきてしまいそうなくらい、私は甘々に甘やかされていた。
ただ、この塔の外へ出ることだけは、決して許してくれなかったけれど。
でも、そんなの全然気にしない!
私には、この健康な身体でやりたいことが山ほどある。この塔の中でできることだけでも、一生かかってやり尽くせるか分からないくらいなんだから!
ーーそう、私には、この世界の誰にも言えない秘密がある。
十二歳になったある日、頭を強く打った拍子に、前世の記憶を思い出したのだ。
前世の私も同じく当時十二歳だった。幼い頃から心臓の病気で入退院を繰り返し、そしてーー大きな手術の末に、私はその短い生涯を閉じた。
「ラプンツェルー!」
突如、塔の下から呼びかけられた名前に、私の意識は現実へと引き戻される。
魔法使いのモルガナの声だ。
飛び起きるようにして近くの大きな姿見を見つめると、そこには驚きに目を見開いた少女が映っていた。
床にまで届く、長い長い、黄金に輝く美しい髪。
間違いない。ここは前世で読んだことのある童話の世界ーーグリム童話の『ラプンツェル』の世界。
そして私は、その主人公の『ラプンツェル』だったのだ。
『ラプンツェル』の絵本は、小さい頃に母が読み聞かせしてくれた気がするけれど、詳しい内容は覚えていなかった。
でも、まぁ、王子様が塔に来て、最後にはハッピーエンドになるんでしょ!
そう気楽に考えて、王子の到来まで、この塔で自由を謳歌することにした。
もともとモノ作りが大好きだった私にとって、ここは天国だ。モルガナに頼めば、油絵や水彩、色鉛筆にマーカー、さらには木材、陶芸、キャンドル、紙漉きの道具まで、何でも揃った。
身体を動かすのも大好きで、部屋の中には一輪車だけでなく、ボルダリング壁や雲梯、ブランコに滑り台まで作ってもらった。
そして何より、大好きな歌を周りの目なんて気にせず、大きな声で自由に歌う。
そうして私は、毎日が夢のように楽しい六年間を過ごしてきた。
ただ、十八歳を迎え、心身の成長が落ち着き、大人の体に近づいたことで、この幸せな生活のリミットがすぐそこに迫っているのではないかと、猛烈な不安に襲われるようになった。
きっかけは、突如として脳裏に蘇った、新たな前世の記憶だった。
それは祖父母の家に遊びに行ったときのこと。従兄弟たちのように元気に外で遊び回れない私は、静かに読書でもしようと書棚を眺めていた。そこで、『ラプンツェル』という見覚えのあるタイトルを見つけ、思わず手に取った。
だが、読み進めるうちに違和感を覚えた。それは、私の知っているお話とは少し違っていた。
「お母さん、ラプンツェルが王子様と会うようになってから、『お腹が大きくなってお洋服が入らないの』って言ったら、魔女がすごく怒ったの。どうして?」
幼い私の純粋な質問に、母たちはあからさまに狼狽した。
「……この本は『ラプンツェル』の初版だから、知っているお話と違うのね。混乱しちゃうから、もう読まなくていいわ」なんて言って、詳しくは教えてくれなかった。
子供には早すぎる大人の事情。気まずそうに本を隠した母たちの顔が、今になって鮮明に蘇る。
モルガナにお願いしてあらゆる系統の本を読み漁り、すっかり大人になった今ならその意味がわかる。
……この世界の『ラプンツェル』は一体どの版のストーリーなの!?
童話の王子様はかっこいいのかもしれない。けれど、私の好みはモルガナが持ってきてくれた小説に出てくるような、黒髪短髪で、包容力のあるがっしりとした体格の男性なのだ。
本当はそんな理想の男性と出会って、恋をして、結婚して、幸せな家庭を築きたい!
どこの誰とも知らない王子様と、ストーリーの強制力でなし崩し的に結ばれるなんて、絶対に、絶対にイヤ!!
◇
ある日、いつものように「ラプンツェルー!」と塔の下から呼びかけられ、反射的に長い髪を窓から下ろした。
その瞬間、その声がモルガナのものでなかったと気づく。
しかし、その時にはもうーー金色の髪をなびかせた美しい男性が目の前に現れていた。
仕立ての良い衣服に身を包み、その背後に白銀の甲冑を身に纏った一人の騎士を従えている。
私は恐怖で身体が震えて、呼吸が止まりそうになった。足がすくみ、王子の到来に備えて準備した武器を取りに行くことすらできない。
「魔女の真似をして登ってみたが……君はどこのお姫様?なんて美しいのだろう……。僕の妻にならないか?」
部屋に佇む私を見るなり、王子が恍惚とした表情を浮かべて歩み寄ってくる。
「や、やめて。来ないでください……っ」
必死の言葉も虚しく、王子は両手で私の肩を掴む。獲物を狙うような瞳が近づいてきた、その時ーー
「殿下、この令嬢はこんなに震えているではありませんか……!」
耳に響いたのは、芯の通った凛とした低い声。
騎士が王子を引き寄せ、私の前に滑り込む。
西日に照らされた彼の横顔は彫刻のように美しく、その大きな背中から思わず身を預けたくなってしまうような包容力を感じ、私の胸は強く高鳴った。
「クロードッ!僕を誰だと思っている!」
王子は激昂し、懐から禍々しい紫色の光を放つ魔法道具の短剣を引っ掴むと、錯乱したような状態で騎士へと突進してきた。
「ご令嬢、下がっていてください」
騎士は振り返りもせず、ただ低く、落ち着いた声で私に告げる。
次の瞬間、彼の身体が目にも留まらぬ速さで地を蹴り、圧倒的な力の差で王子の短剣を叩き落とした。
しかし、王子は、間髪入れずに別の短剣を取り出すと、私に向かって投げ放ってきた。
「ラプンツェル、君を僕のものにしたい……!」
これは物語の強制力なのだろうか。異様な状態の王子から放たれた魔法の刃が、私の鼻先に迫る。死を覚悟した、まさにその時ーー
再び、私の前に騎士が立ちはだかった。
騎士の左腕の甲冑は、王子の魔法の短剣によってひび割れ、煤けている。けれど彼は、激痛に顔を歪めることもなく、平然と王子を見つめ返した。
「殿下、一体どうなさってしまわれたのですか……?」
嘆きのような騎士の声が響いた直後、あろうことか、王子はバランスを崩して、大きな窓から真っ逆さまに転落したのだった。
『ぐあああぁぁ……っ!』
王子の叫び声が聞こえた後、静寂が部屋を支配する。
私は、呆然と窓の外を見つめることしかできなかった。
視線をゆっくりと手前に戻すと、そこには私を庇って傷ついた騎士の背中がある。彼の左腕の甲冑は砕け、その隙間から覗く肌からは、痛々しい血が滲んでいた。おそらく、一生消えない傷跡を残すだろう。
「……っ、ごめんなさ……」
私の言葉が言い終わらない内に、膨大な魔力が重りのように圧迫し、場が制圧される。私も騎士もその場で倒れた。
「……ラプンツェル、これはどういうこと?」




