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不死鳥は何度でも這い上がる 〜戦国最弱の愛され国衆・小田氏治のサバイバル〜  作者: 水川仁


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第13話 沼尻の合戦と国衆の選択

天正十二年(1584年)五月。


下野国・沼尻。


湿地帯を挟み、関東を二分する軍勢が睨み合っていた。


北条氏直率いる大軍。


対するは佐竹義重、宇都宮国綱ら反北条勢。


見渡す限り旗、旗、旗。


槍の穂先が朝日に鈍く光り、馬のいななきが風に流れる。


数万の兵が集まりながら、誰も動かない。


まるで巨大な獣同士が牙を剥いたまま、息を殺しているようだった。


「……不思議だな。」


最前列で氏治が呟く。


「これだけ人が集まってるのに、誰も戦を始めん。」


隣で菅谷政貞が青ざめた。


「殿。」


「声が大きうございます。」


「北条の目付が見ております。」


「そうか?」


「そうです。」


政貞は小声になる。


「戦は始まっております。」


「ただ槍を合わせていないだけです。」


氏治は首を傾げた。


「面倒くさい戦だ。」


「大軍同士になりますと、そういうものでございます。」


昼過ぎ。


氏治は兵糧庫の裏へ呼び出された。


そこには見慣れた二人がいた。


皆川広照。


そして、足軽姿に身をやつした佐野房綱。


「相変わらず危ない真似をするな。」


氏治が笑う。


「見つかったら三人まとめて首だぞ。」


「だからこそ、人目を避けております。」


広照の声は硬い。


懐から一通の書状を取り出した。


「上方からです。」


氏治は受け取らない。


「読めん。」


「……そうでした。」


広照は苦笑し、自ら読み始めた。


「羽柴秀吉が西で戦をまとめつつあります。」


「いずれ関東へ目を向けるでしょう。」


宝庵(宝衍)が続ける。


「北条も佐竹も、この戦に夢中です。」


「ですが。」


「もっと大きな波が近づいております。」


三人の間に沈黙が落ちた。


遠くで法螺貝が鳴る。


しかし前線は動かない。


「小田殿。」


広照が口を開く。


「あなたならどう動きます。」


「北条に殉じますか。」


「それとも……。」


氏治は湿地を眺めた。


兵は動かない。


旗だけが揺れている。


しばらくして口を開いた。


「二人とも。」


「頭が良すぎる。」


広照が眉を寄せる。


「どういう意味です。」


「お前たちは。」


「次に勝つ奴を探してる。」


宝庵が笑う。


「それが国衆でしょう。」


「違う。」


氏治は首を振った。


「勝つ方に賭けた時点で負けだ。」


二人が黙る。


「豊臣が来る。」


「そう思って北条を裏切る。」


「もし来なかったら?」


「北条が持ちこたえたら?」


「その時は終わりだ。」


広照の顔色が変わった。


氏治は続ける。


「逆も同じだ。」


「北条を信じ切って。」


「豊臣が来たら終わる。」


「だから。」


氏治は笑う。


「俺は賭けない。」


「賭けない?」


宝庵が聞き返した。


「北条には頭を下げる。」


「豊臣が来たら、また頭を下げる。」


「必要なら土下座でも何でもする。」


「……。」


「命まで賭けるほど。」


「俺は偉くない。」


広照は思わず笑ってしまった。


「武士とは思えませんな。」


「そうか?」


氏治は平然としている。


「武士らしい奴から死んでいく。」


その一言に、宝庵の笑みが消えた。


氏治は静かに続ける。


「木が折れるのは。」


「硬いからだ。」


「柳は折れない。」


「曲がるからだ。」


風が吹いた。


三人の旗が揺れる。


「俺は柳でいい。」


「真っすぐ立派に折れるくらいなら。」


「泥の中でも生き残る。」


広照は深く息を吐いた。


「私は。」


「考え過ぎなのかもしれません。」


宝庵も苦笑する。


「私は策を巡らせ過ぎておりますな。」


氏治は肩をすくめた。


「俺は何も考えてない。」


「嫌な匂いがしたら逃げる。」


「それだけだ。」


「その勘が恐ろしいのです。」


宝庵は小さく呟いた。


「負け続けた者だけが持つ勘。」


「勝ち続けた者には分からぬのでしょう。」


その時。


本陣から陣太鼓が鳴った。


三人は同時に顔を上げる。


「戻るか。」


氏治が言う。


「今日も戦は始まらんな。」


「ええ。」


広照が頷く。


「ですが。」


「戦場ではない場所で。」


「もう戦は始まっております。」


氏治は兵糧俵の脇を通り過ぎると、ふと足を止めた。


「皆川殿。」


「はい。」


「あの兵糧丸。」


「少しくれ。」


広照は呆れたように笑う。


「またですか。」


「腹が減った。」


「小田家はいつも減っておる。」


広照は兵糧袋を放り投げた。


氏治は嬉しそうに受け取る。


数万の軍勢が睨み合う沼尻。


誰も矢を放たない。


誰も突撃しない。


だが、その静かな戦場で、生き残るための駆け引きだけは、誰よりも激しく続いていた。


そして小田氏治は、旗の色ではなく、時代の風向きを見つめながら、今日もまた乱世という濁流を、したたかに泳いでいた。

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