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芸能事務所の若社長ですが、所属タレントが不祥事を起こしすぎて胃が限界です  作者: 雪だるま


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37/43

37 3人のキス

 おまけ回。


 ピュア・クラウン単独ライブ終了後。


 舞台裏は、まだ熱気に包まれていた。


 スタッフが機材を片付け、衣装担当が小物を回収し、マネージャーたちが次の移動確認をしている。廊下には、興奮の余韻が残っていた。会場の歓声はもう遠くなっているはずなのに、耳の奥にはまだ残っている。久しぶりに三人揃ったライブは、大成功だった。


 白鳥瑠璃は、静かに水を飲んでいた。額にはわずかに汗が滲んでいる。いつもの清楚な美貌に、ライブ後の熱っぽさが加わり、舞台上とはまた違う雰囲気があった。


 小鳥遊ひまりは、差し入れのクッキーを両手で持っていた。


「ライブの後のクッキー、美味しいですねぇ」


 と、いつも通りふわふわしている。


 エミリア・神崎は、椅子に座って靴を脱ぎかけていた。


「足痛い。あの清楚衣装、見た目はいいけど動きにくすぎ」


 そう言いながらも、表情はそこまで悪くない。むしろ少しだけ満足そうだった。


 その三人の少し離れた場所で。


「のだぁ……」


 社長レイは壁にもたれていた。


 疲れていた。


 非常に疲れていた。


 ライブ中は感動し、売上を計算し、清楚系を守ろうとし、途中で所属俳優の神社情報に絶叫し、関係各所に電話し、それでもアンコールには戻ってきて三人を見守った。社長としての仕事をしていたのか、ただ騒いでいただけなのかは微妙だが、とにかく疲れていた。


「のだぁ……成功なのだぁ……」


 レイは小さく呟いた。


「清楚系ライブ、大成功なのだぁ……」


 スタッフが苦笑する。


「社長、お疲れ様です」


「吾輩は頑張ったのだぁ……」


「主に叫んでいましたね」


「叫ぶのも仕事なのだぁ……」


 レイはへろへろだった。


 だが、顔は嬉しそうだった。


 ピュア・クラウンが三人揃った。


 ライブが成功した。


 チケットは完売。


 配信も好調。


 グッズも売れた。


 SNSでは「顔面が強い」「久しぶりに三人揃って泣いた」「清純派売りですがなにか、ライブだとめちゃくちゃ楽しい」と盛り上がっている。


 レイにとっては、大勝利だった。


 ただし、疲れていた。


「のだぁ……吾輩、今日はもう働かないのだぁ……」


 そう言った瞬間、スマホが震えた。


 レイは反射的に画面を見た。


 所属俳優のマネージャーからだった。


『社長、神社の件ですが――』


 レイはスマホを伏せた。


「見えないのだぁ」


 現実逃避した。


「今の吾輩には見えないのだぁ」


 エミリアが遠くから言う。


「見えてるじゃん」


「見えてないのだぁ!」


「見えてた」


「見えてないのだぁ!」


 ひまりが笑った。


「社長さん、今日は大変でしたねぇ」


「大変だったのだぁ……」


 レイは涙目になった。


「お主らのライブは大成功だったのだぁ……でも神社が……神社が追いかけてくるのだぁ……」


 瑠璃が静かに近づいてきた。


「社長」


「のだ?」


「今日はありがとうございました」


「のだぁ?」


「ライブ、最後まで見てくださって」


 レイは少しだけ胸を張った。


「当然なのだぁ。吾輩は社長なのだぁ」


「はい」


「お主らは吾輩の大事な稼ぎ頭なのだぁ」


「言い方」


 エミリアが突っ込む。


 レイは慌てた。


「違うのだぁ!大事なタレントなのだぁ!」


「今さら言い直しても遅いけど」


「エミリアは細かいのだぁ!」


 ひまりはにこにこしながら言った。


「でも社長さん、ずっと見てましたよねぇ」


「見てたのだぁ!」


「嬉しかったですぅ」


「のだっ?」


 ひまりにそう言われ、レイは少し照れた。


「そ、そうなのだぁ?」


「はいぃ」


 エミリアも少しだけ目を逸らしながら言った。


「まあ、ライブ取ってきたのは社長だし」


「のだ?」


「一応、ありがと」


 レイは固まった。


「のだ?」


 エミリアが素直に礼を言った。


 かなり珍しい。


「今、お主、ありがとうって言ったのだぁ?」


「言ったけど」


「録音したかったのだぁ!」


「取り消す」


「のだぁあああ!」


 瑠璃が微笑んだ。


「エミリアさんも素直ですね」


「瑠璃まで言わないで」


 ライブ後の空気は柔らかかった。


 三人とも疲れていた。


 それでも、どこか満たされていた。


 ピュア・クラウンとして集まる機会は減っていたが、ライブをすれば、やはり三人のグループなのだと分かる。瑠璃の清楚な中心、ひまりの柔らかい歌声、エミリアの強い存在感。その三つが並ぶと、他の仕事では出せない空気になる。


 レイはそれを見ながら、しみじみ言った。


「のだぁ……」


「何?」


 エミリアが聞く。


「やっぱり三人揃うと良いのだぁ」


 珍しくまともなことを言った。


 瑠璃が少し驚いたように目を細める。


 ひまりは嬉しそうに笑う。


 エミリアも一瞬だけ黙った。


 レイは続けた。


「瑠璃だけでも綺麗なのだぁ。ひまりだけでも売れるのだぁ。エミリアだけでも強いのだぁ。でも三人揃うと、なんか……吾輩の事務所っぽいのだぁ」


「褒めてる?」


「褒めてるのだぁ!」


「事務所っぽいって何」


「混沌と清楚が共存しているのだぁ」


「褒めてないでしょ」


「褒めてるのだぁ!」


 瑠璃は少しだけ笑った。


「社長らしい言葉ですね」


「のだっ♡」


 レイは照れた。


「今日は特別に吾輩も良いことを言う日なのだぁ」


「じゃあ、今のうちですねぇ」


 ひまりがふわふわ言った。


「今のうちとは何なのだぁ!?」


「すぐいつも通りになりますぅ」


「ひまりまでひどいのだぁ!」


 その時、瑠璃が一歩前に出た。


「社長」


「のだ?」


「少し、失礼します」


「のだ?」


 レイが首を傾げた瞬間。


 瑠璃は静かに近づき、背伸びをした。


 そして。


 ちゅっ。


 レイの右ほっぺに軽くキスした。


 時間が止まった。


 スタッフが固まる。


 ひまりが「あ」と言う。


 エミリアが「へえ」と言う。


 レイは完全停止した。


「のだ……?」


 以前、撮影現場で瑠璃にほっぺへキスされたことがある。


 だが、それでも慣れるわけがない。


 むしろ、二度目だからこそ脳が混乱した。


「瑠璃……?」


 瑠璃は少しだけ頬を赤くしていた。


「今日のお礼です」


「のだ……」


「ライブを支えてくださって、ありがとうございました」


「のだ……」


 レイは右ほっぺを押さえた。


 そこだけ熱い。


 顔が真っ赤になる。


 しかし、そこで終わらなかった。


「じゃあ、ひまりもですぅ」


「のだ?」


 ひまりが近づいてきた。


 ふわふわした笑顔。


 何のためらいもない。


 まるで「クッキーをどうぞ」と同じくらい自然に、レイの左ほっぺに。


 ちゅっ。


 キスした。


「のだぁ!?」


「社長さん、ありがとうございましたぁ」


 ひまりはにこにこしている。


「今日、楽しかったですぅ」


「のだぁ……」


 レイは両ほっぺを押さえた。


 右、瑠璃。


 左、ひまり。


 情報量が多すぎる。


「のだ……?」


 完全に処理できていない。


 その瞬間。


 エミリアが腕を組んで立っていた。


 レイはその姿を見て、少しだけ安心した。


 エミリアはやらないだろう。


 エミリアはそういうことをしない。


 むしろ「気持ち悪い」と言って終わるはずだ。


 レイはそう思った。


 だが。


 エミリアはじっとレイを見た。


「……二人だけだと、あとで面倒くさいでしょ」


「のだ?」


「三人組だし」


「のだ?」


「勘違いしないでよ。ライブのお礼だから」


 そう言うと、エミリアは早足で近づいてきた。


 そして。


 少し乱暴なくらいの勢いで、レイの額に近いほっぺの上あたりに。


 ちゅっ。


 キスした。


 直後。


 エミリアはすぐ離れた。


「はい、終わり」


 レイは完全に壊れた。


「のだ……?」


 右ほっぺ、瑠璃。


 左ほっぺ、ひまり。


 上のほっぺ、エミリア。


 もう何が何だか分からない。


 社長としての思考も、経営判断も、違約金計算も、神社俳優問題も、全部吹き飛んだ。


「のだ……?」


 ひまりが笑った。


「社長さん、止まってますぅ」


 瑠璃が心配そうに覗き込む。


「大丈夫ですか?」


 エミリアは顔を逸らした。


「大げさ」


 レイは数秒、いや十数秒、完全に固まっていた。


 スタッフも息を殺している。


 そして。


 ようやく再起動した。


「のだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 舞台裏に絶叫が響いた。


 スタッフが一斉に振り返る。


「社長!?」


「今度は何!?」


「神社!?」


「違うのだぁあああ!!」


 レイは両手で顔を押さえた。


「三人なのだぁ!!」


「はい?」


「ピュア・クラウン三人なのだぁ!!」


「はい?」


「吾輩のほっぺがライブ会場なのだぁ!!」


 エミリアが即座に言った。


「意味不明」


「意味不明じゃないのだぁ!」


「ほっぺがライブ会場って何」


「吾輩にも分からないのだぁ!」


 レイは混乱していた。


 完全に混乱していた。


「のだぁ……」


 座り込む。


「吾輩、今日で死ぬのだぁ……」


 瑠璃が慌てる。


「縁起でもないことを言わないでください」


 ひまりも言う。


「社長さん、倒れないでくださいねぇ」


 エミリアが言う。


「また病院行くのやめてよ」


「お主らのせいなのだぁ!」


「感謝のキスで倒れられても困る」


「刺激が強すぎるのだぁ!」


 レイは顔を真っ赤にしていた。


 明らかに挙動不審だった。


 そこへ、新マネージャーが近づいてきた。


「社長」


「なんなのだぁ……」


「この件、写真には撮られていません」


「のだ?」


「スタッフ以外には見られていません」


「のだぁ……」


「ただ、社内では一生言われると思います」


「のだぁあああああ!?」


 エミリアが笑った。


「いいじゃん。誕生日でもないのに三人からお礼もらえて」


「良すぎるのだぁ……」


 レイはまだほっぺを押さえている。


「社長さん、そんなにですかぁ?」


 ひまりが首を傾げる。


「そんなになのだぁ!」


 レイは真顔で言った。


「お主ら、分かってないのだぁ!」


「何をですか?」


 瑠璃が聞く。


「トップクラスの美少女三人組からほっぺにキスなのだぁ!」


 ばんっ、と壁を叩こうとして、疲れていたので弱く叩いた。


「これは事件なのだぁ!」


「事件にしないで」


 エミリアが言う。


「ニュースにしないでよ」


「しないのだぁ!」


「絶対に?」


「しないのだぁ!」


「社長、すぐ自慢するから」


「自慢したいのだぁ!」


「するな」


「のだぁ……」


 レイは本当に自慢したそうだった。


 特に、東雲に言うかどうかで脳内会議が始まっていた。


 言ったらどうなるか。


 東雲はたぶん微笑んで、「よかったですね」と言う。


 でもその声が少しだけ静かになる。


 それは怖い。


 かなり怖い。


「のだぁ……」


 レイは真剣に悩んだ。


 エミリアはそれを見抜いた。


「東雲さんには黙っときなよ」


「のだっ!?」


「顔に出すぎ」


「出てないのだぁ!」


「出てる」


 ひまりがにこにこ言う。


「綾華さん、優しいから怒らないですよぉ」


「怒らないのが怖いのだぁ……」


 瑠璃が静かに言った。


「社長」


「のだ?」


「今日のことは、私たちからのお礼です。それ以上でも、それ以下でもありません」


「のだぁ……」


「ですから、あまり騒ぎすぎないでください」


「分かったのだぁ……」


 レイは大人しく頷いた。


 瑠璃に言われると弱い。


 エミリアが呆れる。


「本当に瑠璃には素直」


「瑠璃は吾輩の守護霊なのだぁ」


「生きてます」


 瑠璃がすぐ訂正する。


 ひまりは笑った。


「じゃあ、ひまりは何ですかぁ?」


「天使なのだぁ」


「わぁ」


「エミリアは?」


 エミリアが自分で聞いた。


 レイは少し考えた。


「……強い守護獣なのだぁ」


「何それ」


「吾輩を守るけど時々噛むのだぁ」


「噛まない」


「噛みそうなのだぁ」


「後で覚えてなさい」


「やっぱり噛むのだぁ!」


 舞台裏に笑いが起きた。


 ライブ後の疲労も、成功の余韻も、レイの混乱も、全部混ざって、妙に穏やかな時間になっていた。


 その夜。


 レイは社長室に戻ってから、しばらく鏡を見ていた。


 右ほっぺ。


「瑠璃なのだぁ……」


 左ほっぺ。


「ひまりなのだぁ……」


 少し上。


「エミリアなのだぁ……」


 完全に怪しい人だった。


 新マネージャーが扉の外から言う。


「社長、帰ってください」


「今、余韻なのだぁ」


「余韻が長いです」


「人生の宝物なのだぁ」


「帰ってください」


「のだぁ……」


 レイは名残惜しそうに鏡を見た。


 そして、スマホを手に取った。


 東雲へのメッセージ画面を開く。


『今日のライブ、大成功だったのだぁ』


 そこまでは打った。


 続けて。


『あと三人にほっぺにキスされたのだぁ』


 と打ちかけた。


 すぐ消した。


「危険なのだぁ……」


 再び打つ。


『とても良いライブだったのだぁ』


 送信。


 しばらくして、東雲から返信が来た。


『お疲れ様でした。大成功でよかったですね。今日はゆっくり休んでください』


 レイはスマホを抱きしめた。


「のだぁ……」


 やはり優しい。


 だが、ほっぺのことは言えない。


 レイはそっとスマホを伏せた。


 その頃、ピュア・クラウンの三人もそれぞれ帰りの車の中にいた。


 瑠璃は窓の外を見ながら、少しだけ微笑んでいた。


 ひまりは「社長さん、面白かったですねぇ」とマネージャーに話していた。


 エミリアはスマホを見ながら、小さく呟いた。


「騒ぎすぎ」


 だが、その顔は少しだけ楽しそうだった。


 ピュア・クラウンのライブは大成功。


 ライブ後のお礼も大成功。


 ただし、社長レイの精神だけは、一時的に大混乱だった。


 翌日、社内ではなぜか噂になっていた。


『社長、三人からキスされてフリーズ』


『再起動に十数秒』


『ほっぺがライブ会場発言』


 レイは朝から叫んだ。


「広めるななのだぁああああ!!」


 エミリアは笑い、ひまりは拍手し、瑠璃は少し困った顔で微笑んだ。


 そして新マネージャーは冷静に言った。


「社長、今日は神社俳優の件で打ち合わせです」


 レイは現実に戻された。


「のだぁああああ!!昨日の幸せを返せなのだぁああああ!!」


 こうして、ピュア・クラウン単独ライブのおまけ回は終わった。


 清楚。


 感謝。


 ほっぺ。


 絶叫。


 そして神社。


 スターライト・ユニバースは、今日も平常運転だった。

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