第7話 常陸の鬼、佐竹義重
「……小田氏治が、また城を取り返したか。」
常陸北部・太田城。
静まり返った広間で、一人の武将が報告書を机へ置いた。
佐竹義重。
後に「坂東太郎」「常陸の鬼」と恐れられる名将である。
義重は静かに口元を緩めた。
「面白い男だ。」
怒りではない。
呆れでもない。
純粋な興味だった。
上杉輝虎ほどの名将が二度攻めても、小田氏治は戻ってくる。
その理由を義重は冷静に分析していた。
「小田の強さは城ではない。」
「人だ。」
「ならば、人を崩せばよい。」
その一言で作戦は決まった。
永禄十二年(1569年)。
義重は軍を動かさなかった。
まず動いたのは、忍びだった。
「氏治様は立派なお方だ。」
「だが、このままでは小田家は滅びる。」
「佐竹へ参れば家も領地も守られる。」
甘い言葉が、小田家臣たちの耳へ届く。
戦に敗れ続けた家臣たちは迷った。
氏治を慕っている。
しかし家族も守らねばならない。
その迷いを、義重は待っていた。
一人。
また一人。
小田家臣団に、小さな亀裂が生まれる。
十一月。
義重はようやく軍勢を南へ進めた。
迎え撃つ氏治は、筑波山麓の手這坂へ布陣する。
「皆、踏ん張ろう!」
「今度こそ、小田を守る!」
兵たちは応えた。
「おおっ!」
両軍が激突する。
その瞬間だった。
轟音が山へ響く。
ドォン――
白煙が立ち込める。
鉄砲だった。
佐竹軍は大量の鉄砲を並べ、一斉射撃を始めたのである。
鉛弾が小田兵を次々と撃ち倒す。
「怯むな!」
氏治は自ら馬を進めた。
太刀を振るい、兵を励ます。
その姿に兵たちも奮い立つ。
一時は佐竹軍を押し返した。
しかし義重は慌てなかった。
「頃合いだ。」
その一言と同時に、小田軍の後方が騒然となる。
「佐竹へ参る!」
調略されていた国人たちが戦列を離れた。
さらに一部は佐竹方へ走る。
味方だった者が敵になる。
隊列は崩れた。
「な……!」
氏治は目を疑う。
昨日まで酒を酌み交わしていた家臣が、槍をこちらへ向けている。
そこへ再び鉄砲隊。
轟音。
白煙。
鉛弾。
小田軍は耐え切れなかった。
手這坂は敗走する兵で埋まり、戦は決した。
小田城は四度、落ちた。
氏治は藤沢城へ向かう。
馬を進めながら、誰にも聞こえぬ声でつぶやく。
「私が……悪かったのか。」
今までは力負けだった。
だから笑えた。
しかし今回は違う。
信じた者に去られた。
その痛みは刀傷より深かった。
「殿など、向いておらぬのかもしれぬ。」
夕暮れの藤沢城。
氏治が門をくぐると、待っていた家臣たちが一斉にひざまずいた。
「氏治様!」
「ご無事で!」
泥だらけの氏治は苦笑した。
「また負けてしまった。」
「皆に申し訳ない。」
すると菅谷政貞が顔を上げる。
「何を仰います。」
「裏切った者は己の都合で去っただけ。」
「我らは違います。」
「氏治様がおられるから、小田家臣なのです。」
その言葉に周囲もうなずいた。
城では領民たちが敗兵へ粥を配っている。
傷を洗い、水を運ぶ。
誰一人、氏治を責める者はいなかった。
氏治は熱い粥を受け取る。
しばらく黙ってすすり、ふっと笑った。
「……旨いな。」
政貞も笑う。
「また城を取り返した後なら、もっと旨い粥になります。」
その言葉に家臣たちも笑い始めた。
氏治もようやく笑った。
「そうだな。」
「鬼に好き勝手はさせられぬ。」
「もう一度、小田へ帰ろう。」
夕日に照らされた藤沢城に、小さな笑い声が広がっていく。
四度目の落城。
それでも氏治の心は、まだ折れてはいなかった。
むしろ、残った者たちとの絆は、以前よりも強く結ばれていたのである。




