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不死鳥は何度でも這い上がる 〜戦国最弱の愛され国衆・小田氏治のサバイバル〜  作者: 水川仁


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第3話 領民たちの反乱

小田城が落ちて、半月――。


天守には、結城家の旗が風にはためいていた。


勝者となったはずの結城軍は、城こそ手に入れたものの、思わぬ敵に頭を抱えていた。


「年貢が一俵も集まらぬだと?」


城代は机を叩いた。


「何をしておる!」


役人は額に汗を浮かべ、何度も頭を下げる。


「村々を回りましたが……皆、口を揃えて『今年は不作でございます』と申しております。」


「馬鹿を申せ!」


城代は怒鳴った。


「田は黄金色だったではないか! 今年は近年まれに見る豊作だ!」


「その通りにございます……ですが、誰一人として米を出そうとはいたしませぬ。」


城代は言葉を失った。


それだけでは終わらない。


炊事に使う薪は、なぜか湿りきって火がつかない。


井戸を使おうとすれば、水面には汚物が浮いている。


山道の案内を頼めば、毎回違う道へ連れていかれ、半日も無駄に歩かされる。


夜になれば、城壁の外から石が飛んでくる。


だが、見張りが駆けつけても、人影はどこにもない。


犯人は捕まらない。


証拠も残らない。


じわじわと、しかし確実に結城軍だけが疲弊していった。


城代は奥歯を噛みしめる。


「……この土地の者ども、皆敵ということか。」


その答えを知る者は、城の外にいた。


その夜。


城下町の片隅にある小さな酒屋。


農民も、町人も、職人も、肩を寄せ合って酒を酌み交わしていた。


「聞いたか。」


若い百姓が笑う。


「今日も飯が炊けなくて大騒ぎだったそうだ。」


店中がどっと笑いに包まれる。


老人が盃を置いた。


「若殿はな……春になるたび、自分で鍬を持って泥道を直してくださった。」


「ああ。」


鍛冶屋の主人もうなずく。


「祭りの日には、子どもらへ干し柿を配って歩いておられた。」


「そんな殿様、ほかにいるか?」


誰も答えない。


答えは、皆わかっていた。


やがて、一人の女が静かにつぶやく。


「……年貢は渡さねえ。」


その一言に、誰も異を唱えなかった。


武器はない。


鎧もない。


戦う力もない。


だからこそ、自分たちにできる戦いを選んだ。


結城へ従わない。


力を貸さない。


黙って抵抗する。


それだけでいい。


「若殿を城へ戻そう。」


静かな声だった。


だが、その言葉だけは、酒屋にいた全員の願いだった。


一方その頃。


土浦城。


「若殿!」


政貞が慌ただしく駆け込んできた。


その後ろには、一人の少年が立っていた。


泥だらけになりながら、肩で息をしている。


「あっ。」


氏治は目を見開いた。


見覚えがある。


以前、干し柿を渡したあの少年だった。


少年は息を整える間もなく叫ぶ。


「若殿様!」


「みんな待ってる!」


「結城なんかに負けてねえ!」


「早く帰ってきて!」


氏治は呆然と立ち尽くした。


「……俺を?」


政貞が静かにうなずく。


「城下では、領民たちが命がけで抵抗しております。」


年貢を納めぬ村。


湿った薪。


使えなくなった井戸。


夜ごと飛ぶ石。


誰も命令などしていない。


誰かが旗を振ったわけでもない。


それでも、人々は自然と立ち上がっていた。


すべては――小田氏治を迎え戻すために。


氏治は信じられなかった。


「俺は……負けたんだべ。」


ぽつりと漏らす。


「城も守れなかった。」


「みんなを守れなかった。」


少年は首を横に振った。


「違う!」


真っすぐな瞳で氏治を見る。


「若殿様は、若殿様だから!」


その一言だけだった。


氏治の頬を、一筋の涙が伝う。


「……なんでだべ。」


声が震えた。


「俺なんかのために……。」


政貞が静かに頭を下げる。


「若殿。」


「人は、強い者だけについていくものではございませぬ。」


ゆっくりと言葉を続ける。


「あなた様は、戦には負けました。」


「ですが、人の心では、一度も負けておりませぬ。」


部屋は静まり返った。


氏治は両手で顔を覆う。


敗れた日の涙とは違う。


胸の奥から込み上げる、温かな涙だった。


やがて氏治は、静かに立ち上がった。


涙を袖でぬぐい、父から受け継いだ刀へ手を伸ばす。


「政貞。」


「はっ。」


「俺さ。」


少し照れくさそうに笑った。


「やっぱり戦は下手だべ。」


政貞も苦笑する。


「そればかりは否定できませぬ。」


二人は思わず顔を見合わせ、笑った。


その笑みは、敗軍のものとは思えなかった。


氏治はゆっくりと刀を抜く。


刃が静かな光を放つ。


「でも。」


その声は、もう迷っていなかった。


「みんなが待っててくれるなら。」


「俺は何度でも立ち上がる。」


「何回負けても。」


「何回城を失っても。」


「最後まで諦めねえ。」


刀を静かに納める。


そして、いつもの笑顔を浮かべた。


「小田城を取り返そう。」


「……ま、なんとかなるべ。」


政貞は深く頭を下げる。


「御意。」


その姿を見つめながら、政貞は改めて確信した。


この人は、戦の名将ではない。


軍略の天才でもない。


けれど、人の心を惹きつける力だけは、誰にも負けない。


だから家臣は離れない。


だから領民は命を懸ける。


だから――小田家は、何度倒れても終わらない。


その夜。


土浦城から一羽の伝書鳩が夜空へ舞い上がった。


小さな翼が運ぶのは、一通の文ではない。


不死鳥の、最初の反撃だった。

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