32 ギスギスの3人
テレビ局。
大型特番『春の映画&ドラマ大集合スペシャル』収録日。
楽屋前の廊下には、妙な緊張感が漂っていた。
理由は簡単だった。
エミリア・神崎。
月城麗奈。
そして、最近急激に売れてきたぶりっ子系美人女優、花園みるく。
この三人が、同じ番組に出演することになってしまったのである。
番組側からすれば豪華だった。若手美人女優が三人。話題性抜群。番宣効果抜群。視聴率も取りやすい。編集もしやすい。SNSも盛り上がる。だが、現場スタッフからすれば胃が痛かった。なぜなら、エミリアと麗奈は以前に掴み合い写真が流出した犬猿の仲であり、花園みるくは最近「天然で可愛い」「守ってあげたい系」として急浮上しているが、業界内では計算高いぶりっ子として有名だったからである。
控室。
エミリアは台本を読んでいた。表情は平静。しかし目が鋭い。
マネージャーが小声で言う。
「エミリアさん、今日はくれぐれも穏便にお願いします」
「分かってる」
「麗奈さんと花園さんがいます」
「知ってる」
「絶対に挑発に乗らないでください」
「乗らない」
「本当ですか」
「乗らないって」
その瞬間、廊下から明るい声が聞こえた。
「おはようございまぁす!」
月城麗奈だった。
明るい。
華やか。
笑顔。
完璧な王道ヒロイン。
白いジャケットに淡い色のスカート。カメラがなくても、まるで雑誌の表紙のように立っている。美形である。自分が美形だと分かっている立ち方である。
麗奈はエミリアを見た。
「あ、エミリア。今日一緒なんだ。よろしくね」
笑顔。
しかし目が笑っていない。
エミリアも笑った。
「よろしく。麗奈」
笑顔。
しかしこちらも目が笑っていない。
空気が一度凍った。
スタッフが目を逸らした。
そこへ、さらに甘い声が割り込んだ。
「わぁ、麗奈さんとエミリアさんだぁ。みるく、こんなすごい方たちと一緒で緊張しちゃいますぅ」
花園みるく。
二十歳。
近年急浮上中の美人女優。
ふわふわした巻き髪。
少し上目遣い。
小さな声。
両手を胸の前で合わせる仕草。
守ってあげたい系。
ただし、現場スタッフの中には「この子は絶対に全部分かってやっている」と思っている者も多い。
みるくは二人の間に入るように立った。
「今日はよろしくお願いしますぅ。みるく、失敗しないように頑張りますねぇ」
麗奈が明るく笑う。
「みるくちゃん、最近すごいよね。ドラマも話題だし」
「そんなぁ。麗奈さんに言われるなんてぇ、みるく照れちゃいますぅ」
エミリアはその様子を見て、無言で台本を閉じた。
そして。
急に。
声を変えた。
「えへへ。エミリアもぉ、今日は緊張しちゃうなぁ」
麗奈の笑顔が一瞬止まった。
マネージャーも止まった。
花園みるくも止まった。
エミリアは続ける。
「麗奈ちゃんもみるくちゃんも可愛いからぁ、エミリア、隣に立つの恥ずかしいかもぉ」
完全なぶりっ子だった。
しかも上手かった。
演技力があるので、本物のぶりっ子に見える。声の甘さ、首の傾け方、目線、指先の動き、全部がやたら自然だった。
麗奈は一瞬だけ顔を引きつらせた。
「……エミリア、どうしたの?」
「えぇ? どうもしてないよぉ? 今日はみんな仲良く番宣だもんねぇ?」
エミリアはにこっと笑った。
麗奈は理解した。
こいつ、遊んでいる。
しかも、自分と花園みるくを同時に揶揄っている。
花園みるくも理解した。
こいつ、ぶりっ子を真似している。
しかも妙に上手い。
みるくは笑顔のまま言った。
「エミリアさんってぇ、そういう感じもできるんですねぇ」
「うん。みるくちゃんに教えてもらおうと思ってぇ」
「えぇ、みるくなんて何も教えられないですぅ」
「そんなことないよぉ。すごく参考になるもん」
笑顔。
甘い声。
しかし空気は刃物だった。
麗奈はそれを見て、明るい声で割り込んだ。
「二人とも仲良しだね。今日は楽しい収録になりそう」
「そうだねぇ、麗奈ちゃん」
エミリアが言う。
「麗奈ちゃんもいつも明るくてすごいよねぇ。どんな時でもキラキラしててぇ」
「ありがとう」
「本当に尊敬しちゃう。裏でもずっとそのままだったらもっとすごいのにぃ」
麗奈の笑顔が固まった。
スタッフ全員が聞かなかったふりをした。
みるくが小さく「わぁ」と言った。
麗奈は笑顔のまま返す。
「エミリアも、最近すごく清純派っぽくなったよね。曲のタイトルも可愛かった」
「清純派売りですがなにか?」
「そう、それ」
「ありがとう。麗奈ちゃんも恋愛映画ヒットしてよかったねぇ。演技より顔と雰囲気で押し切れるの、才能だと思うぅ」
「エミリアもホラー映画で顔だけ褒められてたもんね。分かるよ」
「うん。顔も才能だよねぇ」
三人とも笑顔だった。
全員、笑顔だった。
だが控室の温度は三度くらい下がっていた。
その頃。
病院の個室。
レイは平和だった。
「のだぁあああああ!!!」
ただし、うるさかった。
ベッドの上でゲーム機を握りしめている。退院前の検査待ちで、医師から「安静」と言われていたはずだが、ひまりが見舞いに持ってきたレースゲームに完全に熱中していた。
ひまりは椅子に座り、ふわふわ笑いながらコントローラーを操作していた。
「社長さん、またコースアウトしてますよぉ」
「速すぎるのだぁあああああ!!」
レイの画面では、車が壁に激突していた。
「ちょっとは社長に忖度しろなのだぁあああ!!」
「えへへぇ。ゲームは真剣勝負ですぅ」
「ひまりぃ!お主、歌もドラマもゲームも強いのだぁ!才能の暴力なのだぁ!」
「社長さんも頑張ってますよぉ」
「慰めが優しいのだぁ!でも勝ちたいのだぁ!」
レイは必死だった。
病室のテーブルには、東雲綾華から差し入れられた果物と、瑠璃から届いた上品な花、エミリアから送られた「退院したら働いて」という短いメッセージカードが置かれていた。
レイは一瞬だけエミリアのカードを見て言った。
「エミリアは冷たいのだぁ……」
ひまりは笑う。
「でも心配してましたよぉ」
「本当なのだぁ?」
「はいぃ。『社長、倒れてる場合じゃないでしょ』って言ってましたぁ」
「それ心配なのだぁ?」
「たぶん」
レイは少し嬉しそうだった。
その瞬間、ひまりの車がゴールした。
一位。
レイは十二位。
「のだぁあああああ!!」
「勝ちましたぁ」
「また負けたのだぁあああ!!」
「もう一回しますかぁ?」
「するのだぁ!」
完全に安静ではなかった。
一方、テレビ局では本番が始まっていた。
スタジオ。
司会者は大ベテランだった。若い女優同士の妙な空気を察しつつ、それを番組として面白く回す力がある。
「今日は話題の女優陣が集まってくださいました。まずは月城麗奈さん」
「よろしくお願いします!」
麗奈は明るい笑顔で手を振る。
「そしてエミリア・神崎さん」
「よろしくお願いします」
エミリアは上品に微笑む。さっきまでのぶりっ子は一度引っ込めている。
「そして花園みるくさん」
「よろしくお願いしますぅ。みるく、緊張してますぅ」
観客が可愛いとざわつく。
司会者が笑う。
「いやぁ、皆さん華やかですね。スタジオが明るい」
麗奈が即座に返す。
「ありがとうございます。今日は皆さんとご一緒できて嬉しいです」
エミリアも微笑む。
「私も、同年代の方とご一緒できる機会は刺激になります」
みるくが言う。
「みるくはお二人に挟まれて、もう夢みたいですぅ」
画面上は完璧だった。
若手美人女優三人の華やかな共演。
だが、スタッフ用モニターの前にいる関係者たちは胃が痛かった。
なぜなら、ちょっとした返答の端々に、微妙な棘が混ざるからである。
司会者が聞く。
「皆さん、それぞれ宣伝される作品がありますが、まず麗奈さん。今回の恋愛映画、かなりヒットしていますね」
麗奈は笑顔。
「本当にありがたいです。たくさんの方に観ていただけて、ヒロインとして幸せです」
エミリアが拍手する。
「素敵ですね」
麗奈が振り向く。
「ありがとう」
エミリアは微笑んだ。
「麗奈ちゃんらしい、明るくて可愛い役でした」
「ありがとう。エミリアも今度やってみたら?」
「うん。いつか演技力が必要な恋愛映画に出たいな」
一瞬、空気が止まった。
司会者はさすがだった。
「なるほど!恋愛映画にも色々なタイプがありますからね!」
強引に回収した。
次にエミリアの番。
「エミリアさんは社会派ドラマから一転、今回は映画の宣伝ですね」
「はい。今回は家族との関係を描いた作品で、感情の揺れを大切に演じました」
みるくが甘い声で言う。
「エミリアさんってぇ、感情を強く出す役がお上手ですよねぇ。みるく、見習いたいですぅ」
エミリアはにこっと笑った。
「ありがとう。みるくちゃんも、いつも可愛らしさを崩さないところがすごいと思う」
「そんなぁ」
「ずっとそのままでいられるの、本当に技術だよね」
みるくの笑顔が一瞬だけ固まる。
麗奈は横で笑いを堪えた。
そしてみるくの番。
「花園さんは、今話題のドラマで一気に注目されていますね」
「はいぃ。みるく、まだまだ未熟なんですけど、皆さんに支えていただいてぇ」
麗奈が笑顔で言う。
「みるくちゃん、現場でもそのまま可愛いんだろうね」
「そんなことないですぅ」
エミリアが即ぶりっ子声に切り替えた。
「えぇ、でもみるくちゃんは本当に可愛いよぉ。エミリアも、みるくちゃんみたいに守ってあげたくなる女の子になりたいなぁ」
観客は笑った。
司会者も笑った。
みるくは笑顔のまま固まった。
麗奈は下を向いて肩を震わせた。
エミリアは完璧な笑顔。
スタジオの空気は、テレビ越しには華やかだった。
現場では地獄だった。
その頃、病院。
「のだぁあああああ!!」
レイはまた負けていた。
「なんでひまりはカーブを曲がれるのだぁ!?」
「曲がる時にボタンを押すんですぅ」
「吾輩も押してるのだぁ!」
「たぶん押しすぎですぅ」
「ゲームにまで人生の厳しさを教えられるのだぁ……」
ひまりは笑いながら言った。
「社長さん、少し休みますかぁ?」
「嫌なのだぁ!勝つまでやるのだぁ!」
「お医者さんに怒られますよぉ」
「ゲームは心のリハビリなのだぁ!」
そこへ東雲綾華が入ってきた。
「リハビリですか?」
レイが固まった。
「のだ?」
コントローラーを持ったまま動かない。
「東雲殿……」
「お加減はいかがですか」
「今までは元気だったのだぁ……」
「今は?」
「恥ずかしいのだぁ……」
ひまりがにこにこ言った。
「社長さん、ずっと負けてますぅ」
「ひまりぃ!言うななのだぁ!」
東雲は小さく笑った。
「お元気そうで安心しました」
「のだぁ……」
レイは急に大人しくなった。
ひまりはゲーム機を置く。
「じゃあ、ひまりはそろそろお仕事に行きますねぇ」
「のだ?」
「リハーサルですぅ」
「おふざけ曲を歌うのだぁ?」
「はいぃ。今日は『宿題しろなのだっ♡』ですぅ」
「社会貢献なのだぁ」
「えへへぇ」
ひまりが去ると、病室は静かになった。
東雲は椅子に座る。
「無理はなさらないでくださいね」
「のだぁ」
「本当に」
「分かってるのだぁ」
「先ほどまで叫んでいたようですが」
「ゲームは別腹なのだぁ」
「別腹ではありません」
その頃、テレビ局の収録は佳境に入っていた。
企画コーナー。
『若手女優が選ぶ、ライバルだと思う人は?』
スタッフ全員が「なぜこの企画を入れた」と思った。
司会者も一瞬だけ目を細めたが、プロなので進める。
「皆さん、ライバルだと思う方はいますか?」
麗奈が先に答える。
「私は、同世代の皆さん全員が刺激になる存在です」
完璧な回答。
エミリアは微笑む。
「素敵な答えですね」
麗奈も微笑む。
「エミリアは?」
「私は、自分より良い芝居をする人は全員意識します」
これも悪くない。
だが麗奈が笑顔で言う。
「エミリアらしいね。芝居に真剣で」
「麗奈もいつかそういう答えを言う日が来るよ」
麗奈の笑顔が一瞬止まる。
みるくが慌てて入る。
「みるくはぁ、皆さんが憧れですぅ。ライバルなんて恐れ多いですぅ」
エミリアが即座に同じ声色で言う。
「えぇ、みるくちゃん謙虚で可愛いぃ」
麗奈が耐えきれずに少し笑った。
みるくは笑顔のままエミリアを見る。
「エミリアさんも可愛いですぅ」
「ありがとう。みるくちゃんに言われると嬉しいなぁ」
完全にぶりっ子合戦だった。
司会者が強引にまとめる。
「皆さん、それぞれ個性がありますね!」
まったくその通りだった。
収録後。
控室前。
三人は笑顔のまま並んだ。
スタッフ用の記念写真を撮るためである。
「はい、笑ってください」
三人は完璧に笑った。
麗奈は明るく華やか。
みるくは甘く可憐。
エミリアは上品な清純派スマイル。
写真だけ見れば、若手女優三人の仲良しショットだった。
実際の空気は、冷戦だった。
撮影が終わると、麗奈が小声で言う。
「エミリア、今日ずいぶん可愛かったね」
エミリアも小声で返す。
「麗奈も相変わらず明るい良い子だったね」
みるくが笑顔で言う。
「お二人とも仲良しなんですねぇ」
二人同時に言った。
「違う」
その瞬間だけ、なぜか息が合った。
麗奈とエミリアは互いを見て、すぐ目を逸らした。
みるくはにこにこしていたが、内心では思っていた。
(この二人、面倒くさい)
同時に、こうも思った。
(でも話題にはなる)
芸能界では、それも強さだった。
夜。
病院の個室。
レイは特番の切り抜きを見ていた。
東雲が帰った後である。
ひまりも仕事へ行った。
レイはベッドの上でスマホを見て、目を細めた。
「のだぁ……」
画面には、エミリアがぶりっ子声で「エミリアもぉ、緊張しちゃうなぁ」と言っている場面が映っていた。
レイは震えた。
「エミリアが……」
さらに震える。
「清純派を超えてぶりっ子になってるのだぁ……」
そして。
叫んだ。
「のだぁあああああ!!吾輩のいないところで面白いことするななのだぁああああ!!」
病院の廊下で看護師が反応した。
「田中さん、静かにしてください」
「ごめんなさいなのだぁ……」
すぐ小さくなる。
スマホを見る。
SNSでは既に盛り上がっていた。
『エミリア今日どうした?』
『ぶりっ子エミリア草』
『麗奈との空気が怖すぎる』
『花園みるくとエミリアのぶりっ子対決面白い』
『三人とも笑顔なのにギスギス』
『司会者が頑張ってた』
『エミリア、演技力の無駄遣い』
『麗奈が笑い堪えてるの好き』
レイはしばらく読んだ。
そして真顔で頷いた。
「視聴率取れそうなのだぁ……」
経営者だった。
結局そこだった。
翌日。
スターライト本社では、エミリアが戻ってきた。
社員たちは皆、特番を見ていた。
エミリアは平然としていた。
「何?」
新マネージャーが言う。
「昨日のぶりっ子、話題になっています」
「そう」
「麗奈さんとの空気も話題です」
「そう」
「花園さんとのやり取りも」
「そう」
エミリアは台本を開いた。
「番宣できたならいいでしょ」
そこへ瑠璃が来た。
「見ました」
「……瑠璃も?」
「はい」
「何か言いたい?」
瑠璃は少し考えた。
「とても上手でした」
「褒め方」
ひまりもやって来た。
「エミリアちゃん、可愛かったですぅ」
「ひまり、それ本気?」
「本気ですよぉ」
「ならいいけど」
その時、レイからビデオ通話が入った。
病院のベッドの上。
背景に花。
顔は妙に元気。
「エミリアぁあああ!」
「うるさ。病院でしょ」
「見たのだぁ!お主、ぶりっ子が上手すぎるのだぁ!」
「女優だから」
「次のピュア・クラウン新曲にぶりっ子パート入れるのだぁ!」
「嫌」
「決定なのだぁ!」
「入院中に余計なこと考えないで」
「吾輩は休養中でも企画するのだぁ!」
瑠璃が静かに言った。
「社長、まずはお身体を大切にしてください」
レイは即座に大人しくなった。
「はいなのだぁ……」
エミリアが呆れた。
「瑠璃には弱い」
ひまりが笑う。
「綾華さんにも弱いですよぉ」
レイは画面の向こうで顔を赤くした。
「その話は今しないのだぁ!」
結局、特番は放送前からネットで話題になり、宣伝としては大成功だった。
麗奈は王道ヒロインの笑顔のまま棘を隠し、花園みるくはぶりっ子系美人として爪痕を残し、エミリアは演技力を無駄に使ってぶりっ子を完璧に演じた。
そしてレイは病院でゲームに負け、騒ぎ、看護師に怒られ、ひまりに慰められ、東雲に静かに注意されていた。
芸能界は今日も忙しい。
だが少なくとも、病室のレイは少しだけ休んでいた。
ほんの少しだけ。
ただし、スマホのメモには既に新曲案が増えていた。
『ぶりっ子清純派ですがなにか』
退院後、また地獄が始まりそうであった。




