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るい's Journey!  作者: コリドラスA
第一章『咒紋府』
17/19

第拾陸節『照会』 Der sechzehnte Abschnitt : “Anfrage”

天環暦2110年03月01日。


 最初の兆候は、紙屋であった(・・・・・・)。春先である。るい(・・)は次の巡察の算段のため、ブルクマイアの店に足を運んだ。三十州を回るとなれば、紙は千枚を下るまい。分割で仕入れる相談をするつもりであった。通されたのは、いつもの奥の帳場である。ハンネス・ブルクマイアは、卓の向こうで太い指を組み、そして、いつもと違う顔をしていた。

「……シュタインエック樣」

「うむ」

「先に、一つ申し上げます」

 男は、卓の上に一枚の紙を置いた。中物である…文面は短い。

 シュタインエック伯令嬢との取引につき、

 直近三年の帳簿を検めたく。

 都市参事会・監査役

「……何だ、これは」

「三日前に参りました」

「監査」

「はい」

 ブルクマイアは、太い指で卓を一度叩いた。

「手前どもは帝國自由都市の商人にございます。参事会に帳簿を出すのは、年に一度の決まりでございまして、()れは先月済ませております。……ですから、これは、臨時にございます(・・・・・・・・)

「……理由は」

「書いてございません」

「訊いたか」

「訊きました」

 男は、少し面白そうな顔をした。

貴族への掛売りが過大(・・・・・・・・・・)であるとの訴えがあっ(・・・・・・・・・・)()、と」

 るい(・・)は、しばらく黙っていた。

「……私が、返さぬと」

「そういう筋の訴えかと存じます」

「……」

「ご心配なく。手前どもの帳簿は綺麗にございます。監査は通ります」

 ブルクマイアは、紙を折って懐に納めた。

「ただ、」

「うむ」

「手前どもは、()の三日で、三つの取引を失いまし(・・・・・・・・・・)()


          *


 商人にとって、監査が入ったという事実そのものが商いに響く。監査が通るかどうかは、後の話である。今この瞬間、「あの店は監査が入っている」という噂が立つ。噂が立てば、貴族は取引を控える。何かあった時に、巻き込まれたくないからだ。三日で三つ。

「……済まぬ」

()れは、お止めください」

 男は、初めて少し不機嫌そうな顔をした。

「手前どもは、商いをしております。損も得も、商いのうちにございます。……シュタインエック樣に謝られる筋合いはございません」

「……」

「ですが、」

 ブルクマイアは、るい(・・)を見た。

誰が訴えたか(・・・・・・)は、お調べになった方が宜しゅうございましょう」


          *


 二つ目の兆候は、五日後に来た。咒紋府から、るい(・・)の執務室に書狀が届いた。差出人は、第四座…台帳統括である。

 貴殿の巡察報告書につき、旅費の計上に不審あり。

 証憑を添えて説明されたし。

 るい(・・)は、書狀を読み、そして机の抽斗を開けた。中には、束が入っている。半年分の宿代、食費、馬の借り賃、案内人への謝礼。全て、その場で受け取った書付である。宿の亭主に書かせ、馬主に書かせ、案内人に爪印を押させた。東部の村では、字の書けぬ者が多かった。()の場合はる(・・)が書き、本人に爪印を押させ、()の脇に立会人としてコンラートの署名を取った。全部で、二百三十七枚ある。

『……取っておいて良かった』

 誰かに言われてやったのではない。十七年、彼はこれで痛い目に遭ってきた。研究費の使途を後から説明できず、事務局に締め上げられたことが三度ある。以来、彼は領収書を捨てぬ人間になった。この習慣は、ルイーゼの側にもあった。称号伯の家計を回すには、爪印一つが命綱になる。

『……二人分揃って、良かった』

 るい(・・)は、二百三十七枚を日付順に並べ替え、州ごとに束ね、表紙を付けて、三日で提出した。第四座からは、七日後に返事が来た。

 証憑、確認せり。不審なし。

 ()れだけであった。


          *


 三つ目は、峠の件であった。これは、書狀ではなく、廊下で伝えられた。咒紋府の一階、届け出窓口の前を通った時、ヴィルフリートが顔を上げた。そして、手を止めた(・・・・・)。この男が手を止めるのは、予期せぬことを言われた時である。今は、るい(・・)は何も言っていない。

「……ヴィルフリート」

「……お立ち寄り頂けますか。窓口が閉まりました後に」


          *


 その晩、事務室の狭い卓を挟んで、書記は蝋燭を一本立てた。そして、卓の上に一枚の紙を置いた。写しである。ヴィルフリートの筆跡で、丁寧に書き取られている。

「……これは」

「規程により、私が原本をお見せすることはできませぬ」

「うむ」

()れは、私が手習いに(・・・・)書いたものにございます。咒紋府(ミニステリウム)の書式を練習する際、手近な文書を写すのは、書記の常でございますので」

 るい(・・)は、紙を手に取った。そして、()れを読んだ。

 貴族の身分にある者が、

 徒手にて人を打ち、()(こわ)したる件につき。

 シュタインエック伯令嬢は、東部巡察の途上、

 賊二名を徒手にて制圧せり。

 一名は片目を失明、一名は肘関節を破壊せられたり。

 貴族の作法に照らし、(はなは)だ不穏当と思料す。

 ()つ、()の手口は傭兵のものと報告せられており、

 宮廷咒紋司の職にある者として相応(ふさわ)しからず。

 右、御審議を賜りたく。

 差出人の欄に、名があった。ヴォルフガング・フォン・ウント・ツゥ・ローゼンハイム。

『……来たか』

「……宛先は」

咒紋府(ミニステリウム)にございます。第一座宛」

「……」

「三日前に届き、昨日(さくじつ)、第一座がご覧になりました」

「返事は」

()の日のうちに」

 ヴィルフリートは、二枚目の紙を置いた。これも写しである。

 貴殿の申し越しの件、咒紋府(ミニステリウム)の管轄に非ず。

 貴族の作法は、咒紋府(ミニステリウム)の所掌にあらず。

 然るべき先に申し越されたし。

 るい(・・)は、思わず声を上げて(わら)いそうになった。

『……あの爺さん』

 規程を盾に、たった三行で突き返している。しかも、然るべき先に(・・・・・・)とご丁寧に書いてある。()れは親切のようでいて、実際には「うちに持ってくるな」という意味しかない。

「……第一座は、私を庇ったのか」

「……」

 ヴィルフリートは、答えなかった。答えぬ代わりに、蝋燭の芯を切った。

「……第一座は(・・・・)、」

 書記は、慎重に言葉を選んだ。

咒紋府(ミニステリウム)の管轄でないものを、咒紋府(ミニステリウム)で扱うことを、嫌われます(・・・・・)。……二十年、()の一点だけは変わりませぬ」

「……なるほど」

「庇われたわけでは、ございませぬ」

「判っている」

 るい(・・)は、写しを卓に戻した。

『……あの人は、規程しか見ない』

 規程の内側であれば、たとえるい(・・)を潰す話であっても通す。規程の外であれば、たとえるい(・・)を潰す話であっても突き返す。好悪ではない。()れが、あの老人の唯一の原理である。

「……ヴィルフリート」

「はい」

()れで、ローゼンハイムは、(・・・・・・・・・)次に何処に持って行っ(・・・・・・・・・・)()

 書記は、しばらく黙っていた。そして、三枚目の紙を置いた。


          *


 三枚目は、二枚目までとは違っていた。書式が、咒紋府(ミニステリウム)のものではない。上段に、欠環(けっかん)の意匠が刷られている。いや、刷られてはいない。この帝國に印刷は無い。描かれている(・・・・・・)…一枚ずつ、手で。書式の名を、るい(・・)は知っていた。環問所(リンググリヒト)。教義上の逸脱を審議する機関である。

 シュタインエック伯令嬢の身体につき、

 照会を申し上げ(そうろう)

 右の者、事故の後、咒紋(ツァウベライ)を用いて

 自らの骨格を改変せりと聞き及び候。

 顔貌、体格ともに一変せりとの由。

 咒紋(ツァウベライ)は輪主の刻みたる(ふみ)にして、

 人はこれをなぞることのみ許されたるものに(そうろう)

 己が身を作り替うる行いが、

 ()の教えに(もと)るや否や、御審議を賜りたく候。

 差出人の欄には、名が無かった。代わりに、こうあった。

 咒紋府(ミニステリウム) 第十二座


          *


 るい(・・)は、紙を持ったまま動かなかった。第十二座…教会連絡。環問所(リンググリヒト)との折衝を職掌とする座である。つまり、咒紋府(ミニステリウム)が、(・・)自ら教会に照会を出し(・・・・・・・・・・)()ことになる。第一座は突き返した。ところが第十二座が、別の筋で出している。

「……第十二座は、第一座の許可を得ているのか」

()れが、」

 ヴィルフリートは、困じった顔をした。

「教会との連絡は、第十二座の専決事項にございます。……規程上、第一座の許可は要りませぬ」

「……」

()つ、」

 書記は、声を落とした。

()の照会は、まだ出ておりませぬ(・・・・・・・・・)

 るい(・・)は、顔を上げた。

「……出ていない」

「はい」

「では、これは」

第十二座の机の上にご(・・・・・・・・・・)ざいます(・・・・)


          *


 書かれてはいる…判も押されている。だが、まだ回付されていない。環問所(リンググリヒト)に渡っていない。机の上に、置いてある。

「……なぜ、止まっている」

「判りませぬ」

「……」

咒紋府(ミニステリウム)から教会に出す文書は、束ねて出す(・・・・・)のが習わしにございます。一件ずつ使いを出すのは、費えが掛かりますので。……月に一度、纏めて」

()の日は」

「今月末にございます」

 るい(・・)は、卓の縁を掴んだ。

「……十一日か」

「はい」

 ヴィルフリートは、三枚の写しを集めた。そして、()れを蝋燭の火に近づけた。

「……焼くのか」

「手習いにございますので」

 紙が、燃えた。書記は、灰を灰皿に落とし、卓を布で拭いた。そして、いつもと同じ声で言った。

「……本日の受付は、(しま)いにございます」


          *


 屋敷に帰る道すがら、るい(・・)は考えていた。三つの手が、同時に来た。紙屋への監査、旅費の照会、峠の件の告発。そして四つ目が、教会への照会である。このうち三つは、失敗している。監査は通り、旅費は不審なしとされ、告発は突き返された。だが、()れは失敗ではない。

『……全部、同じことを狙っている(・・・・・・・・・・)

 監査は、紙屋をるい(・・)から遠ざけるためのものである。金の道を断つ。旅費の照会は、証憑を揃えるのに時を食わせるためである。るい(・・)は三日を費やした。峠の件は、咒紋府(ミニステリウム)で潰れることを見越していたのかもしれぬ。潰れても、「シュタインエックは人を殴った」という事実が、咒紋府(ミニステリウム)の記録に残る。そして最後に、教会…これが本命である。

 教会が動けば、咒紋府(ミニステリウム)の規程を超える。環問所(リンググリヒト)の審議に掛かれば、()れだけで数年を要する。審議の間、るい(・・)は動けぬ。巡察も、皇女の講義も、クラーラの治療も。

『……クラーラ』

 るい(・・)は、足を止めた。あの娘には、二年しか無い。審議に数年かかれば、()の間に死ぬ。

『……』

 冬の終わりの夜風が、るい(・・)の首筋を撫でた。母の形見の衣裳は、あの一晩で仕舞ってある。今着ているのは、いつもの粗末な外套である。

『……十一日だ』


          *


 屋敷に戻ると、エルメンガルトが玄関で待っていた。女中頭の顔が、ひどく強張っている。

帝國伯令嬢(ライヒスグレフィン)

「うむ」

「……ご報告が、二つございます」

「言え」

「一つ。ユリアーネが、(いとま)を頂きたいと申しております」

 るい(・・)は、外套を脱ぐ手を止めた。

「……何」

「本日、治療術師協会ハイルクンストラーツンフトから、書狀が参りました」

 エルメンガルトは、一通の書狀を差し出した。るい(・・)は、()れを読んだ。

 貴殿が一昨年提出せられたる照会につき、

 審議の結果、()の記載に不備ありと認む。

 患者の身元を伏せたる点、協会規程に違背す。

 依って、治療術師の資格を一年間停止する。

 るい(・・)は、書狀を握り締めた。

「……身元を伏せたのは、」

(わたくし)を守るためにございます」

 背後から、声がした。振り返ると、ユリアーネが立っていた。白いものの増えた髪を丁寧に結い、前掛けを外している。いつもの、静かな顔であった。

「……ユリアーネ」

「お嬢樣」

 薬師は、深く頭を下げた。

「三十年、治療術をやってまいりました。……ですが、資格を失いましては、この屋敷でお薬をお出しすることもできませぬ。(いとま)を頂きとうございます」

「待て」

()つ、」

 ユリアーネは、顔を上げた。その目が、赤い。

「……(わたくし)が、あの照会を出したことが、お嬢樣をここまで追い(・・・・・・・・・・)込みました(・・・・・)

 薬師の肩が、震え始めた。

「……存じております。都で噂になっております。咒紋府(ミニステリウム)に呼ばれたのも、東部に送られたのも、皆、あの照会が元だと」

「ユリアーネ」

(わたくし)は、」

「ユリアーネ」

 るい(・・)は、薬師の前に立った。そして、()の肩を掴んだ。

「よく聴け」

「……」

()の書狀は、今日来た(・・・・)

「……はい」

「一昨年の照会に、今日、不備が認められた。……二年だ(・・・)。二年、誰も不備だと言わなかった」

 ユリアーネが、るい(・・)を見た。

「……お嬢樣」

「協会が、二年経って急に規程を思い出すか」

「……」

「誰かが、言わせたのだ(・・・・・・・・・・)


          *


 薬師は、口を開けたまま、るい(・・)を見ていた。

「……お前は、職務を果たした。二年前も、今も。私は一度も、お前を責めていない」

「……ですが、」

()れに、」

 るい(・・)は、ユリアーネの肩から手を離した。

お前が居なくなれば(・・・・・・・・・)相手の思う壺だ(・・・・・・・)

「……」

(いとま)は、認めぬ」

 るい(・・)は、書狀を卓に置いた。

「資格が停止されただけだ。屋敷の厨房は、資格が要らぬ。お前は料理長として、これまで通り此処(ここ)に居ればよい。薬湯は、(わたくし)が処方する。(わたくし)は治療術師ではないが、宮廷咒紋司ではある」

「……お嬢樣」

「一年だ。一年経てば戻る」

 薬師は、その場に膝を突いた。そして、声を上げて泣いた。エルメンガルトが、慌てて薬師を支えた。支えながら、女中頭自身も泣いていた。るい(・・)は、二人を見下ろしながら、静かに息を吐いた。

『……もう一つ、報告があると言ったな』

「エルメンガルト」

「……はい」

「二つ目は」

 女中頭は、涙を拭いながら、懐から一通の書狀を出した。

「……ローゼンハイム閣下より、お茶のお誘いにございます」


          *


 書狀は、丁重であった。春の花が咲きましたので、ぜひご覧頂きたく。ご都合のよろしい日をお知らせくださいませ。どこにも、脅しは書かれていない。るい(・・)は、書狀を蝋燭の前で読み返した。

『……揃えてから、呼んだか』

 紙屋を止め、旅費で時を食わせ、告発で記録を残し、教会への照会を机の上に置き、そして薬師の資格を止めた。その全てが揃った日に、茶に呼ぶ。実に、丁寧な仕事である。これから交わされる会話は、恐らくこうであろう。花の話をし、天候の話をし、そして最後に、何かを求められる(・・・・・・・・)。求められるものが何かは、まだ判らぬ。だが、るい(・・)には一つだけ判っていることがあった。

『……この人は、自分が困っている(・・・・・・・・)

 これだけの手を、これだけ丁寧に、これだけ短期間で打つ。金も、人も、時も掛かる。監査を動かすには参事会に伝手が要る。協会に規程を思い出させるには、協会の誰かを動かさねばならぬ。嫌味を娯楽とする男が、娯楽のためにここまではやらぬ。これは、追い詰められた者の手(・・・・・・・・・・)である。るい(・・)は、筆を執った。そして、返書を書いた。

 お招き、有難う存じます。

 三日後の午後に伺わせて頂きたく存じます。

 書いてから、るい(・・)は蝋燭の炎を見た。三日後。教会への照会が出るまで、あと八日。

『……ローゼンハイム』

 るい(・・)は、筆を置いた。

『……お前の家の帳簿は、どうなっている』


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