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るい's Journey!  作者: コリドラスA
第一章『咒紋府』
14/19

第拾參節『帰還』Der dreizehnte Abschnitt : “Rückkehr”

天環暦2109年12月01日。


 都に戻ったのは、初冬であった。六月の巡察である。出立の朝には青かった街道の並木が、帰りには裸になっていた。荷馬車の車輪は二度替え、馬は一頭潰した。エルメンガルトは日に焼け、コンラートは三度腹を壊し、るい(・・)は痩せた。荷は、増えていた。行きは測定器具と中物の紙五百枚であった。帰りは、記録の綴りが二十七冊。中物の紙は、一枚も残っていない。オストハウプトの城門を潜った時、るい(・・)は馬車の窓から都を見た。咒眼(ツァウバアウゲン)に、咒氣(エーテル)の層が()える。厚い。東部で二枚か三枚しかなかった層が、都では数え切れぬほど重なっている。掌を開けば灯が点く。潜行(ドゥルヒガング)も組める…氷も作れる。

『……戻ってきたな』

 半年ぶりに、るい(・・)は自分の武器を取り戻した。だが、()れを喜ぶ気持ちは、思ったほど湧かなかった。半年、無力であった。無力であったからこそ、()えたものがある。


          *


 屋敷の門で、アンネゲルトとユリアーネが待っていた。二人とも、るい(・・)の顔を見た途端に泣いた。それからエルメンガルトを見て、また泣いた。エルメンガルトは「みっともない」と言いながら、眼鏡の位置を七回直した。その晩は、ユリアーネが半年分の料理を出した。るい(・・)は三口で腹が一杯になり、ユリアーネに叱られた。翌朝から、るい(・・)は自室に籠った。報告書を書くためである。


          *


 巡察報告書の書式は、決まっている。州ごとに一枚。所在、所長、書記の数、台帳の狀態、咒源の測定値、特記事項。十七州で、十七枚。これが、これまでの巡察報告書であった。咒紋府(ミニステリウム)の書庫に、過去二百年分がある。るい(・・)は出立前に全て読んだ。どれも十枚から二十枚ほどで、内容は似通っている。台帳の不備を指摘し、所長の不在を報告し、そして「咒源に異常なし」と結ぶ。異常あり、と書かれた報告書は、二百年で三通しかなかった。いずれも咒源が完全に消えた事例である。

『……当たり前だな』

 異常があるかどうかは、比べねば判らぬ。過去の値と比べるし、他の州と比べるし、季節で比べる。──そのいずれもやらねば、目の前の数字が高いのか低いのかすら判らぬ。これまでの巡察は、行って、測って、書いて、帰ってきた。比べていない。比べる材料が無かったからである。今、るい(・・)の手元には、材料がある。


          *


 まず、表を作った…横に十七州、縦に年。過去の測定記録から拾えるだけ拾い、格子の中に値を書き込む。空欄だらけであった。十年に一度しか測っていない州が大半である。四十年前と二十年前の二つしか値が無い州もある。フェルゼンハント州に至っては、四十年前、二十年前、そして今回の零、の三つしかない。埋まっているのは、ベルクフォルム州だけである。四十一年分、毎年四回。百六十四の値が、隙間なく並んでいる。るい(・・)は、その一列を、(しばら)く眺めていた。

『……この一列が、物差し(・・・)になる』

 他の州は、点でしか値が無い。点だけでは線が引けぬ。だが、ベルクフォルム州には線がある。四十一年分の連続した線がある。その線の形が判れば、他の州の点を、その形に当てはめて推測できる。るい(・・)は、ベルクフォルム州の百六十四の値を、方眼の紙に打点し始めた。横軸に年…縦軸に測定値…半日かかった。打ち終えて、るい(・・)は紙を持ち上げ、目を細めた。波が、()えた。


          *


 毎年、上下している。夏に上がり、冬に下がる。振れ幅は、およそ二割。その波が、四十一年分、ずっと続いている。そして──波全体が、ゆっくりと下がっている。四十一年で、およそ二割五分。

『……季節の波の上に、長期の下降が乗っている』

 これが、この州の咒源の姿であった。毎年上下しながら、少しずつ痩せてゆく。るい(・・)は、この形を「基準の形」と決めた。そして、他の十六州の点を、同じ紙に重ねていった。半分は、この形に乗った。乗らぬものが、五州あった。


          *


 その五州は、二種類に分かれた。一つは、フェルゼンハント州である。二十年前まで基準の形に乗っており、そして今、零。途中で、垂直に落ちている。もう一つが、るい(・・)を戸惑わせた。残る四州は──下がり方が速い(・・・・・・・)。基準の形は四十一年で二割五分の下降である。この四州は、判っている限りの年数から計算すると、四割から五割の下降になる。しかも、四州とも、フェルゼンハント州の周りにあった。るい(・・)は、東部十七州の地図を広げた。そして、五州に印を付けた。中央に、消えた咒源。その周囲を囲むように、下降の速い四州。

『……』

 るい(・・)は、筆を置いた。部屋が、静かであった。窓の外はもう暗く、蝋燭が一本、机の上で燃えている。

『……近い方が、速い』

 距離と、下降の速さに、関係がある。これは、偶然ではない(・・・・・・)。咒源が一つ死ぬと、その周囲の咒源も痩せる。近いほど強く、遠いほど弱く。るい(・・)は、地図を見つめた。

『……繋がっているのか』

 咒源は、独立した泉ではない。互いに繋がっている。一つが死ねば、他が引きずられる。通説は、こう説く。咒源は自然に湧く泉であり、涸れることもある。泉が涸れるのと同じ、自然の摂理である。泉は、隣の泉が涸れたからといって、痩せぬ。

『……これは、泉ではない』

 るい(・・)は、椅子の背に体を預けた。天井を見上げた。そして、常磐塁の頭の中で、ある形が浮かび上がった。繋がっていて、一つが落ちると周りが引きずられ、近いほど影響が強く、そして──全体として、(・・・・・・)使われると厚くなり、(・・・・・・・・・・)使われぬと痩せる(・・・・・・・・)

『……網だ』

 ()れは、泉の集まりではない。網である。どこかで、誰かが張った(・・・・・・)網である。


          *


 報告書は、百八十七枚になった。書式通りの十七枚から始まる。所在、所長、書記の数、台帳の狀態、測定値、特記事項。此処(ここ)までは前例通りである。問題は、その後であった。十八枚目から、るい(・・)は「附」と題した部を付けた。附一、測定手法について。

   ヨストの器具を用いた測定の説明。目盛りの癖と、その補正の方法。

   同じ器具で測ることの重要性。

 附二、季節変動について。

   夏に高く冬に低い。振れ幅二割。四十一年分の記録より。

   これまでの巡察が季節を揃えていないため、

   過去の測定値は相互に比較できぬこと。

 附三、長期下降について。

   基準の形。四十一年で二割五分の下降。

 附四、異常の五州について。

   消失した一州と、下降の速い四州。

   その位置関係。距離と下降速度の相関。

 附五、考察。

   咒源は独立した泉ではなく、相互に連関する系である可能性。

 そして、方眼の紙に打点した図を、三十枚。るい(・・)は、これを描くのに一月かけた。数字を絵にするという発想は、この帝國に無い。書物には表がある。数字を縦横に並べたものである。だが、()れを線にして、形として()るという発想が無い。ゆえに、誰も波に気付かなかった。紙は、また足りなくなった。ブルクマイアから借りた。


          *


 百八十七枚の報告書は、咒紋府の届け出窓口ではなく、第四座の台帳係を通して提出された。規程上、巡察報告書はそこに出す。台帳係の書記が、束を受け取った時、両手が沈んだ。

「……帝國伯令嬢(ライヒスグレフィン)

「うむ」

()の、失礼ながら、これは」

「巡察報告書だ」

「……はい」

「十七州分」

「……はい」

 書記は、束の厚みを見た。それから、るい(・・)を見た。

「……前回の巡察報告書は、十四枚にございました」

「知っている。読んだ」

「……」

「厚くて済まん。だが、削れなかった」

 書記は、受領の判を押した。


          *


 誰も、読まなかった。これは、るい(・・)の予想通りであった。巡察報告書は、台帳係が保管し、必要に応じて関係する座に回付される。関係する座とは、この場合、氣學すなわち第十三座である。第十三座は、るい(・・)である。つまり、自分に回付された(・・・・・・・・)。書式上、正しい。誰も間違えていない。るい(・・)は、届けられた自分の報告書の束を執務室で受け取り、受領の判を押し、書棚に収めた。執務室には、るい(・・)一人しか居ない。窓から、冬の光が入っている。

『……まあ、そうなるよな』

 これも、覚えがある。誰も読まぬ報告書、誰も来ぬ発表、引用されぬ論文。ヨストと、同じである。いや──ヨストは四十一年やった。るい(・・)はまだ一度目である。

『……文句を言える立場か』


          *


 ところが、事は、そう終わらなかった。三日後、第三座から呼び出しが来た。紋學統括。この帝國に現存する紋の九割が頭の中にあると言われる、四十を少し越えた女である。名をヒルデガルト“Hildegard”と言った。執務室は、るい(・・)のものより広く、そして書棚の並びが美しかった。全ての綴りの背が揃い、埃一つ無い。その卓の上に、るい(・・)の報告書が広げられていた。三十枚の図が、卓一杯に並べられている。

 ヒルデガルト自身も、部屋とよく似ていた。濃色の上衣に装飾は殆ど無く、髪も仕事の邪魔にならぬよう後ろでまとめている。ただし、留め具から逃げた細い一房だけが頬の横に残っていた。香水の匂いはしない。近くまで来て初めて、乾いた紙と革装丁と、消したばかりの蝋燭の匂いが衣服に染みついているのが判る。

「……座って」

 少し低く、掠れた声だった。女は、るい(・・)を見もせずに言った。そして、図の一枚を指した。

「これは、何」

「ベルクフォルム州の、四十一年分の測定値にございます」

()れは読んだ。私が訊いているのは、」

 女は、初めて顔を上げた。目が、赤い。

この書き方(・・・・・)は、何」


          *


 るい(・・)は、面食らった。

「……図にございますが」

「図」

「はい。横に年を取り、縦に値を取り、()の交わる所に点を打ちます。点を繋げば、線になります」

()れは見れば判る」

 ヒルデガルトは、図の一枚を持ち上げた。

「私が訊いているのは、なぜこの書き方をしよ(・・・・・・・・・・)うと思ったのか(・・・・・・・)ということ」

「……なぜ、と申されますと」

「数字を、形にしている」

 女は、図を卓に戻した。そして、指で線をなぞった。線を追う時だけ、指先の動きが妙に遅かった。紙の上の形を、読むというより味わっているようにも見える。

「私は二十年、紋を見てきた。紋とは、形。形には意味がある。同じ形は同じ働きをし、違う形は違う働きをする。()れが紋學」

「はい」

「この線も、形」

 ヒルデガルトは、指を止めた。

「……数字には意味が判らなかったものが、形にすると意味が判る。私は昨夜、()れを見て、三刻で四十一年分を理(・・・・・・・・・・)解した(・・・)。数字の表で読んでいたら、十日かかっても判らなかった」

「……」

「これは、()

 女は、るい(・・)を見た。

「何処で覚えたの」

 るい(・・)は、答えに詰まった。覚えたわけではない。当たり前だったのだ。数字が並んでいれば、絵にする。塁の世界では、子供が学校で習う。だが、此処(ここ)では違う。

『……そうか。これも、無いのか』

 るい(・・)は、この半年で二度目に、自分と彼らの間の溝の形を、正確に見た。一度目は、系統をまたぐという発想の欠落であった。二度目が、これである。数字を形にするという、ただ()れだけのことが、この帝國に無い。

「……独學にございます」

「独學」

「はい」

「……そう」

 ヒルデガルトは、それ以上訊かなかった。訊く代わりに、図の別の一枚を指した。

()の五州」

「はい」

「消えた咒源の周りが、痩せている」

「はい」

()れを、あなたは相互に連関する系だと書いた」

「はい」

「……根拠は」

「距離と、下降の速さに関係がございます。近い州ほど速い」

「四州で」

「四州で」

 女は、しばらく黙っていた。それから、率直に言った。

「……足りない」


          *


「四州では、足りない。偶然でそうなることもある」

「……仰る通りです」

()れを判っていて、書いたのね」

「はい」

「なぜ」

「他に説明がつきませんでしたので」

 るい(・・)は、正直に答えた。

「泉が涸れるという説では、周りが痩せる理由が説明できません。泉は、隣の泉が涸れても痩せませぬ。……ですが、私の説も、四州しか根拠がございません。ゆえに『可能性』と書きました」

()れで良い」

 ヒルデガルトは、頷いた。

「言い切っていたら、私はあなたを馬鹿だと思っていた」

「……」

可能性(・・・)、と書いたから、読んだ」

 女は、卓の上の図を一枚ずつ集め始めた。手つきが、ひどく丁寧であった。紙を扱う手ではない。紋を扱う手であった(・・・・・・・・・)

「……シュタインエック」

「はい」

「東部十七州だけでは、足りない」

「……はい」

「帝國には、四十七州ある」

 ヒルデガルトは、集めた図を揃えて、卓の端に置いた。

「残り三十州を測れば、根拠になる」

 るい(・・)は、顔を上げた。

「……第三座」

「何」

()れは、六月ではきかぬ旅にございますが」

「知っている」

「紙も、足りませぬ」

「……」

 女は、初めて、ほんの僅かに笑った。

()れは、あなたの問題」


          *


 その日の夕方、るい(・・)は咒紋府の廊下を歩いていた。一階の西の端、届け出窓口の前を通る。高い机の向こうに、ヴィルフリートが座っていた。半年ぶりである。書記は顔を上げ、そして──手を止めた(・・・・・)

「……お帰りなさいませ」

「ただいま戻りました」

「……日に、焼けられましたな」

「東は、日が強うございました」

 ヴィルフリートは、少し言い淀んだ。それから、机の上を軽く指で叩いた。

「……ベルクフォルムの、爺さんの件でございますが」

 るい(・・)は、足を止めた。

「……ご存知ですか」

「聞いております」

誰から(・・・)

「……ええ、まあ」

 書記は、答えなかった。答えなかったが、()の目は、僅かに笑っていた。

「……三月ほど前から、皆、存じております」

 るい(・・)は、少し驚いた…巡察の途中である。るい(・・)がベルクフォルム州を出たのは四月前だ。都に戻ったのは半月前である。情報が、るい(・・)より速く帰ってきていた。

「……早いですね」

「紙は高うございますので」

 ヴィルフリートは、静かに言った。

「口は、ただにございます」


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