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不死鳥は何度でも這い上がる 〜戦国最弱の愛され国衆・小田氏治のサバイバル〜  作者: 水川仁


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第2話 泥まみれの初陣

天文十七年(一五四八年)晩秋。


筑波山から吹き下ろす北風は冷たく、空には重い雲が垂れ込めていた。


小田氏治、十五歳。


当主となって初めての戦である。


相手は結城政勝率いる軍勢。


兵力はおよそ三千。


対する小田勢は、その半分にも満たなかった。


誰が見ても勝敗は明らかだった。


それでも、小田軍は城門を開いた。


「参るぞ。」


氏治は槍を握り、ゆっくり馬を進めた。


その背中を、家臣たちは固唾をのんで見つめていた。


十四で家督を継いだ若殿。


初陣で命を落とすかもしれない。


そんな不安が誰の胸にもあった。


やがて両軍は、小田城の北に広がる田畑で対峙した。


秋の収穫を終えた田には水が残り、前夜からの雨で一面が泥濘となっている。


結城勢が鬨の声を上げた。


「かかれ!」


一斉に槍が前へ突き出される。


大地が震えた。


氏治も刀を抜く。


「前へ!」


小田勢も応じた。


だが、数で勝る結城軍は津波のように押し寄せてくる。


あっという間に前線が崩れ始めた。


「右備えが破られました!」


「左も押されています!」


伝令の叫びが飛ぶ。


若い氏治の胸を、冷たいものが走った。


これが戦か。


稽古とはまるで違う。


目の前で人が倒れ、悲鳴が響き、馬が泥に沈む。


血と土が混じり合い、戦場は一瞬で地獄へ変わった。


その時だった。


激しい雨が降り始めた。


大粒の雨が甲冑を打ち、田はさらに深い泥となる。


馬が足を取られ、兵たちは転び始めた。


結城勢も、小田勢も区別なく泥に呑まれていく。


「殿!」


家臣が叫んだ。


「ここは退きましょう!」


氏治は前を見た。


倒れた兵が泥にはまり、起き上がれずにもがいている。


敵兵が槍を振り上げた。


その瞬間。


氏治は馬を返した。


「助けろ!」


周囲が凍りつく。


「殿!」


「敵が迫っております!」


「構わん!」


氏治は泥へ飛び降りた。


甲冑は瞬く間に泥まみれになる。


倒れていた若い足軽の腕を掴み、力任せに引き上げた。


「立て!」


兵は涙を流した。


「申し訳ございませぬ!」


「謝る暇があれば走らんか!」


氏治は背中を押した。


その姿を見た家臣たちも動いた。


「殿を一人にするな!」


一人、また一人と泥へ飛び込む。


負傷者を抱え、倒れた仲間を引き起こし、肩を貸しながら後退した。


武功など誰も考えていなかった。


ただ、生きて帰る。


それだけだった。


やがて氏治は退却を命じた。


「城へ退く!」


敗走だった。


勝ち鬨は結城勢のものとなる。


小田軍は泥だらけのまま城へ戻った。


城門が閉じられる。


誰一人、勝ったとは思っていない。


初陣は敗北だった。



その夜。


城内は重苦しい空気に包まれていた。


「殿……申し訳ございませぬ。」


家臣たちが頭を下げる。


氏治は首を横に振った。


「皆、生きて帰った。」


それだけでよい。


家臣たちは顔を上げた。


「戦は、またできる。」


氏治は静かに笑った。


「死んでしまえば、次はない。」


広間は静まり返る。


戦国では武功こそが誉れだった。


敵を多く討ち取り、命を惜しまぬ者が名将と称えられる。


だが、この若き当主は違った。


まず、人を生かそうとした。


その考えは、この時代にはあまりにも異質だった。



数日後。


戦で焼けた村を氏治は訪れた。


家を失った農民たちが呆然と立ち尽くしている。


氏治は黙って鍬を手に取った。


「殿!」


家臣が驚く。


「何をなさるのです!」


氏治は答えなかった。


焼け跡を片づけ始める。


やがて家臣も鍬を持った。


村人も加わる。


半日後には、村中が復旧作業を始めていた。


夕暮れ。


一人の老人が氏治に近づく。


「殿。」


「なんじゃ。」


「戦には負けましたな。」


氏治は苦笑した。


「その通り。」


老人はゆっくり頭を下げた。


「ですが……。」


「わしらは、殿についていきます。」


氏治は目を丸くした。


老人は笑う。


「戦の強い殿は他にもおります。」


「じゃが、人を見捨てぬ殿は、おりませぬ。」


その言葉に、氏治は何も返せなかった。


ただ照れくさそうに頭をかいた。


遠くで子どもたちの笑い声が聞こえる。


焼け跡にも、夕陽は等しく降り注いでいた。


この日、小田家は戦に敗れた。


だが、一人の若き当主は、それ以上に大きなものを手に入れていた。


家臣の信頼。


領民の真心。


それは金でも城でも買えない、何より強い力だった。


この絆が、後に九度の落城を越えてもなお、小田氏治を支え続けることになる。


その時、まだ誰も知らなかった。

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