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不死鳥は何度でも這い上がる 〜戦国最弱の愛され国衆・小田氏治のサバイバル〜  作者: 水川仁


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第10話 小田原への道

天正十一年(1583年)春。


小田氏治は、ついに決断した。


佐竹と戦い続けることを。


――ではない。


生き残ることを、である。


十年以上。


氏治は土浦城を拠点に、執念のような戦を続けてきた。


夜陰に紛れて敵の兵糧を焼き払い、補給路を断ち、隙あらば旧領へ攻め込む。


奪われても奪い返す。


落とされても、また立つ。


それが「常陸の不死鳥」と呼ばれた男の戦いだった。


だが、不死鳥にも分かることがある。


勝てない戦はある。


佐竹義重は、もはや一国人が知略だけで揺さぶれる相手ではなかった。


武田は滅び、織田信長も本能寺で倒れた。


天下は揺れ、関東もまた巨大な渦へ飲み込まれていく。


その中で、小田家だけが昔のまま戦い続けても、最後に待つのは滅亡しかない。


土浦城。


評定を終えた氏治は静かに言った。


「……小田原へ行く。」


部屋が静まり返る。


家臣たちは誰も声を出せなかった。


その一言が何を意味するのか、皆、痛いほど理解していたからだ。


数日後。


氏治は少数の供だけを連れ、相模への街道を進んでいた。


隣には、老臣・菅谷政貞。


長い沈黙の末、政貞が口を開く。


「殿。」


「何だ。」


「本当に……よろしいのでございますか。」


氏治は笑った。


「何がだ。」


政貞は拳を握る。


「鎌倉以来の名門・小田家が、伊勢の北条に膝を折るなど……。」


「八田知家公も、お嘆きになりましょう。」


春風だけが二人の間を吹き抜けた。


しばらくして氏治は、小さく息を吐く。


「政貞。」


「はい。」


「血筋で腹は膨れるか。」


政貞は答えられなかった。


「名門で兵糧は湧くか。」


「……。」


「先祖が槍を持って佐竹と戦ってくれるか。」


氏治は前だけを見て馬を進める。


「名門なんぞ、生きている者には何の役にも立たん。」


「家が滅べば終わりだ。」


「生きていれば、また取り返せる。」


その言葉は、不思議なほど軽かった。


いや。


軽く聞こえるように、わざと笑っていた。


「北条を利用する。」


「それだけだ。」


街道では、同じ方向へ向かう武士たちと何度もすれ違った。


いや。


皆、小田原へ向かっていた。


家紋は様々。


下総。


上野。


武蔵。


常陸。


どれも名もなき小領主ばかりだった。


武田滅亡、本能寺の変。


時代が大きく傾いた今、関東中の国衆が巨大な北条家へ吸い寄せられている。


従う者は生きる。


逆らう者は消える。


その現実を、誰もが理解していた。


氏治はその列を眺めながら笑う。


「俺たちだけじゃなかったな。」


政貞が苦く笑った。


「皆、生き残りに必死なのでございます。」


「そういうことだ。」


氏治は肩をすくめる。


「戦国ってのは、案外みっともないもんさ。」


数日後。


一行は、小田原へ着いた。


政貞は言葉を失う。


城ではない。


町だった。


いや、一つの国だった。


巨大な総構に囲まれた城下には、人、人、人。


荷車が絶えず行き交い、商人が声を張り上げ、鍛冶場からは鉄を打つ音が響く。


蔵には米が積まれ、兵糧が流れ込み、兵は規律正しく往来する。


戦国の城というより、一つの巨大な都市だった。


「……これが。」


政貞が呟く。


「北条。」


氏治も黙って眺めていた。


佐竹が武力で押さえるなら。


北条は仕組みで支配している。


勝てるわけがない。


そう思わせるだけの力が、この町にはあった。


やがて氏治は、小田原城の評定の間へ通された。


上座には、北条氏政。


静かな男だった。


無駄な威圧はない。


だが、その場にいる誰よりも支配者だった。


「面を上げよ。」


氏治が顔を上げる。


氏政は薄く笑った。


「常陸の不死鳥。」


「何度城を失っても戻る男が、自ら頭を下げに来るとは。」


「名門も落ちたものだな。」


家臣たちが小さく笑う。


政貞の肩が震えた。


だが氏治は、にこりと笑う。


「名門は腹を満たしてくれませぬ。」


「城を焼かれた時、一緒に燃えてしまいました。」


場が静まる。


氏政は氏治を見つめた。


この男は、本当に恥を捨てたのか。


それとも。


恥を捨てたふりをしているだけなのか。


沈黙のあと、氏政が口を開く。


「よかろう。」


「小田家の臣従を認める。」


「貴殿には土浦城を預ける。」


「佐竹への最前線として働いてもらう。」


つまり。


捨て駒である。


氏治は深く頭を下げた。


「ありがたき幸せ。」


だが心の中では笑っていた。


(使えるものは全部使う。)


(北条でも何でもいい。)


(最後に笑うためなら、泥でも飲んでやる。)


評定を終え、廊下を歩く。


「小田か。」


「名門も終わったな。」


「どうせまた城を落とされる。」


北条の家臣たちが囁く。


政貞は悔しそうに拳を握った。


「殿……。」


氏治は笑う。


「気にするな。」


窓の外には、春霞の向こうに東の空が見えていた。


その先には、常陸がある。


「大樹の陰は涼しい。」


「だが、俺は木陰で昼寝をするために来たんじゃない。」


氏治の目が細くなる。


「北条を使う。」


「佐竹を削る。」


「そして。」


「最後は小田城へ帰る。」


誰にも聞こえないほど小さく呟く。


「泥仕合なら、俺の十八番だからな。」


春風が、小田原城の長い廊下を吹き抜けた。


その日から小田氏治は、関東最大の覇者・後北条氏の麾下へ入る。


だがそれは、敗者が膝を屈した日ではない。


生き残るために、あえて牙を隠した日だった。

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