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不死鳥は何度でも這い上がる 〜戦国最弱の愛され国衆・小田氏治のサバイバル〜  作者: 水川仁


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第14話 小田原評定の裏で

天正十八年(1590年)春。


小田原城。


天下人・豊臣秀吉が率いる二十万を超える大軍勢は、北条最後の牙城を幾重にも包囲していた。


昼夜を問わず響く鬨の声。


海まで埋め尽くす軍船。


山を覆う陣幕。


かつて関東を支配した巨大な北条家は、今まさに時代そのものに包囲されていた。



城内では連日、評定が続いていた。


「籠城を貫けば勝機はある!」


「いや、打って出るべきだ!」


怒号。


口論。


沈黙。


そして翌日も同じ議論。


後に「小田原評定」と呼ばれる軍議である。


その喧騒から少し離れた御側郭の片隅で、小田氏治は握り飯を頬張っていた。


「長いな。」


ぽつりと呟く。


「評定です。」


菅谷政貞が答える。


「俺ならもう終わってる。」


「どう終わるのです。」


「逃げる。」


政貞は深くため息をついた。


「それを誇らしげに申されますか。」


「早い決断は大事だ。」


「違う気がいたします。」


二人の頭上を、豊臣軍の法螺貝が響き渡った。



その日の夕刻だった。


城内が俄かに騒がしくなる。


「皆川広照殿が城を出られた!」


「豊臣方へ降られたぞ!」


城中がどよめく。


氏治は静かに握り飯を飲み込んだ。


「……やっぱりな。」


政貞が驚く。


「驚かれませぬか。」


「皆川殿らしい。」


氏治は笑った。


「最後まで見極めてから飛び降りた。」


「胃は痛めても。」


「引き際は間違えん。」


しばらくして、さらに報せが届く。


「佐野房綱!」


「豊臣軍を案内しているそうです!」


「道案内まで……。」


政貞は言葉を失う。


氏治は苦笑した。


「宝庵(宝衍)らしい。」


「決めたら一直線だからな。」


関宿城で酒を酌み交わした夜が脳裏をよぎる。


皆川は最後まで計算した。


宝庵は誰より早く動いた。


どちらも国を残すためだ。


誰も間違ってはいない。



「では我らも。」


政貞が小声になる。


「今夜のうちに城を抜けますか。」


「豊臣方へ使者を送りましょう。」


氏治は首を横に振った。


「いや。」


「最後まで残る。」


政貞は思わず聞き返す。


「なぜです。」


「氏治様らしくありません。」


氏治は城壁へ歩み寄る。


眼下には、どこまでも続く豊臣軍の陣。


見れば見るほど勝ち目はない。


それでも氏治は静かに言った。


「俺は北条に拾われた。」


「国を失った俺を。」


「見捨てなかった。」


「関宿も任された。」


「その恩だけは返す。」


政貞は黙った。


「心中する気はない。」


氏治は笑う。


「だが。」


「恩を受けた相手の城から。」


「真っ先に逃げ出すほど。」


「俺は器用じゃない。」



夜。


城外では篝火が星のように並んでいる。


氏治はその灯を眺めながら呟いた。


「秀吉という男。」


「案外、人を見ている気がする。」


「勝った負けたより。」


「どう生きたか。」


「そういうところを。」


政貞が静かに頷く。


「では。」


「最後まで。」


「最後まで。」


氏治は笑った。


「立派に籠城してみせよう。」


「どうせ負けるがな。」


「最後の一言が余計です。」



やがて小田原城は開城する。


その時が来たら、氏治は逃げも隠れもしない。


堂々と秀吉の前へ進み出るつもりだった。


「また城を失いました。」


「どうやら私は。」


「城を失うことだけは天下一品らしい。」


そう言って笑えればいい。


生きてさえいれば、またやり直せる。


それが小田氏治という男だった。



巨大な北条という船は、静かに沈もうとしていた。


皆川広照は、沈む直前に飛び降りた。


佐野房綱は、新しい時代の岸へ泳ぎ着いた。


そして小田氏治だけは、最後まで甲板に残る道を選ぶ。


忠義のためだけではない。


恩を返し、筋を通したうえで、生き残るためである。


戦には勝てなかった。


城も守れなかった。


それでも乱世は、この男から命だけは奪えなかった。


常敗の将――小田氏治。


その図太い命は、新しい天下の夜明けを、静かに待っていた。

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