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薄幸の魔導師オメガが冒険者になったら、最強勇者の子供を授かりました  作者: 碧木二三
終章

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エピローグ




 グリギアの国王、ファウバルト二世からの依頼は、次の二点であった。


 一つ。クィル・ゾッドの企みを阻止して、ヒュドラダンジョンを再びの崩壊の危機から守ること。


 二つ。可能であるならば、断絶したホーンオウルの刻印を完全に消滅させること。


 ──そして、もしもその二つが成った暁には、刻印の呪いに操られたクィル・ゾッド本人の罪については、レイブン家が処罰を求めぬ限りにおいて、一切問わないものとする。


 王が、そのような寛容な措置を取ろうとしたのは、俺が王都に行っていた兄に、レイブン家にある魔導信で、ゾッド夫人と話したことを報告したからだという。

 兄は、そのままを全て、王にも話してくれたのだ。

 俺がヒートを起こして部屋に閉じこもっている間、王は百年前のレルネ島で起きたヒュドラダンジョン崩壊の顛末について、『元はと言えば王家の人間がしでかした不始末が原因である』とレオスたちにも率直に語ったらしい。

 俺も、前々からそのことに気づいてはいたが、非公式の場だとはいえ、まさか現国王が潔くそれを認めるとは思ってもみなかった。

 王の依頼は、冒険者ギルドを通じて……、つまりレルネ島のギルドマスターである俺を通じて、レオスたちがクエストとして引き受けることになった。

 そのクエストを無事に達成したことで、レオスたちには王からの報酬が支払われた。具体定な金額を述べるのは差し控えるが、そのなかなかの奮発ぶりに、俺たちはこの先なるべく、百年前のポンコツ勇者のことを口にするのを控えよう、とひそかに決意したのだった。



「それで結局、最下層までレオスさんたちについて行ったマスターの報酬はゼロだってホントですか?」


 と、やや不満そうに頬を軽く膨らませるようにして言ったのは、パットの遠縁の娘で、我がギルドスタッフでもあるジョアナだ。


「当たり前だろう。俺は、ダンジョンの管理人として彼らを案内しただけだぞ?」


 あとは、きわめて個人的な……俺とホーンオウルにまつわる因縁の根を絶ちに行っただけのこと。

 なぜなら、俺やクィルに万が一のことがあった場合、次にあの刻印に狙われるのは、メグ。そして、その因縁の相手はイコになってしまう。俺もレオスも、今回はクエストというよりも、人の親として動いた面が大きいのだ。


 それにレオスは、貰った報酬の全額を、今回の地震で崩れ落ちた拠点の石壁や、古い建物(ほとんどの建物は無事だったが)の修繕費用などに充てて欲しいと言ってくれた。

 それらを使って拠点中の修繕をしたとしても、まだまだその金はあり余るのだが、他にもまだ、使い途はいくらでもあった。

 ヒュドラが完全復活し、その原体(オリジナル)が勇者に斃された後には、再生した複製(レプリカ)に挑む上位職位(ランク)のパーティが一気に詰めかけて来るようになる。今の拠点の設備や要員の数では、受け入れきれないことはほぼ確実であった。

 それを見込んでのことか、島内に店を出したいという申し出が、最近になって急に増えてきた。それに合わせる形で、モーガン商会が新しく市場を作ることを提案してきたので、その新設計画もおいおい進められることになった。


 ──となると、宿屋も増築したい。

 ──いや、いっそ別棟を建てて冒険者ギルドをそちらに移すか……?


 望みを描き出すとキリがないが、そのための金はいくらあっても困るということはなく、俺はありがたくレオスの好意を受けることにした。

 パットとキリィ、ヴォルフ、そして、エティスとロイルも、今回はグリギアの国王に貸しを作っただけでもう充分とばかり、必要経費を除いたそのほとんどをゴルネイ拠点に寄付してくれたのだった。


 そしてもちろん、雇用の充実も不可欠だ。

 ゴルネイの拠点におけるギルドと宿屋のスタッフたちは、ヘンドリック夫妻やジョアナのように、そのほとんどがレイブン家かモーガン商会、或いは俺の仲間たちの縁故によって採用された者たちだ。

 俺と、何よりイコを守るために、当初はそうせざるを得ない状況だったのだが、確かに兄やパットがしきりに言うように、それももう解禁していい頃合いではあった。



     ➕ ➕ ➕



 クィルが目覚めたのは、ダンジョンの最下層で気絶した三日後のことだった。

 レルネ島から、グレンの船でアクラ岬にほど近い医療院に運び込まれ、意識がないままの状態で受けた検査と診察の結果は、重度の過労と栄養失調であった。

 魔力のない人間なら、とうに死んでいた。

 医師が語ったところによると、わけても深刻なのは前者の方で、もう何年もの間、ほとんどまともに眠れていなかったのでは、という話だった。

 よくぞ発狂せずにいられたものです、と嘆息交じりに言われ、クィルの両親は言葉を失ったそうだ。


 ──丸三日の間、クィルは昏々(こんこん)と眠り続けていた。

 やがて目が覚めると、彼はまるで憑き物が落ちたような穏やかな顔で、ずっと涙に暮れながらクィルのそばに付き添っていた家族と対面したという。


 そこで、彼らが一体何を語らったのかは、彼ら以外は誰も知らない。


 ──もしも、あの日……。あんなことさえなかったら……!


 そうした思いは、この先もずっと、ゾッド家の親と子の上にのしかかっていくことだろう。

 無論、兄に代わって跡取りという御鉢が回ってきた弟には、何の罪もない。わかってはいても、長男としての座を奪われた形になってしまったクィルは、ずっとそのわだかまりを抱き続けるだろう。


 それでも、刻印の呪いから解放され、ようやく手を取り合えた彼らに、どうか少しでも明るい未来が訪れるようにと。

 縁あって、その幕引きに立ち会った()としては、切にそう願うばかりだったのだが……。




 そして、その同じ頃。

 以前はいつもボサボサだった髪を綺麗に梳かし、この日のために新調した淡い黄色のワンピースを着たメグは、クィルに拉致されて以来初めて、母親の死後に彼女を引き取ってくれた親類のもとへ、自分の無事な姿を見せるために出かけて行った。

 そして何故か、パットが一緒について行った。

 てっきりパット一人で戻ってくるのかと思いきや、二人してその日の夜に、それがさも当然というように屋敷に帰ってきたのには驚いた。

 メグは、親類の家からしばらく戻らないだろうと思っていたからだ。


「メグの伯母様に会って、ちゃんとご挨拶をしてきたの。この先は、あたしがメグの面倒を見ますからって」

「……と、いうと?」

「メグはね、このままゴルネイの拠点で働きながら、自立したいんですって。なら是非とも働いてもらおうじゃないってことになって」

「それはもちろん助かるが……、いいのか?」


 メグを見やって訊ねると、彼女は「はい」と言って、力強く頷いた。


「どうか、これからもよろしくお願いします、マスター」

「ああ、こちらこそ、よろしく頼む」


 メグはほっとしたように微笑んだ。以前は、硬くぎこちなかった表情が、だんだん自然で柔らかいものになってきているように見えるのは、気のせいではないのだろう。


「というわけで、これからメグには、少しずつギルドの仕事も覚えていってもらうわ。トワもそれでいいわよね?」

「……そうか、わかった」


 ──そういうことならもちろん、俺に異存はない。



     ➕ ➕ ➕



 ヒュドラダンジョンの完全再生から、ちょうど半月ほどが経過した。

 今、レルネ島には厳しい冬が訪れている。

 毎年この時期になると、島の周りの海はしょっちゅう時化(しけ)るため、島と本土を結ぶ定期船の便数は通常の半分以下に減り、島を訪れる者もほとんどいなくなる。

 だが地震以来、島の封鎖が続いている今年に限っては、それがちょうど良かった。

 本格的に冒険者たちの島への受け入れを再開するのは、来年の春頃の予定だ。

 それに先駆けるように、かつてゴルネイの拠点で暮らしていた者の半数ほどが、春に向けての準備をするため、避難先から島に戻ってきて、例年よりも静かな冬の日常を再開させていた。


 そして、一つの別れがあった。

 エティスとロイルが、短い冒険者生活を終えてロダに帰国することになったのだ。

 レルネ島に戻る前、俺はアクラ岬の兄の屋敷で彼らと別れの挨拶を済ませた。

 エティスは、泣きそうな顔で俺の手をぎゅっと握った。


『トワ様。また、お会いできますか?』

『もちろん。今度はイコも連れて、私どもがロダに伺います』

『必ず、必ずですよ? レオスは別にいいですけど、トワ様とはもっともっと、お話したいことがたくさんあるのです』

『ええ、わかりました。必ず伺います』

 

 レオスは別にいい、と言われて俺は思わず苦笑する。それなりに仲の良い従兄弟同士には見えるのに、顔を合わせると、たまに辛辣な言葉を言い合ったりもして、傍から見ていると少し不思議な関係だった。

 そんなことを思っていると、不意にエティスは意外なことを言った。


『グリギアの王妃殿下も、トワ様にはかなり関心をお持ちのようです』

『は?』


 ──それはまた、何故(なにゆえ)に?

 

 疑問がそのまま顔に出てしまっていたのだろう。エティスは微笑みながら続けた。


『もしかしたら、今頃はトワ様が王妃だったのかもしれない、と。トワ様が、もしも冒険者になっていなかったら……。それは十分にあり得たことだとも仰っていました』

『ああ、なるほど……』


 かつて、俺が全く知らない間に、王家との縁談が持ち上がりかけていたということは、あとになって兄からも聞かされた。

 だが、俺がレオスと出会ってイコを生んだことで、話自体がまるで最初からなかったことのように、綺麗に消滅したとも聞く。おそらく、現王妃も含めて他にも幾人か候補がいたはずだし、王家としても別に何一つ困りはしなかっただろう。

 なので、俺にはまるでピンと来ない話だったが、王妃殿下が未だに俺ごときの存在などを気にしているというのは、あんまり穏やかではないな、と思っていると。


『殿下は、私にもよくトワ様のことをお聞きになられます。防衛本能が強いオメガのはずなのに、どうして家を飛び出してまで冒険者になったのかしら、って。実は、私も以前はそう思っていたのです』

『……ああ、それならば簡単です』


 俺は迷うことなく、すらすらと答えた。


『俺は、あの家にいても気が休まることはあまりなくて。両親との関係も悪く、物心ついた頃からずっと、兄の存在だけが頼りでした』


 しかし、成長した兄は王都の魔導学校に入ったりして、次第に家にいないことが多くなった。俺が冒険者になりたいと思ったのは、俺が寂しい思いをしないようにと、兄がその手記をたくさん読ませてくれたから。

 そうして知り得た外の世界の方が、あの家にいるよりもずっと、自分らしく生きられると思ったから……。


 ──そんなふうに思っていた頃は、まさか自分がオメガだなどとは夢にも思っていなかったのだが。


『まあ、三つ子の魂百まで、というヤツですか。自分がオメガであると知っても、そんなことで簡単に諦めがつくほどヤワい夢ではなかったことだけは確かです。だから俺はあのとき、兄の手引きもあって、迷わずその世界に飛び込めた』

『ええ。今なら私にもなんとなく、トワ様の仰る意味がわかります。トワ様は、ご自分のことを守るためにその道を選ばれたのだと。……それなのに、本当にもう、冒険者にはお戻りにならないのですか?』

『ええ、そのつもりです。今は今で、やるべきことが他にたくさんありますしね』


 これはもう、仲間たちからもかわるがわる何度も確認されたことだった。

 それというのも、ヒュドラの原体(オリジナル)を斃すクエストの日取りが、冬が明けて島の営業が再開されるその日と決まったからである。

 勇者レオス、黒騎士のヴォルフ、盗賊のキリィに黒魔法使いのパット。戦力的にはそれで全く問題はないのだが、『やっぱり、白魔法使いがいなくちゃダメよ!』とパットが言い出したことから、再び俺に白羽の矢が立ったのだ。

 引き続き、エティスが同行できるならば、問題はなかったのだが、彼はのっぴきならない理由で、ロダで待っている番のもとに帰らなければならなかった。

 それは、オメガにとっての宿痾(しゅくあ)ともいうべきもの……発情期(ヒート)の周期が迫っているためである。

 そして、クエストが予定されているその同じ月には、ロダの王と王妃の即位と、その二人の婚礼の儀が控えていた。


『そうですか。ですが、やはり少し惜しい気はします。だってこの間のトワ様は、とても活き活きとされていて、素敵でしたから』

『それは……、ありがとうございます。しかし、俺ももう、そろそろ身体がもちませんしね』

『おや、何を仰るのやら。あのレオスといて、あんなにも息の合った行動をとっていらしたのに。それに、パットさんから伺いましたが、以前パーティにいらしたケルスさんという白魔法使いの方は、六十を過ぎてもまだ立派な現役でいらしたとか』


 ……なんと。よりにもよってケルスときたか。

 俺は会ったことはないのだが、確かに数十年もの間、第一線で活躍を続けた超一流の冒険者だったと聞く。

 俺が少しばかり鼻白んでいると、エティスはハッとしたように言った。


『ああ、すみません。私ときたら。思わずむきになってしまって……』

『いえ、別に。気にはしていませんよ』


 俺は微笑む。むしろ、もう十数年以上現役から退いているというのに、そんな風に惜しんでもらえるとは光栄だった。

 だから俺は……、ついうっかり()()()()()()というように言ってのけたのだ。


『ですが、ケルス殿はオメガではなく、ベータですからね。当然ながら、()()()()()()()()()()()()()()

『──え? ええ? も、もしや、トワ様……!』


 その含みに気づいたエティスの美しい瞳が、今にも零れ落ちそうなほど大きく見開かれた。



     ➕ ➕ ➕



 島に戻ってから、二月ほどが過ぎた。

 その日、客のいない宿屋の食堂で、イコとメグは一緒に並んで昼食を食べていた。

 今日のメニューは、レイブン家の元お抱え料理人、ヘンドリック特製の山猪の肉入りシチューだ。秋の間、猟師のビルが山で仕留めていた山猪は、長期保存がきくよう丁寧に処理をされて、冬の間の貴重なご馳走となる。

 二人の前の空いた席に、ドン、と昼食のトレイを置いた者がいた。イコが目を上げると、口元をやや不遜げに歪めたスラリと背の高い臙脂色のローブ姿の青年が、何の断りもなく、どかりと腰を下ろすところだった。


「やあ、クィル」


 イコがにこりと笑顔で挨拶すると、クィルは「はいはいどーも」と、適当極まりない挨拶を返してきた。


「ああ、腹が減った。ここの連中は人使いが荒くて参る」


 クィルはローブの袖をまくってほっそりと白い上腕を見せてきた。


「ほら見ろよ。少し筋肉がついてきただろ?」

「……うん、そうだね」


 それでも、六つ年下のイコの方がまだ(たくま)しい。そんな言葉にはできない感想を正確に読み取ったらしいクィルは、皮肉げに笑った。


「本当に、あの両親のどっちにも似てないな、お前」

「そうかな。見た目は、父上そっくりだってよく言われるけど」

「まあ、見た目だけはな」


 よほど空腹だったのか、クィルは皿を持ち上げてかきこむようにしてシチューを食べ始める。


「そんな食べ方したら、体に悪いよ」


 イコが眉を顰めて言うと、案の定、クィルは肉を喉に詰まらせて()せかける。

 水差しからグラスに水を注いだメグが、黙ってクィルの前に置いた。


「……悪い。ありがとう」

「いえ」


 しん、と。瞬間的に空気が()()()

 ……実は、この二人は従兄妹同士である。色々とワケありのようで、彼らがぎこちなく言葉を交わす際には、場が張り詰め切った異様な空気になるのだが、イコはだんだん慣れ始めてきていた。


(この二人は多分……、憎み合っているわけじゃないから)


 ごくごくと水を飲み干したクィルは、はあっと息を吐き出した。


「でも、お節介で世話焼きなところは、先生に似てるかもな」

「え?」


 先生、という呼び方は、イコにはまだ耳慣れない。

 それは、イコを生んだリーファス・トワのことを指す新たな呼び名だった。彼は、拠点の人間たちからは「マスター」と呼ばれることが多いが、そんな中でクィルだけが「先生」と呼ぶ。両親に伴われ、リーファスに会いに島にやって来た日以来、ずっと。


 ──レオスが帰還する直前。

 クィルは、リーファスのことを害そうとしたらしい。

 でもそれは、彼自身の望みではなく。

 その昔、イコの祖父……つまり、リーファスの父と、クィルたちの祖父が(いが)み合ったという事実があり、そのことからクィルの祖父はレイブン家に対して逆恨みを抱いたそうだ。そして、その恨みは呪いの刻印となって、当時幼子だった孫のクィルの額に刻まれた。

 刻印は何故かリーファスのことを仇と定め、成長したクィルは、魔導研究所の研究員となってレルネ島にやってきた。

 メグはその復讐に無理矢理巻き込まれて脅され、クィルの命令で記憶を失ったふりをしてリーファスやイコのそばに潜り込んでいた……。

 そのことに途中でリーファスが気づき、レオスや仲間たち、レイブン家の当主である伯父とも連携して、事件は無事に解決した。

 クィルの呪いも解けて、リーファスも彼のことを許してはいたそうだ。

 ──それが、一体どういう理由からなのか。クィルの両親に請われるまま、リーファスがクィルを自分の弟子としてすんなり受け入れたのには驚いた。

 

「お、いたいた、クィル! まだか、早くしろよー?」


 そう言って、イコたちのテーブルに大股で近づいてきたのはキリィだった。


「まだか、じゃないです。今来たばっかりなんですから、食事ぐらいゆっくりさせてほしい」


 ブツブツと言い返しながらも、クィルはトレイの上にそっとスプーンを置いた。


「いや、もう食い終わってるじゃないかよ」

「キリィさん、クィルは本当に今来たばっかりだよ」


 イコが言うと、キリィは「お?」という顔をした。


「そうかそうか、一応急いでたんだな。よし、じゃあいっちょ、午後も元気に第六層へ行くか!」

「え、もう少し休みたい……」

「だから時間がないからダメだって。今日こそは、第六から八ポイント目までの地図を作って持って来いって、嬢さんからも言われてるからさあ」

「……大体、アンタが寝坊するからだろうが」


 チッと舌を打ちながらも、クィルは食事のトレイを持って立ち上がった。さっきから、言っていることと行動とがちぐはぐだ。イコはぱちぱちと目を瞬かせる。


「ねえ、ダンジョンの地図って、ずっと父さんが作ってたよね?」

「そうなんだけどな。第六層から下は、むしろクィルの方が詳しいもんだからさ」

「へえ? そうなんだ」

「そういえば、先生は?」


 クィルが、急に話を変えた。


「マスターは、アクラ岬に行かれています」


 答えたのはメグだった。


「レオスさんも?」

「ううん。父上はヴォルフさんとビルさんと一緒に鹿狩りに行ってる。もう少し、肉の貯蔵を増やしておきたいって」


 そう答えたイコは、ふとある違和感を抱いた。

 リーファスが、グレンの船に乗って本土まで出かけていくこと自体は、別に珍しいことでもない。今日のはちょっと唐突だったが、イヴ伯父さんに会う用事が出来たのかな? と思ったぐらいで、あまり深く考えなかったのだが……。今にして思えば、伴侶であるレオスや仲間の誰も連れず、一人で遠出をすることは滅多にない。

 我知らず顔に滲んだ不安を、キリィは見逃さなかったようだ。


「大丈夫だよ、イコ。今日はこの季節にしちゃ珍しく、海が凪いでるからな。グレンの船なら夜までには帰ってこられるさ」

「うん……」

「そう願いたいな。先生なしで第六層の地図を全部作るのは、さすがにキツい」


 いやいや、何を言ってるのかねクィル君……、とキリィはいきなり巫山戯(ふざけ)た物言いをしたかと思うと、芝居がかった仕草で両手を広げ、首を横に振ってみせた。


「地図に限らず、いつまでも全てをトワ頼みにしておくのはちょっとまずいからな。クィルだけじゃないぞ。イコもメグも、これから覚えることは沢山ある。アイツがいなくても、しっかり出来るようにならないとな」

「え? 父さん、どこか遠くに行っちゃうの?」

「ひょっとして先生、何か病気なのか? 昨日も青白い顔をしてたし」

「……それは。いつもだと、思います」


 イコたちの発言に、キリィはますますにっと笑みを深める。


「大丈夫。トワは病気じゃない。けどまあ、そのうち()()()()()()()しか食べられなくなるんだろうけどな」


  彼らは、三人揃ってキョトンとした目つきでキリィを見返した。


「……キリィさん、それ、どういう意味?」



     ➕ ➕ ➕


 

 ──冬の夕映えに照らされたゴルネイ岳を、海の方から見るのはこれが初めてかもしれない。


 沖で、モーガン商会の商船から小型艇(ランチ)に乗り移った時、俺は特等席にいる気分で、ごく短い間だけ鑑賞することができる、(あかがね)色の夕陽に染まった空と海と島が三位一体となった見事な夕景を愉しんだ。

 舳先(へさき)にある大きなカンテラを灯した小型艇が、ゆっくりと島の小さな港に向かっていく。

 ……日没前には何とか帰り着くことが出来た、とほっとしていると、無人だと思っていた波止場に誰かが立っているのが見えた。


「レオ……?」


 遠くからでも、一目で美しいとわかる男だった。

 やがて船が港につけられると、俺は(はや)る気持ちを抑え、出来るだけ平静な顔を作りながら船を降りた。だが波止場を歩く足は自然、早まる。

 穏やかな表情で、レオスもゆっくりと近づいてきた。


「おかえり、トワ」

「ただいま」


 そばまで行くと、すぐに手を繋がれる。それも全部の指を絡ませ合うやつだ。誰かに見られたら、と思うと気恥ずかしかったが、グレンや水夫たちはまだ船の周りにいて、誰もこちらを見ていなかった。


「寒くなかったか?」

「着込んで行ったから大丈夫だ。レオこそ、ここでずっと待っていたのか?」

「いや、今来たところだ。拠点から、ちょうど船が見えたから」


 船というのは、沖に停泊中の商船の方だろう。それで駆け下りてきたにしても、波止場に着くのが早い。その上、全く息を切らしていないのがさすがだった。


「……俺も、少しは足腰を鍛えておかないとな」


 松明(たいまつ)の代わりに、魔法で浮遊する火の玉を出した俺は、レオスと一緒に拠点の方へと続く道を歩き出す。レオスは、右の目を眇めて俺の全身をじっと見た。


「確かに、お前は細すぎるけどな……」

「抱き心地が良くないから、もっと太れって?」


 こんな直截(ちょくさい)な言い方はされなかったが、遠回しになら言われたことがある。しかし、残念ながら俺はあまり大食な方ではないし、贅肉はおろか、いくら鍛えようとしても筋肉がつきにくい身体だった。


「抱き心地が良くないだなんて言ってない。抱き締めたら、折れそうで怖いと言ったんだ」

「そうだったか?」

「ああ、そうだ」


 レオスは、繋いだ手を持ち上げると、甲や指の付け根に何度も唇を押し当ててきた。


「……何のために鍛える?」

「それは……、まあ、歳も歳だしな」

「俺たちと、ヒュドラ退治に行く為……じゃないんだろう?」


 レオスは、薄く微笑む。その目が少し寂しげに見えるのは気の所為だろうか。


「パットもキリィも、春までにクィルのことを鍛え上げようとしている。お前の代わりの白魔法使いがどうしても要ると言い張って。……トワ、本当にもう、冒険者に戻るつもりはないのか?」

「レオ、俺は……」


 ──確信が、持てるまでは。


 そして、それがちゃんと事実だと確定されるまでは、レオスには絶対に言わないと決めていたことがある。

 否、レオスに限らず誰にも……、ただエティスにだけは、成り行きでつい匂わせてしまったが、彼もその秘密は守ってくれている。

 相変わらず、俺の体調の変化に誰よりも敏感なパットには、少し前にバレてしまった。

 ということは当然、キリィにも伝わっている。今のあの二人の間に、秘密というものは一切存在しない。

 ヴォルフはきっと、まだ知らないだろう。いつでも彼は、最後に知る人だ。


 俺は、小さく息を吸った。


「……冒険者には、戻れない。少なくとも、今は。それから……、ヒートも当分の間はお預けだ」

「え?」


 レオスはぎょっとしたように声を上げ、足を止めてしまった。俺は、繋がれていない方の手を自分の腹部にそっと当てながら言った。


「お前と一緒に、ヒュドラ退治に行けないのは残念だが。その先に、もっと大事な仕事が出来た。……()()()()()()……、だそうだ」

「……トワ!」


 絶望から一転。感極まったように俺の名を呼んで、レオスが抱き締めてきた。


「本当に? 間違いないんだな?」

「ああ。今日は、兄上に紹介された新しい主治医の所に行ってきた。オメガの出産も、たくさん手掛けてきたそうだ」

「そうか」

「黙っていて、悪かった……。でも、もしかしたら、気の所為かもしれないって、そう思って……。本当にそうだとわかるまでは黙っていようと……」


 たどたどしく言い訳する様がおかしかったのか、レオスはクスリと笑った。


「で? お前はいつから気づいてたんだ」

「それは……」


 それを直感したのは、ダンジョンの最下層で、クィルを連れて帰ろうとした時だ。身体の中で、魔力の流れが僅かに変わったのを感じた。

 明らかすぎる心当たりもあったので、あの時にはほとんど確信していた。

 いや、でもやはり気の所為だろうかと、その確信から不安へと揺れ動いたりもして……。


「……もしかして、ここを噛んだ時に出来たのか?」


 ヒスイ石のチョーカーを嵌めた項を、レオスの指がなぞる。


「多分、な」

「トワ。どうか、無事に生んでくれ。そのために、俺に出来ることならなんでもする」

「……もう、一人で遠くへ行かないなら、それでいい」


 それだけでいい。

 俺が縋るように見つめると、美しい碧眼が濡れるように(きら)めいた。


「当然だ。例えお前が嫌だと言っても、二度とお前のそばから離れるつもりはない。死ぬまで離さない」

「……そこは、死んでも離さない、じゃないのか?」


 俺が異を唱えると、


「ああ、死んでも離さない。いや、生まれ変わってもだ」


 さらに真面目くさった顔で返され、それからどちらからともなく笑い出した。

 これはまぎれもなく、俺の人生で二度目の蜜月だろう。しかも同じ相手との、十四年ぶりの……。


 俺とレオスは再び手を繋ぎ、白い息を弾ませながら、俺たちの宝物──イコが待つ家への道を急いだ──。




了 



この作品を最後までお読み頂き、ありがとうございました!!

さらに評価やブクマでポイントをつけてくださった方、リアクションしてくださった方、本当にありがとうございます!!!

間違いなく、今後の励みになりますので、ご無理のない範囲でぜひせひポチッとして頂きましたら嬉しいです!


最後は長いエピローグとなってしまいましたが、もうここでわける必要はないなと思い、ドンと一話分として上げさせて頂きました。


当初の予定文字数は十三万字。

五万ほど増えてしまいましたが、おかげさまで、書きたいことはほとんど書けました!


いや、本当はトワの巣作りのシーンを書きたかったのですが、なんとなくこの作品では求められていないような気が……? と迷っているうちに、その機を逸してしまいました。

オメガバース、書くことが多すぎて大変です。

初めてでしたが、勉強になりました。

そのうち番外編も書きたいです!


誤算だったのは、リーファスという名前を気に入ってつけたにもかかわらず、作中ではほとんどトワ呼びだったこと!(笑)


あと、ヘンドリックが、名前以外は最後まで登場しなかったのは、そういうつもりで意識して書いていたからです。変なこだわり…。


それでは、また! 別の作品でもお会いできたら嬉しいです。

ありがとうございました!!

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