26 社長の誕生日
スターライト・ユニバース本社。
その日、社内は朝から妙に浮ついていた。
理由は簡単だった。
社長、田中レイの誕生日である。
普段から無駄に騒がしい男が、今日はさらに騒がしかった。なぜなら本人が一番、自分の誕生日を祝う気満々だったからだ。
「のだっ♡」
社長室の扉が勢いよく開く。
「のだっ♡」
白いスーツ。
胸元には妙なリボン。
腕には高級時計。
髪はいつもより整えられている。
顔だけは完璧な若社長が、両手を広げて現れた。
「今年も可愛い吾輩をよろしくなのだっ♡」
受付の社員たちは拍手した。
義務感半分。
慣れ半分。
諦め半分。
合計で一五〇%くらいの拍手だった。
「レイちゃんですのだっ♡」
レイは自分で自分にクラッカーを鳴らした。
ぱんっ。
紙吹雪が舞う。
田村の後任として入った新マネージャー候補たちは、まだこの事務所の空気に慣れていないため、全員きょとんとしていた。
ベテラン社員だけは落ち着いていた。
「社長、お誕生日おめでとうございます」
「めでたいのだぁ♡」
「こちら、取引先からの花です」
「のだっ♡」
「こちら、スポンサー様からのケーキです」
「のだっ♡」
「こちら、所属タレント一同からの寄せ書きです」
「のだっ♡」
レイは寄せ書きを受け取った。
大きな色紙には、所属タレントたちのメッセージが書かれている。
『社長、いつも謝ってくれてありがとうございます』
『ご迷惑をおかけしないよう頑張ります』
『今後は神社に気をつけます』
『炎上しないようにします』
『次はちゃんと事前に相談します』
レイは沈黙した。
「……のだぁ」
めでたいはずの誕生日なのに、謝罪と再発防止の香りがする。
「誕生日くらい純粋に祝えなのだぁ……」
しかし、色紙の中央にはピュア・クラウンの三人のメッセージもあった。
瑠璃。
『社長、お誕生日おめでとうございます。いつもお仕事を支えてくださり、ありがとうございます。これからも精一杯努めます』
ひまり。
『社長さん、お誕生日おめでとうございますぅ。今年もピロローンですねぇ』
エミリア。
『誕生日おめでとう。あんまり調子に乗らないように』
レイは色紙を抱きしめた。
「のだぁ……」
目が潤む。
「瑠璃は天使なのだぁ……ひまりは平和なのだぁ……エミリアは通常運転なのだぁ……」
その日の夕方。
社内の多目的ホールでは、レイの誕生日会が開かれることになっていた。
会社の行事というより、ほぼ本人の希望である。
ただし、社長の誕生日会なので、所属タレントもそれなりに顔を出す。取引先も少し来る。スポンサー関係者も来る。結果、意外とちゃんとしたパーティーになってしまった。
会場には大きなケーキ。
花。
軽食。
シャンパン。
そして、中央にはレイの巨大パネル。
『HAPPY BIRTHDAY REI』
下に小さく。
『今年も謝罪会見少なめでお願いします』
レイはそれを見て叫んだ。
「余計な一文なのだぁああああ!」
社員たちは拍手した。
誰が入れたのかは分からない。
たぶん全員の総意である。
ピュア・クラウンの三人も来ていた。
瑠璃は淡い水色のワンピース。
清楚だった。
信じられないくらい清楚だった。
卒業して少し大人びたことで、以前より落ち着いた美しさが増している。
ひまりはふわふわした白いワンピース。
どこかお菓子の妖精のようだった。
エミリアは黒に近い深い色のドレス。
美しいが、清純派というより強い。
レイは三人を見るなり両手を広げた。
「お主らぁああああ!吾輩の誕生日なのだぁ♡祝うのだぁ♡」
ひまりが拍手した。
「おめでとうございますぅ」
瑠璃も丁寧に頭を下げる。
「お誕生日おめでとうございます、社長」
エミリアは片手を上げた。
「おめでと」
「もっと感情を込めるのだぁ!」
「込めた」
「込めてないのだぁ!」
「はいはい。おめでとうございます、可愛い社長様」
「皮肉なのだぁ!でも誕生日だから受け取るのだぁ♡」
レイは上機嫌だった。
ひまりが小さな包みを渡す。
「これ、プレゼントですぅ」
「のだっ♡」
開けると、中にはにんじん型のペンが入っていた。
「暴言バニー用ですぅ」
「のだぁ……可愛いのだぁ……」
エミリアは薄い箱を渡した。
「私から」
「のだっ♡」
中身は高級ハンドクリームだった。
「謝罪会見で手を酷使するでしょ」
「用途が悲しいのだぁ!」
「使えるものにした」
「現実的なのだぁ……」
そして瑠璃。
瑠璃は小さな袋を持っていた。
「社長」
「のだっ♡」
「こちらを」
袋の中には、上品な万年筆が入っていた。
黒と銀の落ち着いたデザイン。
かなり高級そうだった。
レイは固まる。
「のだ……?」
「社長は契約書やお手紙を書く機会も多いと思いましたので」
「瑠璃ぃ……」
「お気に召さなければ、別のものに」
「気に入ったのだぁああああ!」
レイは万年筆を抱きしめた。
「のだぁ……瑠璃が吾輩の社長らしさを信じてくれているのだぁ……」
エミリアがぼそっと言う。
「使う前に泣いて壊さないでよ」
「壊さないのだぁ!」
その時だった。
会場の入口が少しざわついた。
一人の女性が入ってきた。
東雲綾華。
あの大企業令嬢である。
今日は淡いクリーム色のドレス姿だった。
派手すぎない。
しかし、非常に上品。
長い黒髪を緩くまとめ、落ち着いた微笑みを浮かべている。
彼女が入ってくると、空気が少し変わった。
芸能人の華やかさとは違う。
育ちの良い家の娘が持つ、静かな存在感があった。
レイは一瞬で気づいた。
「のだっ!?」
そして、顔が明るくなる。
「東雲殿ぉおおおお!」
レイは走り出した。
社員たちは慣れていた。
エミリアは「露骨」と呟いた。
ひまりは「あ、綾華さんですぅ」とふわふわ手を振った。
瑠璃だけが、少しだけ動きを止めた。
レイは東雲の前で満面の笑みになった。
「来てくれたのだぁ!?」
「ええ。お誕生日と伺いましたので」
「嬉しいのだぁ♡」
「おめでとうございます、レイさん」
「のだぁ……」
レイは胸を押さえた。
「名前呼びの破壊力が高いのだぁ……」
東雲は小さく笑い、細長い箱を差し出した。
「こちら、よろしければ」
「のだっ♡」
中身は上質なネクタイピンだった。
シンプルだが非常に品が良い。
「お仕事でも使えるものにしました」
「のだぁ……」
レイは感動した。
「みんな吾輩をちゃんと社長扱いしてくれるのだぁ……」
エミリアが遠くから言った。
「普段が社長っぽくないからじゃない?」
「聞こえてるのだぁ!」
東雲は微笑んだ。
「よくお似合いになると思います」
「のだっ♡」
レイはすぐつけようとした。
しかし手が震えてうまくつけられない。
「のだぁ?のだぁ?」
東雲が自然に近づく。
「少し失礼します」
そして、レイのネクタイにそっとネクタイピンを留めた。
距離が近い。
かなり近い。
レイは完全に固まった。
「のだ……」
「はい、できました」
「のだ……」
「どうされました?」
「心臓が一度死んだのだ……」
「大げさですよ」
その光景を、瑠璃は見ていた。
静かに。
本当に静かに。
表情はほとんど変わらない。
だが、手に持っていたグラスの位置が少しだけ下がった。
ひまりが隣で首を傾げる。
「瑠璃ちゃん?」
「はい」
「どうしましたぁ?」
「いえ」
瑠璃は微笑んだ。
いつもの完璧な微笑み。
だが、ひまりは意外と鋭いところがある。
「少し拗ねてますぅ?」
「……拗ねていません」
「そうですかぁ?」
「拗ねていません」
その言い方が、いつもより少しだけ硬かった。
エミリアが横から見て、にやりとした。
「へえ」
瑠璃は視線だけ向ける。
「何でしょうか」
「別に」
「何か言いたそうですね」
「珍しいなと思って」
「何がですか」
「瑠璃が顔に出してるの」
「出していません」
「出てる」
「出ていません」
「出てるって」
瑠璃は静かにお茶を飲んだ。
そして言った。
「社長がお客様に丁寧に対応しているだけです」
「お客様ね」
「はい」
「ふーん」
エミリアは面白そうだった。
「瑠璃、あの令嬢さん苦手?」
「苦手ではありません。上品で素敵な方だと思います」
「じゃあ何?」
「何もありません」
「へえ」
エミリアは笑った。
ひまりもにこにこしている。
「瑠璃ちゃん、社長さんにプレゼント渡した時より、綾華さんがネクタイピンつけた時の方がじっと見てましたぁ」
「見ていません」
「見てましたぁ」
「見ていません」
瑠璃は少しだけ視線を逸らした。
本当に珍しいことだった。
瑠璃は普段、感情を大きく動かさない。
レイが騒いでも、エミリアが毒を吐いても、ひまりが不思議なことを言っても、静かに受け流す。
そんな瑠璃が、今日はほんの少しだけ拗ねていた。
理由は本人にもよく分からなかった。
社長が東雲と楽しそうに話している。
それだけである。
東雲は美しい。
上品。
家柄も良い。
社長とも話が合う。
誕生日に来るくらいの仲。
それは良いことのはずだった。
社長が嬉しそうなのも良いことのはずだった。
なのに。
少しだけ面白くない。
瑠璃は自分の感情に困っていた。
一方、レイは完全に浮かれていた。
「東雲殿!ケーキ食べるのだぁ!」
「いただきます」
「こっちの料理も美味しいのだぁ!」
「ありがとうございます」
「吾輩の誕生日会なのだぁ!」
「はい」
「つまり今日は吾輩が一番偉いのだぁ!」
「社長ですから、普段から偉いのでは?」
「のだっ?」
レイは感動した。
「東雲殿は吾輩をちゃんと偉い人扱いしてくれるのだぁ……」
エミリアが遠くから言う。
「偉い人は自分でレイちゃんとか言わないけどね」
「エミリアぁ!誕生日に毒を吐くななのだぁ!」
「誕生日だから軽めにしてる」
「これで軽めなのだぁ!?」
会場はにぎやかだった。
所属タレントたちも次々にレイに挨拶する。
神社好き俳優も来た。
「社長、おめでとうございます」
「お主は今年こそ神社で踊るななのだぁ!」
「努力します」
「努力ではなく禁止なのだぁ!」
匂わせ炎上経験のある歌手も来た。
「社長、おめでとうございます」
「お主はカップを二つ並べるななのだぁ!」
「気をつけます」
「一つだけで生きるのだぁ!」
泥沼離婚中の看板女優も来た。
「社長、おめでとう」
「お主は弁護士と仲良くするのだぁ……」
「それはしてるわ」
「吾輩の誕生日に裁判資料を送るななのだぁ……」
レイは誕生日なのに、やはり社長だった。
祝いの言葉と同時に、不祥事予防指導をしている。
東雲はそれを見て、少し笑った。
「本当に大変ですね」
「大変なのだぁ!」
「でも、皆さんに慕われていますね」
「問題児に囲まれてるのだぁ……」
「それも才能では?」
「嫌な才能なのだぁ」
そのやり取りを、瑠璃はまた見ていた。
そして、少しだけグラスを置いた。
エミリアが小声で言う。
「行けば?」
「どこにですか」
「社長のところ」
「なぜですか」
「拗ねてるから」
「拗ねていません」
「はいはい」
ひまりが笑った。
「お祝いの日ですし、瑠璃ちゃんも社長さんとお話したらいいと思いますぅ」
「……そうですね」
瑠璃はしばらく迷った。
そして、ゆっくりレイの方へ向かった。
レイは東雲と話していた。
「のだっ♡そういえば東雲殿、このネクタイピンは家宝にするのだぁ」
「使ってください」
「使ったら傷つくのだぁ」
「使うためのものです」
「のだぁ……上品な正論なのだぁ……」
そこへ瑠璃が来る。
「社長」
「のだ?」
レイが振り向く。
「瑠璃?」
瑠璃は一礼した。
「東雲様、本日はお越しいただきありがとうございます」
東雲も丁寧に返す。
「こちらこそ。白鳥さん、いつも拝見しています。映画、とても綺麗でした」
「ありがとうございます」
「本当に画面に映える方ですね」
「恐れ入ります」
会話は礼儀正しい。
非常に美しい。
美しい女性二人が上品に会話している。
レイは感動した。
「のだぁ……清らかな空間なのだぁ……」
エミリアが遠くで「社長だけ浮いてる」と呟いた。
瑠璃はレイを見る。
「社長」
「なんなのだぁ」
「万年筆、ぜひ使ってください」
「のだっ?」
「飾るだけではなく」
「のだぁ……でも瑠璃からのプレゼントなのだぁ……」
「使っていただくために選びました」
東雲が少し笑った。
「私も同じことを言いましたね」
「はい」
瑠璃は微笑んだ。
だが、その微笑みには少しだけ意地があった。
「社長には、いただいたものを大切にしすぎて使わない癖があるようですから」
レイは目をぱちぱちさせた。
「瑠璃、吾輩のこと見てるのだぁ?」
「見ています。社長ですから」
「のだぁ……」
レイは胸を押さえた。
「誕生日に心臓が忙しいのだぁ……」
東雲は、その微妙な空気に気づいていた。
そして、楽しそうに微笑んだ。
「レイさんは、皆さんから大切にされているのですね」
「のだっ?」
瑠璃が静かに言う。
「社長は騒がしいですが、私たちを守ってくださいますので」
「瑠璃ぃ……」
レイは本気で泣きそうになった。
「吾輩、誕生日に泣いちゃうのだぁ……」
「泣かないでください」
「泣くのだぁ……」
「では、せめてケーキの前では泣かないでください」
「現実的なのだぁ……」
その後、ケーキカットが始まった。
なぜか社長なのに、自分で自分のケーキを切ることになった。
「のだっ♡レイちゃん入刀なのだぁ♡」
エミリアが言う。
「結婚式みたいな言い方やめなよ」
「誕生日式なのだぁ!」
ひまりが拍手する。
「わぁ、ケーキですぅ」
瑠璃も拍手する。
東雲も拍手する。
レイは満足そうだった。
だが、ケーキを配る時、少しだけ悩んだ。
一番綺麗な苺の乗った部分。
誰に渡すか。
東雲か。
瑠璃か。
レイは固まった。
「のだ……」
エミリアがそれを見て吹き出す。
「社長、そこで悩むんだ」
「悩んでないのだぁ!」
「めちゃくちゃ悩んでる」
ひまりが言う。
「半分にしたらいいですぅ」
「天才なのだぁ!」
結局、一番綺麗な苺は半分に切られ、東雲と瑠璃に配られた。
瑠璃はそれを見て、少しだけ機嫌が戻った。
東雲も気づいていたが、何も言わなかった。
ただ静かにケーキを食べた。
「美味しいですね」
「のだっ♡スポンサー様のケーキなのだぁ♡」
「そうなんですね」
「つまり食べるだけで企業案件なのだぁ♡」
「それは違うと思います」
レイは幸せそうだった。
誕生日会は続いた。
途中でひまりが『ピロローン300年』を歌い、子供向けイベントでもないのに社員たちが謎に盛り上がった。
エミリアは嫌々ながらもレイに一言祝辞を述べた。
「社長、誕生日おめでとう。騒がしいけど、仕事取ってくるところだけは評価してる」
「褒め方が雑なのだぁ!」
「最大限」
「もっと綺麗に言うのだぁ!」
「来年までに落ち着きなさい」
「無理なのだぁ!」
瑠璃は短く、しかし丁寧に言った。
「社長にとって、良い一年になりますように。私も、いただいたお仕事に誠実に向き合ってまいります」
レイはまた泣いた。
「のだぁ……」
最後に東雲が微笑んで言った。
「お誕生日おめでとうございます。お身体を大切にしてくださいね」
レイは完全に溶けた。
「のだぁ……」
エミリアが言う。
「社長、顔がだらしない」
「誕生日なのだぁ!許されるのだぁ!」
しかし、その夜。
誕生日会が終わり、人が少なくなった頃。
瑠璃は帰る前に、レイのところへ来た。
「社長」
「のだ?」
「今日はおめでとうございました」
「ありがとうなのだぁ♡」
「それと」
「のだ?」
「……少し、失礼しました」
「何がなのだぁ?」
「いえ」
瑠璃は少しだけ目を伏せた。
「私らしくなかったかもしれません」
レイは首を傾げた。
「のだ?」
何のことか本気で分かっていなかった。
瑠璃はそれを見て、少しだけ呆れたように微笑んだ。
「社長は、そういうところがありますね」
「どういうところなのだぁ?」
「分からなくていいです」
「のだぁ?」
瑠璃は一礼した。
「では、おやすみなさい」
「おやすみなのだぁ!」
瑠璃は去っていく。
その背中を見ながら、レイは不思議そうにしていた。
その後ろからエミリアが現れた。
「社長」
「のだ?」
「瑠璃、今日ちょっと拗ねてたよ」
「のだ?」
「本当に気づいてないの?」
「何に?」
「終わってる」
「のだぁ!?」
ひまりも横からにこにこ言う。
「瑠璃ちゃん、綾華さんと社長さんが仲良しで、ちょっとだけ寂しそうでしたぁ」
「のだ?」
レイは固まった。
「瑠璃が?」
「はいぃ」
「吾輩に?」
「たぶんですぅ」
レイはしばらく停止した。
そして。
「のだぁ……」
顔を真っ赤にした。
「誕生日、情報量が多すぎるのだぁ……」
エミリアは笑った。
「今年も大変そうね」
「お主らのせいでもあるのだぁ!」
「はいはい」
その瞬間、レイのスマホが鳴った。
通知。
所属俳優のマネージャー。
『社長、お誕生日中すみません。本人がまた神社方面に向かっています』
レイは画面を見た。
沈黙。
そして。
「のだぁああああああああ!!誕生日くらい神社へ行くななのだぁあああああ!!」
誕生日会場に、最後の悲鳴が響いた。
東雲は帰りの車の中でその悲鳴を聞き、少し笑った。
瑠璃も別の車の中で小さく笑った。
ひまりは「社長さん、元気ですねぇ」と言った。
エミリアは「誕生日でも平常運転」と呟いた。
こうして、社長レイの誕生日は終わった。
可愛い吾輩をよろしく。
レイちゃんですのだ。
そう叫んだ一日は、祝福とプレゼントと、少しの嫉妬と、最後の神社騒動で締めくくられたのである。




