21-2
リーファス・トワがオメガであるのは、その過去からも間違いがない。
だが、元冒険者のトワは、その第二性を隠してベータとして生きているようだった。そしてなんと、彼には金髪碧眼の美しい息子がいた。
しかも、何故か彼らは恐ろしく堅固な守りの中にいた。
そして、リーファス・トワ自身も、クィルなどよりも数段強い魔力の持ち主だ。正面から喧嘩を売って、勝てる相手ではなかった。
(ダンジョン内とか……魔素や瘴気の強い場所で、ホーンオウルの刻印の力を使って、やっと五分か)
島に常駐している研究員たちは、ある程度の事情を知るとはなしに知っているようだったが、レイブン家に睨まれることを恐れ、大っぴらに口外することはなかった。
しばらく経ってから、クィルは親しくなった研究員に上等な酒を飲ませ、これまで見聞きしたことを元に、自らが立てた仮説をもっともらしく話してみた。
するとその研究員は、『おい。その話、外では絶対にするなよ』と、怖い顔で釘を刺してきた。『ええ、もちろんですよ。僕だって命は惜しいです』とクィルは笑顔で請け合ったが、心の奥底では強い怒りと憎しみがマグマのように湧き上がった。
その激しい怒りが、ホーンオウルの呪いの所為なのかどうか、そのときのクィルにはもう、判断がつかなかった。
──リーファス・トワは……、勇者だかなんだか知らないが、魔導貴族ですらない冒険者風情と番って、その子供を秘かに生んでいた……!
それも、一目見ただけでわかる。
あの子供は間違いなく、あの狂った祖父が、喉から手が出るほど欲していた、アルファだ──。
クィルは、叔母の家に引き取られていたホーンオウルの血を引くマーガレットという少女に額の刻印を見せ、言う事を聞かねばこの呪いを使って叔母を殺すと脅した。
──そんなのは嘘だ。やって出来ないことはないのかもしれないが、本当にそうするつもりはなかった。
母も叔母も、あの祖父の娘でありながらその呪いを背負わされることもなく、嫁いだ先で子を生んで、その子にホーンオウルのことは一切語り聞かせることなく育てている。
クィルだけが、とんだ貧乏くじを引かされた。その憤懣が、身体の弱い叔父が最後に心を通わせたというメイドの娘、マーガレットに全て向いたのだ。
マーガレットを脅迫してリーファスの元に送り込んでからも、クィルは逸る心を抑え、淡々と連絡員の役目をこなしていった──。
レルネ島を、大きな地震が襲ってから一週間ほどが経とうとしていた。
そして、とうとうこの日。
ヒュドラが棲む大広間を含めた最下層域が出現した。
ヤツらが慌てて島に戻ってきたとしても、もう絶対に間に合わない。
ダンジョンの入口は、魔術結界を用いて厳重に閉ざした。まあ、そこは力ずくで押し開いたとしても、あのギルドマスター兼ダンジョンの管理人をしていたリーファスは、第五層までしか新たな地図を作製出来ていない。
小間使いとして、リーファスの家にうまく潜り込ませたメグに奪ってこさせた旧ダンジョンの地図は、これまでも大いに役に立った。つまり、第六層からは、この奪い取った古い地図しか存在しないのだ。
一月以上、第六層の中に潜んでいたクィルにとって、ここはもう自分の庭のようなものだった。
しかし、ヤツらにはその地の利がない。
地図がある第五層までは最短距離で駆け抜けたとしても、第六層のあちこちに、クィルが仕掛けたモンスターの召喚陣が手ぐすね引いて待ち構えている。そこから召喚されるのは、もともとその階層に生息しているモンスターのレベルよりも、数段高いヤツらばかりだった。
(ああ、でも急がないと!)
これ以上、祖父の呪いに縛られて生きていたくない。ほんの一瞬でもいい、自分の、自分だけの意思で生きてみたい。
あと少し、あと少しで……!
長い階段を降りきると、広い地下空洞に出た。そこには、大きな篝火が等間隔に置かれ、まるで昼間のように明るい。
クィルは、手にしていた松明の火を魔法で消すと、不要になったそれを放り投げた。
灯りに導かれるように歩くと、やがてその行く手に、まるで城砦にあるような、巨大な石の門が現れる。
最下層に現れた大広間への扉だ。その前で待ち構えているのは、カルキノス──巨大な蟹の姿をしたモンスターだった。
カルキノスは、とうにクィルの姿を見つけていた。右の爪より倍以上も大きい左の爪を激しく振り上げ、今にも飛びかからんばかりにこちらを威嚇してくる。
(カルキノス。『水属性』か……厄介だな)
チッ、とクィルは舌打ちした。
ダンジョンボスのヒュドラは、水属性の中では最高ランクに分類されるモンスターだが、実は三つある首の属性がそれぞれで異なっているため、同時に複数の属性を有しているという特異な性質のモンスターでもあった。
右側の首が風属性。左側の首が火属性。そして、真ん中の首と胴体が水属性のため、大部分を占める水属性の弱点である『土属性』の巨人ゴーレムならば、土の弱点である風属性の首以外にはどうにか対抗出来るかもしれないと踏んで、それを召喚するための魔力は温存していた。が、既にここに来るまでにいくつもの召喚陣を仕掛けてきた彼には、カルキノスに対抗する手段がなかった。
「……勇者の試練は、門を開く前から、か」
……もしもクィルが、例の手記を読んでさえいれば、事前に何か有効な対策を講じることが出来ていただろう。だが残念なことに、クィルはあの手記の存在そのものを知らなかった。
レイブン家への復讐の方法を模索しつつ、魔導研究所で見習いとして働いていたクィルは、そこで初めて百年前に起こったレルネ島での事件の概要も知ったのだ。
そしてその瞬間、まるで天啓を得たかのように。百年前と同じように、最下層域にあるダンジョンの結界の軛を壊して、この島を再びモンスターどもに蹂躙させることを思いついた。
……最下層まで降りてしまえば、すぐにもヒュドラと戦えるものと思っていたが、その目算は完全に狂った。まずここで、ヒュドラの眷族であるカルキノスを斃さなければ、目的は達成できない。
(僕ごときがヒュドラを斃せるだなんて、そんなことは夢にも思ってない。だけど、結界の軛を壊して、ヒュドラをこのダンジョンから解放することは、できる。……いや、絶対にそうしなきゃならない。じゃないと……!)
何も為せないまま、ただただ、祖父の呪いに食い殺されるだけの惨めな『敗北者』で終わってしまう……。
クィル自身はダンジョンに身を隠しながら、夜鷹を使役していた自分が名乗ることを渋ったときの、あのリーファス・トワの冷ややかな言葉が脳裏に蘇る。
『こちらは貴殿の名を聞いても誰だかわからない……つまりは自尊心が傷つくわけですな』
あのとき、クィルの芯に突き刺さった棘は、未だに抜けないままだ。憎悪という感情を初めて真に理解したのも、あのときだった。
「くそ、見てろよ。やって、やる……!」
クィルは、紙に書いた召喚陣を地面に投げつけ、最後の切り札であったゴーレム──トワに仕掛けたときは片腕のみだったが、今回は完全体だ──を召喚した。




