11 対峙
お屋敷を出て、街の方向へ進んですぐの場所に、その家はあった。
「よくぞ戻ったね、ラプンツェル!さあ、中へお入り。ここはもうお前の家なのだからね」
差し出された手を拒み、私は冷ややかに首を振った。
「突然の訪問をお許しください。ですが今日は、寛ぎに来たわけではありません。昨日の話に、明確な決着をつけに来たのです」
私は二人を真っ直ぐに見据え、毅然と言い放った。
「私の家族は、魔法使いのお姉様だけです。
あなた方は、私を産んだというだけなのです。私はここで暮らすつもりはありませんし、王子様との結婚もお断りします」
途端に、両親の顔から歓迎の笑みが消え失せた。
父親がギラついた目を剥き、私に一歩詰め寄る。
「黙れ!殿下が、お前の愛を、その『愛の涙』をご所望なのだ….!
そうすれば、貧しい我が家がどれほどの富を得られると思っている! お前に拒否権などない!」
「……っ、私は、王子様を愛せないわ……!愛していない人のために、涙なんて流せない……!」
「愚かな娘め!ならば力ずくでも捕らえ、城へ引き渡すまでだ!」
父親が狂ったように手を叩くと同時、部屋の壁を壊さんばかりの勢いで、漆黒の重装兵たちと、禍々しい瘴気を放つ魔獣の群れが雪崩れ込んできた。
「……殿下の私設部隊ですね」
クロードの冷静な声を余所に、私は即座に杖を取り出し、迎撃の魔法を展開しようとした。しかし、それよりも早く、飢えた魔獣の一体が弾かれたような速度で私の喉元へと飛びかかる。
――しまった
間に合わない、と息を呑んだ瞬間、私の視界を鮮烈な銀の輝きが遮った。
「ーー我が主に、その汚らわしい牙を向けるな」
鼓膜を震わせる激しい金属音。燕尾服の袖を美しく翻したクロードが、魔獣の巨体を一刀のもとに両断した。
どさりと崩れ落ちる肉塊を前に、彼は流れるような動作で私の前に立ちはだかり、背に庇う。
洗練された執事服を微塵も乱さぬまま、その手に握られた白刃だけが、かつて絶望の淵から私を救い出してくれた、あの『騎士様』のままだ。
「クロード、ここは私が……!」
「いいえ、お嬢様。ここは私が食い止めます。お嬢様は下がって……ぐっ!」
突撃してきた重装兵の槍を剣で受け流したものの、数の暴力と魔獣の波がクロードを圧迫していく。
ーーあの日と同じだ。
彼はまた、私を守るために傷つき、その未来を奪われようとしている。
違う……!私はもう、あの日のように無力なままじゃない!
私の胸の奥で、数年間の地獄のような特訓で培った規格外の魔法の力が、怒りとともに爆発するように跳ね上がった。
「クロード、避けて!」
私の叫びに、クロードは一切の躊躇なく身体を低く沈めた。
彼の頭上を掠めるようにして、私が放った極大の炎が一直線に放たれた。
轟音と共に放たれた爆炎が、前方の重装兵たちをまとめて吹き飛ばし、魔獣の群れを焼き払う。あまりの威力に、家の天井や壁が激しく震えた。
「お嬢様、再び前方に重装兵が三、左右から魔獣が仕掛けてきます」
クロードが刃を構えたまま、平時と変わらぬ穏やかな声で告げる。私は恐怖を払い落とすように不敵に微笑み、自身の魔力を一気に解放した。
「ええ、わかってる。ーーお姉様に教わった私の魔法、見せてあげる!」
私が杖を大地へ向けると、床からモルガナの魔法に似た、禍々しくも美しい黒い薔薇の荊が爆発的に狂い咲いた。
容赦なく伸びた棘が重装兵たちの四肢を縛り上げ、魔獣の動きを完全に封じ込める。
「なっ……魔女の術だと!? 愚かな娘め、本当に化け物に成り果てたか!」
父親の悲鳴を置き去りにして、私は叫んだ。
「クロード、今よ!」
「御意。ーー露払いは、このクロードにお任せを」
影が跳ねるような速度で、クロードが地を蹴った。
荊に囚われ身動きの取れない重装兵の隙間を、彼は一陣の風となって駆け抜ける。目にも留まらぬ鮮やかな攻撃が、重装兵の鎧ごと容赦なく切り裂いた。
クロードの白刃が閃くたびに敵が沈み、私の魔法が新たな追撃を阻む。
完璧な呼吸。言葉を交わさずとも、私たちの間には、あのお屋敷で共に過ごした時間が紡いだ、絶対の信頼が流れていた。
私たちの完璧な連携の前に、王子の私設部隊はまたたく間に壊滅していった。
「これで、終わりです」
クロードが静かに剣を引き抜くと、最後の魔獣が光の粒子となって消滅した。
室内を支配していたのは、圧倒的な静寂とーー両親の歯の根も合わないほどの恐怖に震えた音だけだった。
「ひっ……、化け物、化け物め……!」
父親は腰を抜かし、床を這いつくばりながら後退りする。母親は私をまるで恐ろしい呪いそのものであるかのように見つめていた。
「覚えていろ……!」
父親は母親の腕を引っ掴んで立ち上がると、狂ったように叫んだ。
「今回は油断しただけだ! 殿下が黙っていないぞ! 」
負け惜しみを怒鳴り散らしながら、二人は転げるようにして屋敷の奥へと逃げ去っていった。
荒らされた部屋に取り残され、私はふう、と小さく息を吐き出す。
すると、小気味よい音を立てて剣を鞘に収めたクロードが、何事もなかったかのように私の前に進み出た。
彼は燕尾服の微細な埃を払い、いつもの完璧な一礼を捧げる。
「……少々騒がしくなりましたね。追手が動く前に、モルガナ様のもとへ帰りましょう。モルガナ様が、あなたの『ただいま』をお待ちです」
そして、その真面目な顔が、どこか誇らしげに、酷く愛おしそうに綻ぶ。
「……見事な魔法でございました、お嬢様。今や私は、あなたを守る盾ではなく、共に戦う剣になれたのですね」
「クロード」
私は彼の手へ歩み寄り、そのお互いの勝利の熱が残る手を、今度は私から強く、強く握りしめた。
「これからは二人で、お互いを守り合うのよ」
私の言葉に、彼は深く頷いた。
私の心に、もう過去の罪悪感に囚われた影など、微塵も残っていなかった。
「これはまた、随分派手にやったねぇ……」
凛とした懐かしい声に、私は弾かれたように振り返った。
そこには、いつの間にか馬車から降り立ち、呆れたように、同時に酷く愛おしそうに私たちを見つめるモルガナの姿があった。
「待ちくたびれてね。痺れを切らして、迎えにきたよ」
「お姉様……っ」
私は、両親が逃げていった無様な足跡と、モルガナの美しい姿を交互に見つめた。
胸を去来するのは、寂しさや未練ではない。
血の繋がりや、定められた物語の進行といった、私を縛り付けていた重い呪縛から、ようやく自分の力で解き放たれたという、圧倒的な解放感だった。
それでも、私を定義する小さな歪みが、まだ残っているような気がする。
私は両親が去っていった方向を見つめながら、ぽつりと呟いた。
「……私はあの人たちの道具じゃない。あの人たちの罪の象徴である『ラプンツェル』っていう名前も……本当はもう、捨ててしまいたい……!」
堰を切ったように視界が歪み、大粒の涙が頬を伝ってこぼれ落ちた。
「……だったら、今すぐここに置いていきましょう。これからは私の本当の家族として、新しい名前を名乗るのはどう?」
モルガナは、これまでに見たこともないほど、温かく慈愛に満ちた笑みを浮かべ、震える私の身体を優しく抱きすくめて、髪を撫でた。
「……そうね、『ララ』はどうかしら?
鳥が羽ばたくように軽やかに、歌うように優しく。これからは誰の物語にも縛られず、あなたの好きな場所へ、自由に生きていきなさい。
ーーおかえり、私の大切なララ」
ぴったりと身を寄せたお姉様の、豊かで美しいウェーブヘアから、ほんのりと甘いハーブの香りが鼻腔をくすぐる。
周囲を拒絶するように冷徹な魔女の瞳。それが今、目の前にいる私だけのために、世界で一番温かい光を宿して揺れていた。
その光に包まれて、私の心を満たしていた暗い涙は、静かに、優しく融けていった。
「うん……! 私、今日から『ララ』になる!」
その言葉を口にした、刹那だった。
キィーーン、と鼓膜を突き刺すような、冷たい強烈な耳鳴りが響く。
――パキ、リ……
視界の端で、世界の背景に見たこともないひび割れが走った。
私を王子のもとへと導こうとしていた、見えない運命の糸。『ハッピーエンド』という名の檻へと手繰り寄せられていた、物語の呪縛。
それらが、私の新しい名前によって、耐えきれなくなったように悲鳴を上げている。
パリン、パリンッ、と、美しいガラスが派手に粉砕されるような音が脳裏で鳴り響いた。
私を『ラプンツェル』と定義していた物語のページが、激しい炎に焼かれて灰へと変わっていくような感覚。
破滅の後に訪れたのは、耳が痛くなるほどの静寂と、恐ろしく、どこまでも軽やかな万能感だった。
……ああ、私は本当に、自由になれたのかもしれない……
世界の縛りは消えた。
胸の奥がじんわりと熱くなり、私は溢れる涙を拭って、満面の笑顔で頷いた。
背後で控えていたクロードが、そっと胸に手を当て、深く、愛おしそうに一礼する。
「……おめでとうございます。ララ様。これより生涯、その美しきお名前をお呼びすることをお許しください」
モルガナは満足そうに微笑むと、私の手を引き、開かれた馬車の扉へと促した。
「さあ、風が冷たくなってきた。私たちの家に帰ろう、ララ」
「はい……!」
差し出された手をしっかりと握り返し、私は馬車へと乗り込む。
動き出した馬車の窓から、夜空に輝く満月が見えた。
かつて私を閉じ込めていた塔の窓から見たそれよりも、ずっと、ずっと輝いて見えた。
最終話は明日の正午頃に投稿予定です。
最後までお付き合いいただけると嬉しいです…!




