Ⅰ
俺はもともと、料理が得手ではない。
料理どころか、洗濯や部屋の清掃も、ほとんど人任せでやってきた。
家庭人としての俺に出来ることは、せいぜいが身の回りの片付けや、簡単な野良仕事、薬草と魔術の掛け合わせで作る各種の薬を煎じることぐらいだろうか。
息子のイコや、彼よりも二つか三つ歳上のメグの方が、よほど家事というものに精通している。
俺にも、火魔法で湯を沸かしたり、調理済みのものを軽く温め直したりするぐらいのことなら出来る。だが、自分の手と調理器具を使って一から……つまり素材から作るとなると、料理とはヘンドリックのような料理人が作るもの、という環境で育ってきた俺からすると、それはもはや特殊技能の域なのである。
しかし、不得手であるとは理解しながらも、一度自分だけで作ってみたい料理があった。
それは……。
「……目玉焼き」
と、レオスは、俺が言ったことを鸚鵡返しに言った。
「ああ、そうだ」
俺は真顔で頷き返す。
イコやメグが我が家の台所でたまに作っているのを見て、その作り方の要領はなんとなくわかっている。ただ、自分が同じようにやってみたとしても、上手くいく自信はからきしなかった。
冒険者時代、俺はパットから『壊滅的に料理が下手』というお墨付きを貰っている。クエストに向かう道中で、宿屋のない山中などでよく野営をするのだが、俺以外の皆は意外にも料理が作れるのである。
レオス、ヴォルフ、キリィは、狩ってきた獣や魚を捌いたり焼いたり。
パットは、自分が作らなくていい場面では絶対にやらないが、いざとなれば簡単な煮込みやスープなども作れた。
俺はといえば、サラダ用の葉野菜をちぎったり、「薬を調合する要領で、そこのメモに書いてある通りに調味料をきっちり計って、混ぜ合わせておいて」と言われてドレッシングを作ったり。
……そう、ちゃんとしたレシピさえあれば、ドレッシングを作るのは得意である。パットがうまくやったとも言えるが、俺の中では薬を調合する要領、というのがピッタリとハマッたらしい。
今はちょうど、冬至の祭りの期間だった。
イコと小間使い兼ギルドスタッフ見習いのメグは、パットとジョアナとともに、その祭りのために美しく飾り立てられた本土の街へと、昨日から泊まりがけで遊びに出かけている。キリィとヴォルフも、彼らの買い物の荷持ち役と護衛のために一緒について行った。お祭りモードの街は賑やかで楽しい反面、いつもより人出が多い分、それなりに物騒でもあるからだ。
祭りの最終日が冬至の日の当日にあたり、その日の午後には島に帰ってきて、全員で冬至の祭りのためのご馳走を食べて祝うことになっていた。
レオスがいなかった去年までは、俺もイコたちと一緒に本土へ行って、実家に里帰りをしていたが、今年は……、まあ色々あって島に残ることにした。
同じく、皆と一緒に街には繰り出さなかったレオスも、冬至の日のご馳走用の狩猟に行ったりする以外は、いつもよりのんびりした島暮らしを満喫するつもりらしい。
そして、この期間はさすがに労働を控えることにしている。そうしないと、島に残っている他のスタッフたちが気兼ねなく休めないからだ。
いつも食事や洗濯など、俺の身の回りの世話をしてくれているヘンドリックとミランダ夫妻も例外ではなかったが、どうせ自分たちの分があるから、それと一緒に最低限のことはやりますよ、と言ってくれたので、昼食と洗濯はいつも通り世話になることにして、あとの食事やなんかはレオスと分担して、自分たちでやることにした。
その初日の朝である。
当然のように、朝食を作ってくれようとしていたレオスに、今がその時だと、俺は思い切って長らく秘めていた願望を述べたところだった。
「目玉焼き?」
聞き違えたとでも思ったのだろうか。繰り返し、今度はハテナ付きで言われる。
「そう、もう一度ちゃんと作ってみたいんだ。昔、皆で野営したときに失敗して以来、作ったことがなくて」
「野営……」
と、レオスは今度は眉間を寄せて呟いた。
「うーん、駄目だ。さっぱり思い出せないな!」
あっけらかんとレオスは言い放った。今や周知の事実だったが、レオスには俺がパーティに入った頃からの数年分の記憶がないのだ。
「それでもパットから聞いてはいるだろう? 俺は料理が下手だって」
「下手というより、向いていないとは聞いたが」
「一緒だろう?」
「いや、上手下手ならまだ可能性があるが、向き不向きは……」
何やら辛辣なことをさらりと言われかけたような気もするが、レオスは思い直したように口を噤んだ。
「レオ?」
「どうして目玉焼きなんだ? 別に料理が得意になりたいわけではないんだろう? なのにそれだけは作ってみたいという、何か理由があるのか?」
理由……。
理由ならちゃんとある。
それは一言で言うなら、羨望。
我が家の台所には、魔石による導力で火が点く仕様の魔石焜炉が二口と、石造りの大きくて立派な天火がある。そのいずれも、俺は全く使いこなせていない代物だ。
──俺が昔、目玉焼きを失敗したのは野営の時の焚き火の火。焜炉よりも制御の難しい火ではあったようだが、白身を真っ黒に焦がしてしまった。しかも、失敗はそれだけじゃなかった。まず、卵を割るところからして上手くいかなかったのである。
「……実は卵を持ったのもあのときが初めてで、その。力加減がよくわからなくて」
「ああ、なるほど。ぐしゃぐしゃに割ってしまって、殻も入ってしまったんだな。そのときに黄身も潰してしまった?」
「う、……よくわかったな」
「初心者あるあるだ。それから?」
「殻はなんとか取り除いたんだが、細かいのは無理で。でもその間に火がどんどん強くなってしまって、気がついたらもう真っ黒になっていた」
「……なるほど。察するに、当時のお前が及び腰で火の前にいるのを見て、俺やパットがすっかり慌ててしまったんだな……。以来、火傷でもさせたら一大事と、お前を火の前から遠ざけた」
目を閉じたレオスは、当時の様子をしみじみと想像したようだった。
「俺は別に火は怖くないが」
「それもわかってる。ただ、調理中の火の加減は扱いかねた。お前も、また失敗するのがわかっててさらに挑戦する必要はなかったし、俺たちもお前の作るドレッシングが美味すぎて、そちらに役割を振ってしまった」
レオスの想像力は、無くしたはずの当時の記憶をしっかり補い得るものだった。
「あの時は、お前たちが器用になんでも作るのを見て、ありがたいと思いはしても別に羨ましいとは思わなかった。自分にできることは他にいくらでもあるし、パットが言うように向き不向きというか、相性の良し悪しというものがあるのは自分でもよくわかっていたしな」
それが、どうして今更、目玉焼きだけが無性に作りたくなってしまったのかというと。
「イコが最近、とても上手に目玉焼きを作るんだ。それが、少しやるせないというか……」
俺の料理における唯一にして、最大の失敗作。思えばあの一回だけで『トワは料理が全く出来ない』の烙印を、仲間たちから押されてしまったと言っても過言ではない。
イコを生んでからも、俺はあの子にとってはずっと『父さん』だったので、親らしいことをしてやるのに、別に料理にこだわる必要はなかった。
だが、ここ最近になって、イコやメグがヘンドリックの厨房に頻繁に出入りし、彼から少しずつ料理を習っているのを見ると複雑な思いにはなった。
ヘンドリックは、「リーファス坊ちゃまがこんな所にいらしてはいけません」と、元の主筋であるレイブン家の俺を、今なお決して厨房には立ち入らせてくれないからである。
一方で、軽やかに片手で卵を割って、慣れたように焜炉の火加減を調節しながら目玉焼きを焼いているイコを見て感心するとともに、自分でも驚くほどのものすごい羨望を抱いてしまった。
俺も、少しずつでいいから料理に対する苦手意識を克服したい。いや、せめてイコのように美味しい目玉焼きを作れるようになってみたい、と。
「なるほど。よくわかった」
レオスは、壁にかけてある鉄製の重いフライパンを手に取った。
それから、宿屋の鶏小屋から朝一番で貰ってきた産みたての卵を二つ……いや、四つ。
「まずはコイツを焜炉にかけて……、いや、その前にコレも要るな」
と、レオスが取り出したのはガラス製のボウルだった。
「まずはここに一旦、卵を割り入れてみよう」
手慣れた人間がするように、火にかけたフライパンに直接割り入れてしまうと、失敗して殻が入った場合、取り出すのが危ないからだと言う。かつての俺の場合がまさにそうだった。
「火傷もそうだが、失敗すると心理的に余裕がなくなる。何事においてもまず、慌てないことが肝心だ」
レオスは割り方も丁寧に教えてくれた。
卵を軽く持ち、平らなところに真ん中の部分を一度だけ少し強めに打ち付ける。初心者や子供の場合は、無理に片手だけでやらなくてもいいと言われ、その通りに両方の親指をヒビが入った部分に差し込み、広げるようにして中身をボウルに落とす。
「あ、」
指に触れるぬるりとした白身の感触に、思わず怯んでしまう。
「大丈夫だ。そのまま殻を左右に開くつもりで……、よし、上手く出来たな。あと三つだ」
全ての卵をなんとか無事に割り終えると、殻が入っていないかどうかをよく確かめてから、予め、油を少し入れて中火にかけて熱しておいたフライパンにゆっくりと流し入れた。
「この火の大きさを忘れるなよ。今はまだ透けている白身が白く固まってきたら、火を少しだけ弱めて……、そうだ。あとは待つんだ」
「待つって、どれぐらい?」
「四分弱ぐらいかな。黄味の周りの分厚い白身も白くなってきて、火が通ったら完成だ」
「そうか、ありがとう」
「これぐらい、お安い御用だ」
「ちっともお安くなんかない」
──少なくとも、この俺にとっては。
頼りがいがある伴侶の精悍な頬にキスを贈ると、レオスの腕が俺の腰に伸びてきた。
「どうした。朝から大盤振舞だな?」
「そうか? あ。あと三分ぐらいか」
万が一にも焦がさぬように、ちゃんと時間通りに火を止めねばと、気合を込めて壁掛けの時計と目玉焼きを交互に見つめていると、レオスがゴホンと咳払いをした。
「ちなみに、魔石の導力回路を最新のものにすれば、自動で火の調節ができて、しかも指定した時間に止められるが?」
「ええ?」
「グリギアの魔導研究はさすがだな。実際、他の国よりも百年ぐらい進んでいるという話だぞ?」
……なんということだ。この島にも駐在している、あの魔導研究所の研究員たちはそんなに凄い連中だったのか?
俺がまともに面食らっていると、レオスが唆すような顔つきで囁いてきた。
「ふふ、買おうか、最新式。火加減が楽に出来ると、トワももっと色々作れるようになるかもしれないぞ?」
「……じゃあ、もっと料理を教えてくれるのか?」
「もちろん。かなりの役得だとわかったからな」
「役得?」
「こんなに素直で可愛いリーを、独り占めできる」
「……馬鹿」
蕩けそうなほどに甘く迫ってくる美貌をなんとか躱し、火を止めて無事に焼きあがった目玉焼きをじっと見下ろす。
四つもあるのに、黄身が一つも潰れていない。白身もまっ黒焦げじゃない。すごい。
イコが作ってくれたものと比べても、ほとんど遜色がないように見える。レオスの手をおおいに借りた上での仕上がりとはいえ、俺は嬉しくなった。
目玉を二つずつ、半分に切り分けた目玉焼きに、それを焼いたのと同じフライパンで、レオスが手早く焼いてくれた山猪のソーセージが添えられる。
目玉焼きには、仕上げとして俺が薬草畑で育てているハーブを乾燥させたものを入れて作ったハーブソルトをかけた。
「出来た……!」
「ああ、上出来だな」
レオスも目を細める。
味も、ちゃんとイコのと同じぐらいに美味しかった……と、思う。
自分の子供と本気で張り合うなんて、我ながら大人げがないとは思うのだが、そもそものきっかけがそこだったのだから、それはまあ致し方ない。
──イコや皆がいない食卓は、いつもよりも静かで少し寂しいものになるかと思っていたのだが、全くそんなことはなかった。
朝からこんな面倒なことに付き合わされたレオスが、何故かとても満足そうにしていたことも大きい。
目玉焼きの成功に興奮した俺は、時を忘れて夢中で喋り続け、「あの、もうそろそろ昼食が出来ますが……?」と、わざわざ知らせに来てくれたミランダの目を丸くさせたのだった。
※※※
特に何のオチもない、日常のお話。
クィルが弟子入りしてくる、その少し前のエピソードです。




