第拾肆節『社交』Der vierzehnte Abschnitt : “Gesellschaft”
天環暦2110年01月03日。
招待狀が届いたのは、年が明けてすぐであった。上物の紙である。それも、るいが届け出書に使ったものより更に上等な、漉きの細かい紙であった。縁に欠環の意匠が空押しされている。文面は儀礼的で、要点は三行しかない。皇宮において冬の宴を催すこと。宮廷咒紋司十三座は列席すべきこと。日時。
「……宴か」
るいは、招待狀を卓に置いた。ルイーゼの記憶を探る。冬の宴は年に一度、皇帝の名で催される。列席するのは帝都に在る貴族と、宮廷の役職者。数百人規模の大きなものである。ルイーゼは、三度招かれて、三度とも欠席していた。理由は簡単である。咒紋の研究の方が面白かったからだ。
「……欠席は、できんな」
今度は、そうもいかぬ。半年の巡察を終えて帰った直後である。報告書は百八十七枚出した。第三座から次の任務を示唆されている。──この時期に宴を欠席すれば、「相変わらず宮廷に出てこぬ」という評が固まる。そしてるいには、今、宮廷に用がある。残り三十州を測るには、金が要る。莫大に要る。ブルクマイアからの借りは既に膨らんでおり、家計は底を突き、屋敷の銀器は半分売った。金の出所を探すには、金のある場所に行かねばならぬ。
「エルメンガルト」
「はい」
「宴に出る」
女中頭の顔が、輝いた。
「漸く!」
*
それから宴までの十日は、るいの人生で最も無益な十日であった。衣裳が無い。正確に言えば、ルイーゼの衣裳はある。三年前に仕立てたものが二着。ところが、これが入らぬ。肩幅と背丈が変わっている。かつての大改造で背を伸ばし、その後の鍛錬で全身の筋が付いた。腰は細くなり、肩と背は広くなり、腕は締まった。結果として、咒紋司の令嬢の体型ではなくなっていた。
「……これは、直せません」
エルメンガルトが、三年前の衣裳を持って、断言した。
「切って詰めるのではなく、足さねばなりませぬ。肩に、背に、腕に。其の分の布が、家にございません」
「新調は、いくらだ」
「上等なもので、上物の紙、千二百枚分ほどかと」
「……」
「安く上げましても、四百枚分は」
「……」
るいは、天井を仰いだ。結局、アンネゲルトが解決した。乳母は自室の長持から、古い衣裳を一着持ってきた。ルイーゼの母のものであった。
「お母上樣が、ご結婚の前にお召しになったものにございます。……お亡くなりになってから、私がお預かりしておりました」
薄い藍色の絹である。仕立ては二十年以上前のもので、意匠は今の流行ではない。だが、生地は上等で、保存も良い。そして、寸法が合った。るいは、袖を通してみた。鏡の中に、見たことのない女が立っていた。
『……』
ルイーゼの記憶に、母の顔は薄い。十歳の年に死んでいる。病であった。だが、鏡の中の顔は、其の薄い記憶と、よく似ていた。
「……アンネゲルト」
「はい」
「似ているか」
乳母は、しばらく答えなかった。それから、袖で目を押さえた。
「……ええ」
*
皇宮の大広間は、るいが想像していたよりも遥かに明るかった。壁際には、古代帝圀の遺物らしい恒久灯が幾つも嵌め込まれ、術者の手を借りずに淡い白光を返している。その間を埋めるように、燭台が数え切れぬほど並んでいた。しかも、その火入れにまで咒紋が使われている。給仕が『灯火』を組んで火を入れているのだ。火打石でも足りる作業である。だが、咒紋の使える給仕を置けるということ自体が、この場では意味を持つ。古代の恒久灯は便利ではあるが、決まった場所で、決まった光を返すだけである。天井近くには、それとは別に色を投げる仕掛けがあった。『閃光』を極端に弱めた紋である。淡い金と薄紅の光が、緩やかに床を移ろってゆく。
『……常設の灯があるのに、これを一晩やるのか』
るいは、咒眼で天井を視た。紋が、十六。それを維持している咒紋司が、恐らく四人。交代しているであろうから、一晩で十人以上。全員、免許を持つ咒紋司である。この帝國に千人足らずしか居らぬ、あの咒紋司である。彼らが一晩、天井に色を投げている。
『……』
東部の村を思い出した。鍛冶屋が『熾』一つで一生食っている村。産婆が『止血』と『鎮痛』だけを覚えている村。水番が『探知』で水脈を探し、村で最も尊敬されている村。そして、咒紋が全く届かず、水車を回して粉を挽いている村。
『……いや、やめておこう』
るいは、其の思考を止めた。考えたところで、この場で何かが変わるわけではない。それに──この光は、美しい。美しいものを美しいと思わずに、何が學者か。
*
最初に声を掛けてきたのは、ローゼンハイム“Rosenheim”帝國伯であった。四十代半ば…中背で、姿勢が良い。衣裳は上等だが、派手ではない。上等であることが判る者にだけ判る、という類の上等さである。彼は、実に丁重に一礼した。
「これは、シュタインエック伯令嬢」
「ローゼンハイム閣下。ご無沙汰致しております」
「……いや、失礼」
男は、僅かに首を傾げた。
「ツゥ、ではございませんでしたな。つい癖で」
るいは、微笑んだ。
「はい。フォン・シュタインエックにございます」
「これは重ね重ね。年を取ると、どうも古い方の呼び方が出てまいりましてな。……お許しくださいませ」
「お気になさらず」
ルイーゼの記憶によれば、この男はこれを六度やっている。六度とも、初めて間違えたような顔をして。
「巡察に出られたと伺いました。半年、東の方に」
「はい」
「ご苦労なことでございますな。……あちらは、宿も悪うございましょう」
「宿は、悪うございました」
「は、は。正直なお方だ」
男は、扇を軽く広げた。
「ところで、其のお衣裳」
「……はい」
「懐かしい仕立てにございますな。二十年ばかり前でございましょうか」
るいは、返事をしなかった。返事をせずとも、男は続けた。
「良い生地でございます。ええ、実に。……近頃はああいう織りをする所が減りましてな。今時、あの仕立てで宴に出られるお方は、そう居られませぬ」
実に丁重な口調であった。一言も、罵っていない。
「……有難うございます」
るいは、頭を下げた。
「母のものにございます」
「おお。其れは」
男の扇が、一瞬止まった。
「……其れは、失礼を申し上げました」
彼は、深く一礼して去っていった。去り際の背中に、僅かな不満が見えた。
『……当たり所が悪かったな』
るいは、内心で少し笑った。嫌味を言う者は、相手が傷つくことを期待している。母の形見だと言われれば、これ以上は続けられぬ。──其の程度の分別はある男なのだ。もっとも。
『……次は、もっと上手くやってくるだろう』
*
二人目は、若かった。十七か、そこらである。長身で、金髪で、姿勢が良く、そして──表情が、実に明るかった。
「シュタインエック嬢」
彼は、るいの前に立つと、屈託なく名乗った。
「ヴァルトエッケ“Waldecke”城伯家の、ユリウス“Julius”と申します。当主代行を務めております」
「ご丁寧に。フォン・シュタインエックのルイーゼにございます」
「存じております。宮廷咒紋司でいらっしゃいますね。第十三座」
「はい」
「其れも、十三の御年で」
若者の目が、輝いた。
「実に、驚くべきことでございます。學院を十一で首席卒業なさったとも伺いました。私は十七ですが、まだ中等課程を出たばかりでして。……いや、比べるのも烏滸がましいのですが」
悪意は、無かった…全く無かった。彼は、心の底から感心していた。
「其れで、あの、失礼でなければ伺いたいのですが」
「何なりと」
「咒晶石は、買われたものと伺いました」
るいの背後で、誰かが小さく息を呑んだ。ユリウスは、気付かなかった。
「買われた石でも、あそこまで行けるものなのですね」
彼は、感嘆の口調で、そう言った。
*
周囲が、静かになった。るいの左手側で、扇が二つ、同時に開いた。貴婦人の作法である。話が聞こえていないふりをするための道具である。開いた扇の向こうで、二人が確実に聞いている。ユリウスは、まだ気付いていない。彼にとって、其れは事実の確認であった。この帝國において、貴族の子は乳児期に咒晶石を額に埋める。石は遺跡からしか出土せぬ。古い家は代々の石を相続で受け継ぐ。持たぬ家は、買う。買った石で咒紋司になることは、合法である。合法であり、そして、蔑まれる。
ユリウスは、蔑んでいなかった。彼はただ、買った石は劣るという前提を疑ったことが無いだけである。幼い頃から、我が家は皇帝に北道の要城を預けられた由緒ある城伯家であると教えられて育った。称号伯を軽んじるのが当然だと、考えたことすら無い。だから、感嘆できるのだ。劣った石であそこまで行ったのは凄い、と。るいの中で、常磐塁が、静かに何かを組み立てていた。言い返す言葉なら、幾らでもある。
この若者は十七で、中等課程を出たばかりで、当主代行でありながら爵位の何たるかも判っていない。領邦伯だの称号伯だの、五十年前に皇帝家が財政に窮して称号を売ったという、其れだけの話ではないか。そもそも遺跡から掘り出した石を有難がるのは、掘った者が偉いのであって、相続した者が偉いのではない。言えば、この場でこの若者は黙るであろう。周囲も、るいの勝ちだと思うであろう。そして──
『……何も、変わらん』
十七年、るいは予算会議で耐えてきた。教授の一言に耐え、事務局の窓口で耐え、企業のスポンサーの前で耐えた。言い返せば気は晴れる。晴れるが、次の予算は付かぬ。言い返して勝った者は、其の場で勝って、後で全部失う。其れを、彼は幾度も見た。そして、黙って耐えた者が、三年後に装置を手に入れているのも、見た。
「はい」
るいは、静かに答えた。
「祖父が、屋敷一つ分の金で買いました」
ユリウスが、僅かに目を瞬いた。
「東の遺跡から出た石を、他家が掘り当てたのを、祖父が買い戻したそうにございます。三年かけて発掘権を買い、掘り当てたのは別の家で、其れを買った。……随分と、遠回りをしたものだと思います」
「……は、はあ」
「其の石で、私は今、此処に立っております」
るいは、微笑んだ。何の含みも持たせなかった。
「ヴァルトエッケ卿は、代々の石でいらっしゃいますね」
「……はい。八代前からのものと聞いております」
「其れは、羨ましいことにございます」
若者は、口を開いたまま、何も言えなかった。彼は、返事を予想していなかったのである。感嘆に対しては、謙遜が返ってくるものだと思っていた。あるいは、気を悪くした顔が返ってくるかとも思っていた。──そのどちらでもなかった。目の前の少女は、事実を淡々と述べ、そして自分の石を羨ましいと言った。嫌味ではなかった。嫌味でなかったことが、彼を最も困惑させた。
「……失礼を、申し上げましたでしょうか」
「いいえ」
るいは、首を振った。
「事実にございますので」
ユリウスは、しばらく立ち尽くしていた。それから、ぎこちなく一礼して去っていった。背中が、来た時より小さく見えた。
*
三人目は、何も言わなかった。大広間の中程で、るいは一人の老人とすれ違った。五十代半ば…長身で、痩せている。白いものの混じった髪を短く刈り、装飾の一切無い黒の衣裳を着ていた。この場に居る誰よりも、地味であった。そして、この場に居る誰よりも、道を空けられていた。アルトフェルス“Altfels”辺境伯。八百年にわたり北辺を守ってきた辺境伯家。北の山間の州を治める。帝國議会において、称号伯の議席剥奪を三度提案し、三度否決された男である。るいは、道の脇に寄り、頭を下げた。
「アルトフェルス閣下」
老人は、足を止めた…そして、るいを見た。
「……シュタインエック伯令嬢」
丁重であった。声にも、目にも、蔑みは無い。無礼な素振りも一切無い。
「巡察、ご苦労であった」
「有難うございます」
「東部は、道が悪い」
「……はい」
「峠で賊が出たと聞いた。無事で何よりだ」
「……お耳が早うございます」
「州兵の報告が、議会に回ってくる」
老人は、それだけ言った。そして、頭を下げ返した。礼として、完璧であった。爵位の上下を踏まえた、寸分の隙も無い一礼である。それから、老人は歩き出した。るいの脇を通り、そのまま行ってしまった。るいは、その背中を見送った。
『……』
罵られた方が、まだ良かった。ローゼンハイムは嫌味を言った。嫌味を言うということは、こちらを認識しているということである。ヴァルトエッケは無邪気に踏んだ。踏むということは、目の前に居ると認めているということである。アルトフェルスは、礼を尽くした。尽くして、行ってしまった。あの老人にとって、るいは「議席の数合わせ」である。挨拶をすべき相手ではあるが、話をすべき相手ではない。言葉を交わす価値が無い、と判断されている。しかも──
『……あの人は、正しい』
シュタインエック家は、五十年前に金で帝國伯の称号を買った家である。爵位に付随する領邦は無く、議会に議席だけがある。議会に出ても、発言する者は稀である。実際、ルイーゼも父も、一度も発言していない。八百年、辺境を守り、税を納め、兵を出してきた家から見れば、其れは不正である。あの老人は、私怨で言っているのではない。制度の問題として、言っている。
『……あれを落とすのが、一番遠いな』
*
宴の後半、るいは壁際に退いた。金の話をする相手を探していたのだが、まるで見つからなかった。当然である。この場に居るのは、金を持っている者と、持っているふりをしている者だけである。持っていない者に金を出す理由が無い。しかもるいは、借りに来たという噂が既に立っているらしかった。半年の巡察、家計の逼迫、銀器の売却。──貴族社会は、こういう情報だけは異樣に速い。
『……口はただ、か』
ヴィルフリートの言葉を思い出した。書記の世界だけではない。この世界の全ての階層で、口は紙より速いのだ。壁に背を預けて、るいは広間を眺めた。そして、其の時、広間の中央がざわめいた。
*
人の波が割れて、一人の女が入ってきた。二十歳前後であろうか。豊かな栗色の髪を高く結い上げ、深い緑の衣裳を着ている。仕立ては最新であり、生地は最上であり、宝飾は多すぎず少なすぎず、そして──歩き方が違った。背筋が伸びている。顎の角度が一定である。歩幅が変わらぬ。幼い頃から、そう歩くように育てられた者の歩き方であった。周囲が、彼女を見た…全員が、である。女は、其れを当然のこととして受け止め、微笑み、そして進んだ。
『……ああ』
るいは、ルイーゼの記憶を探った。すぐに見つかった。名前を知らぬ者は、この帝國の社交界に居らぬ。ダニエラ嬢。『麗しの華』と謳われる、当世の名高い美姬である。るいは、純粋に感心して其の姿を眺めていた。人が美しいという現象を、咒眼で観察したことは無い。試みに視てみた。骨格が、極めて対称であった。頭蓋も、脊柱も、四肢も。生まれつきである。これを咒紋で作ろうとすれば、るいが丸一日かけてやったことを、更に精密にやらねばならぬ。筋の付き方も、均等であった。片側だけを使う癖が無い。生まれてこの方、正しい姿勢で歩き続けた結果である。
『……見事なものだな』
と、そこまで観察して、るいはふと妙なことに気付いた。ダニエラ嬢が、こちらを見ている。いや、こちらに歩いてきている。
「……」
るいは、壁から背を離した。女は、るいの前で足を止めた。そして、まじまじと、るいの顔を見た。不躾なほど、まっすぐに。
「……失礼」
女は、我に返ったように一礼した。
「ダニエラと申します」
「フォン・シュタインエックのルイーゼにございます」
「存じております。……いえ、」
女は、少し困ったような顔をした。
「存じておりませんでした、と申し上げるべきかもしれません」
「……は」
「三年ほど前に、一度お目にかかっております。其の折の貴女樣と、今の貴女樣が、結びつきません」
るいは、返答に窮した。その頃のルイーゼは、十二、三の娘である。學院を出て間もなく、社交界には殆ど出ていない。ダニエラは、続けた。
「先ほどから、皆が貴女樣を見ております。其れも、値踏みではなく、困惑で」
「……困惑」
「貴女樣が、何処の誰か判らぬのです」
女は、扇を開いた。開いて、口元を隠した。そして、扇の陰で、声を落とした。
「……貴女樣、何をなさいました」
*
るいは、しばらく答えなかった。この女は、鋭い。周囲の貴族たちは、るいの変化を「病から回復した」「痩せた」「衣裳が違う」程度に処理している。ローゼンハイムは衣裳を突き、ヴァルトエッケは石を突いた。どちらも、目の前の変化そのものには触れていない。この女だけが、変化そのものを見ている。そして、其れが説明のつかぬ変化であることを、正確に見抜いている。なぜ見抜けるのか。
『……この人は、其れが商売だからか』
美しさで名を成した女である。十六の年から社交界に出て、人の顔と姿を見続けてきたはずだ。誰の骨がどう並び、誰の肌がどうで、誰が何を直したか。この帝國に、治療術師の次に人の体を見ている者が居るとすれば、其れは社交界の頂点に立つ女であろう。
「……咒紋にございます」
るいは、答えた。隠しても仕方が無い。既に咒紋府に八十九件届け出て、受理され、紋帖に収録されている。公開情報である。
「事故の後、寝たきりになりまして。骨が折れておりましたので、其れを治すついでに、元からあった歪みを直しました。背骨と、頭蓋と、噛み合わせを」
「……咒紋で」
「はい」
「治療術師に伺いましたが、其れは何年もかかるものだと」
「一日で致しました」
ダニエラの扇が、止まった。
「……一日」
「はい」
「一日」
「はい」
女は、扇を閉じた。そして、るいの腕を掴んだ。驚くほど強い力であった。
「……お話を、伺えますか」
「あの、」
「今」
*
その晩、るいが屋敷に帰ったのは、明け方であった。大広間の隅の小部屋に引きずり込まれ、二刻にわたって質問攻めにされたのである。骨をどう動かすのか。痛みはどうするのか。危険は無いのか。誰にでもできるのか。費用はいくらか…咒晶石が要るのか。要るなら、持たぬ者はどうなるのか。ダニエラの質問は、極めて具体的で、極めて実務的であった。そして、るいは途中で気付いた。この女は、自分のために訊いているのではない。
『……誰か、居るのか』
訊かなかったし、訊く場面ではなかったし、最後に、ダニエラは言った。
「……近日中に、お屋敷に伺っても宜しいでしょうか」
「狭い屋敷にございますが」
「構いません」
女は、初めて、社交の顔ではない顔で笑った。
「……あの、シュタインエック樣」
「はい」
「先ほど、皆が貴女樣を困惑して見ていると申し上げましたが」
「はい」
「訂正致します」
ダニエラは、扇で自分の頬を軽く叩いた。
「明日から、羨望で見られます」
「……は」
「私が、そう仕向けますので」
*
馬車の中で、エルメンガルトが心配そうに言った。
「……帝國伯令嬢。お疲れではございませんか」
「疲れた」
「其れは、もう。……いかがでございましたか、宴は」
るいは、窓の外を見た。空が白み始めている。
「三人に、蔑まれた」
「……」
「一人は嫌味を言い、一人は無邪気に踏み、一人は礼を尽くして通り過ぎた」
「……申し訳ございません」
「なぜお前が謝る」
「……」
「其れから、」
るいは、母の形見の袖を撫でた。
「一人に、掴まれた」
「掴まれた、とは」
「腕を」
女中頭は、目を丸くした。
「其れは、どなたが」
「ダニエラ嬢だ」
エルメンガルトが、馬車の中で悲鳴に近い声を上げた。るいは、耳を塞いだ。
『……金の話は、一つもできなかったな』
思いながら、るいは目を閉じた。半年の巡察と、百八十七枚の報告書と、一晩の宴。得たものは、腕を掴んだ女が一人。それが、後に何を意味するかを、此の時のるいはまだ知らなかった。




