23 エミリアのスキャンダル
スターライト・ユニバース本社。
その日、社内の空気は完全に死んでいた。
原因は一枚の写真だった。いや、一枚ではない。角度違い、引き、寄り、連写、動画の切り抜き、さらに誰かが面白半分で拡大したものまで、ネット中にばら撒かれていた。
写っていたのは、エミリア・神崎。スターライト・ユニバースが「正統派清純派美少女」「演技力もある次世代女優」として必死に売り出していた看板候補。そしてもう一人は、鳳凰プロモーションの月城麗奈。明るく華やかで、王道ヒロイン枠ど真ん中の人気若手女優。世間的にはどちらも、可愛くて、綺麗で、品があり、少女漫画から出てきたような存在だと思われていた。
その二人が、掴み合っていた。
しかも、かなり本気だった。
エミリアは麗奈の袖を掴み、麗奈はエミリアの髪飾り付近を掴み返している。二人とも顔が良すぎるせいで、一瞬だけ映画のワンシーンにも見えた。だが周囲のスタッフが本気で止めに入っているので、どう見ても現実だった。
SNSは爆発した。
『え、エミリアと麗奈?』
『清純派とは』
『二人ともそんなキャラだったの!?』
『顔面強すぎる女同士の大喧嘩、情報量が多い』
『ドラマより面白い』
『麗奈ちゃん明るい良い子じゃなかったの?』
『エミリアは薄々気が強そうだったけどここまでとは』
『正統派美少女二人が掴み合いは衝撃』
『清純派、終了のお知らせ』
スターライト本社では、レイが床に倒れていた。
「のだぁ……」
完全に現実逃避していた。
「ひまりちゃんは天使なのだぁ……」
ソファの下に半分潜りながら呟く。
「瑠璃ちゃんは吾輩の守護霊なのだぁ……」
田村が横に立っている。
「社長、出てきてください」
「嫌なのだぁ……」
「会議です」
「会議なんて存在しないのだぁ……世界にはひまりちゃんの歌声と瑠璃ちゃんの美貌しかないのだぁ……」
「エミリアさんの件です」
「聞こえないのだぁ……」
「聞こえています」
「のだぁ……」
机の上には、拡散された写真を印刷した資料が置かれていた。なぜ印刷したのかは分からない。だが危機管理会議では、なぜか皆が紙で見たがる。結果として、会議室にはエミリアと麗奈の掴み合い写真が何枚も並ぶことになった。
レイは資料をちらりと見て、また目を逸らした。
「まずいのだぁ……」
「まずいですね」
「清純派イメージが粉々なのだぁ……」
「はい」
「粉どころか砂なのだぁ……」
「かなり細かいですね」
「スポンサー様が泣くのだぁ……」
田村は冷静だった。
「現時点で分かっていることを整理します。写真の拡散者は不明。場所は映画関係者向けの懇親会の裏導線。一般客は入れない場所です」
「内部なのだぁ?」
「その可能性が高いです」
「のだぁ……」
「ただし、どちらの事務所側から出たものか、第三者なのかはまだ不明です」
「鳳凰プロが自分の看板候補も巻き込むとは思えないのだぁ……」
「普通はそうです。ただ、麗奈さん側にもダメージがある以上、単純な攻撃とは限りません」
レイは頭を抱えた。
「なんで掴み合うのだぁ……口で嫌味言い合うくらいにしておけなのだぁ……」
その瞬間、会議室の扉が開いた。
エミリア本人が入ってきた。
顔は平然としている。
だが、髪は少し乱れていた。
「おはよ」
「おはよじゃないのだぁあああああ!!」
レイは即座に立ち上がった。
「お主ぃぃぃ!!清純派が!清純派が!清純派がぁああ!!」
「うるさい」
「その態度なのだぁ!そこなのだぁ!カメラの前だけ清純派の演技をするのだぁ!」
「カメラないでしょ」
「どこにでもあるのだぁ!見ろなのだぁ!あったのだぁ!」
レイは資料を突きつける。
エミリアは写真を見て、眉をひそめた。
「うわ、最悪の角度」
「問題は角度じゃないのだぁ!」
「いや、麗奈の方が私の衣装引っ張ってるの分かりにくい」
「言い訳の方向が現場の喧嘩なのだぁ!世間向けじゃないのだぁ!」
田村が割り込む。
「原因は何ですか」
エミリアは少し黙った。
「麗奈が言った」
「何を?」
「私の映画が顔だけって」
レイが固まった。
「のだ?」
「それで?」
田村が促す。
「私が、麗奈も演技で話題になれるといいねって言った」
会議室が静かになった。
レイが震えた。
「お主ら、性格が悪いのだぁ……」
「向こうが先」
「先とか後とかじゃないのだぁ!」
「それで麗奈が、私の清純派売りは無理があるって言った」
「のだぁ……」
「だから私が、麗奈の明るい良い子売りもだいぶ演技上手いねって言った」
田村は眉間を押さえた。
「それで掴み合いですか」
「向こうが先に袖掴んだ」
「お主も掴み返したのだぁ!」
「当然でしょ」
「当然じゃないのだぁあああ!」
同じ頃。
鳳凰プロモーション本社でも地獄の会議が開かれていた。
月城麗奈は、ソファに座ってスマホを見ていた。顔は明るい。だが目は完全に不機嫌だった。
マネージャーが頭を抱える。
「麗奈さん、これはかなりまずいです」
「分かってる」
「本当に分かっていますか」
「分かってるってば」
「世間は麗奈さんを“明るくて誰からも好かれる王道ヒロイン”として見ています」
「そうね」
「その麗奈さんが掴み合いです」
「エミリアもやってるでしょ」
「相手の話ではありません」
「でも向こうも終わりじゃん」
「こちらも終わりかけています」
麗奈はスマホを投げ出した。
「だって腹立つんだもん」
「その言葉を絶対に外で言わないでください」
「言わないわよ」
「あと、エミリアさんの美貌に関する嫌味も禁止です」
「言ってない」
「言いそうな顔です」
「私は他の女優を綺麗とは言わない主義なの」
「今その主義は必要ありません」
鳳凰プロの幹部は真剣だった。
麗奈は看板女優候補のど真ん中だった。演技力はまだ微妙だが、顔が強い。明るい。バラエティも強い。CMも持っている。今後、王道ヒロイン枠で押していく予定だった。
そこに掴み合い写真。
大打撃だった。
「エミリアさんとの対立構造にされるのは避けたい」
「もうされてるけど」
「避けたいと言っているんです」
「無理じゃない?」
「無理でもやるんです」
一方スターライトでは、レイが謎の計算を始めていた。
「大丈夫なのだぁ……まだいけるのだぁ……」
田村が警戒する。
「社長、何を言い出すつもりですか」
「ピュア・クラウンは三人なのだぁ」
「はい」
「瑠璃は清純派なのだぁ」
「はい」
「ひまりも清純派寄りなのだぁ。少し既婚者発言が怖いけど、基本は天使なのだぁ」
「はい」
「エミリアだけが清純派から脱落しかけているのだぁ」
「はい」
「つまり二対一なのだぁ!」
田村が沈黙した。
レイはホワイトボードに書いた。
『瑠璃+ひまり=清純派』
『エミリア=一時的事故』
『多数決=清純派』
「のだっ!」
「社長」
「なんなのだぁ!」
「世間は多数決でイメージを判断しません」
「でも多数決なのだぁ!」
「しません」
「四捨五入すればエミリアも清純派なのだぁ!」
「四捨五入の概念を壊さないでください」
レイはさらに暴走した。
「大丈夫なのだぁ!いざという時は吾輩が女装してピュア・クラウンの一員になるのだぁ!」
会議室全員が止まった。
エミリアですら止まった。
「は?」
「吾輩が清純派イメージを守るのだぁああああ!」
レイは胸を張った。
「瑠璃、ひまり、女装した吾輩!これで清純派三人組なのだぁ!」
田村が即答した。
「最悪です」
「のだぁ!?」
「事務所史上最大の炎上になります」
「なぜなのだぁ!?」
「社長が女装して未成年アイドルグループに混ざるからです」
「言い方が最悪なのだぁ!」
「事実です」
エミリアが冷たく言った。
「それやったら私より社長が炎上するから、逆に助かるかもね」
「お主、吾輩を盾にする気なのだぁ!?」
「社長が勝手に盾になろうとしてるんでしょ」
その時、瑠璃とひまりが会議室に入ってきた。
瑠璃は状況を把握して、静かに資料を見た。
ひまりは写真を覗き込み、ふわふわと言った。
「わぁ、本当に掴み合ってますねぇ」
「ひまりぃ!そこをふわふわ言うななのだぁ!」
瑠璃はエミリアに向き直った。
「お怪我はありませんか」
エミリアは少しだけ気まずそうにした。
「ない」
「それなら良かったです」
その一言で、会議室の空気が少しだけ変わった。
レイは涙目になる。
「瑠璃ぃ……お主、本当に守護霊なのだぁ……」
「生きています」
「心の守護霊なのだぁ……」
ひまりも言う。
「麗奈さんも怪我してないといいですねぇ」
エミリアはそっぽを向いた。
「向こうも平気でしょ」
「じゃあよかったですぅ」
レイはひまりを見た。
「ひまりちゃんは天使なのだぁ……」
「えへへぇ」
田村は冷静に会議を戻した。
「まず公式対応です。双方とも大きな怪我がないこと、関係者に迷惑をかけたことへの謝罪、詳細な経緯は確認中。ただし、相手を一方的に責めない。これでいきます」
「のだぁ……」
「社長も余計なことを言わないでください」
「吾輩は女装案を」
「封印です」
「のだぁ……」
「永久封印です」
その日の夕方。
スターライトと鳳凰プロは、それぞれ短いコメントを出した。
内容はほぼ同じ。
関係者へのお詫び。
事実確認中。
本人への指導。
今後の再発防止。
だが、ネットは止まらなかった。
『清純派美少女同士の裏バトル』
『エミリアVS麗奈、映画化してほしい』
『どっちもイメージ崩壊』
『逆に人間味ある』
『麗奈ちゃん、明るいだけじゃなかった』
『エミリアはやっぱ気が強い』
『ピュア・クラウン清純派とは』
『瑠璃とひまりは守ってくれ』
レイは最後のコメントを見て、叫んだ。
「そうなのだぁ!瑠璃とひまりは守るのだぁ!エミリアもできれば守るのだぁ!」
「できればって何よ」
「かなり頑張って守ってるのだぁ!」
「もっと堂々と言いなさいよ」
「お主ももっと堂々と清純派してくれなのだぁ!」
数日後、麗奈側も必死に動いた。
バラエティでは「少し感情的になってしまって反省しています」と明るく頭を下げた。インタビューでは「同年代でお互いに刺激を受ける存在」と語った。CMスポンサー向けには、鳳凰プロの幹部が直接説明に回った。
一方、エミリアは田村に台本を渡されていた。
「読んでください」
「何これ」
「取材用コメントです」
「“未熟さを反省し、今後は作品で返していきたいです”」
「はい」
「真面目すぎる」
「それを言う場面です」
「分かった」
レイは横から覗き込む。
「もっと清純派っぽくするのだぁ。“皆様を悲しませてしまい、胸が痛いです”なのだぁ」
エミリアは真顔で言った。
「胸は痛くない」
「痛めるのだぁ!」
「無茶言わないで」
瑠璃が静かに言った。
「エミリアさんらしく、誠実に言えば良いと思います」
ひまりも頷いた。
「そうですねぇ。嘘っぽいと変ですぅ」
レイは頭を抱えた。
「清純派って難しいのだぁ……」
そして結局、エミリアは取材でこう言った。
「関係者の皆様にご迷惑をおかけして申し訳ありません。感情的になったことは反省しています。いただいている仕事には、これまで以上に真剣に向き合います」
短い。
飾り気がない。
だが、エミリアにしては最大限まともだった。
ネットの反応は割れた。
『清純派ではない』
『でも潔い』
『変に泣かないのは好感』
『麗奈もエミリアも気が強いんだな』
『正統派美少女って表で作ってるだけなんだな』
『まあ女優だからな』
『顔が良い女同士の喧嘩、ドラマより見たい』
イメージは傷ついた。
それは確かだった。
だが、完全に終わりではなかった。
むしろ、エミリアは「清純派そのもの」から「気が強いが演技で魅せる美少女女優」へと、少しずつ世間の認識が変わり始めた。
レイはそれを見て、複雑な顔をした。
「のだぁ……清純派が……」
田村が言う。
「無理に戻すより、現実に合わせた方がいいかもしれません」
「のだぁ……」
「瑠璃さんがセンターで清純派の軸を維持し、ひまりさんが柔らかさを担う。エミリアさんは強さと演技力で売る。以前から実態はそうでした」
「分かってるのだぁ……」
レイは悔しそうに頷いた。
「でも清純派超美少女三人組って響きが好きだったのだぁ……」
エミリアが言った。
「まだ顔は三人とも超美少女でしょ」
「そこは間違いないのだぁ!」
ひまりが笑う。
「清純派っぽく見える時もありますよぉ」
「ひまりは優しいのだぁ!」
瑠璃が微笑む。
「これからも三人で頑張ります」
レイは胸を押さえた。
「瑠璃ぃ……」
その瞬間、レイのスマホが鳴った。
通知。
『ネットで“レイ社長女装加入説”が一部でネタ化』
レイは固まった。
「のだ?」
田村が画面を見る。
「誰かが会議室の発言を聞いていた可能性がありますね」
「のだぁああああああああ!?」
エミリアが爆笑した。
「社長、清純派守る前に自分守りなよ」
ひまりは「社長さんもうさぎさんですかぁ?」と首を傾げた。
瑠璃は口元を押さえていた。
レイは頭を抱えて叫んだ。
「吾輩が一番清純派から遠いのだぁあああああ!!」
こうして、エミリアと麗奈の掴み合い騒動は、両事務所を巻き込む大騒動となった。
ピュア・クラウンの清純派イメージは大きく揺れた。
麗奈の王道ヒロイン像にも傷が入った。
だが、芸能界は止まらない。
翌週には、瑠璃の新CMが流れた。
ひまりの探偵ドラマの続編が発表された。
エミリアには、気の強い令嬢役のオファーが来た。
そして月城麗奈にも、明るい顔の裏に負けず嫌いを抱えたヒロイン役の話が舞い込んだ。
レイは資料を見て、ぼそりと呟いた。
「……結局、仕事に変わるのだぁ」
田村が頷く。
「芸能界ですから」
「怖い世界なのだぁ……」
「今さらです」
レイは三人を見た。
瑠璃は清純派のまま。
ひまりは天使っぽいまま。
エミリアは清純派から少し外れたが、女優としてはむしろ役幅が広がった。
レイは深いため息をついた。
「のだぁ……多数決でまだ清純派なのだぁ……」
田村が言う。
「その理屈はやめてください」
「でも二対一なのだぁ……」
「やめてください」
エミリアが笑った。
「じゃあ私が清純派じゃない担当でいいじゃん」
「開き直るななのだぁ!」
ひまりが言った。
「じゃあ、瑠璃ちゃんが清純派担当、ひまりがふわふわ担当、エミリアちゃんが強い担当ですねぇ」
瑠璃が頷く。
「その方が自然かもしれません」
レイはしばらく黙り込んだ。
そして。
「のだぁ……」
ホワイトボードに新しく書いた。
『ピュア・クラウン』
『清純派担当:瑠璃』
『ふわふわ担当:ひまり』
『強い担当:エミリア』
『社長:女装禁止』
田村が最後の行を勝手に追加した。
「のだぁあああ!?そこはいらないのだぁ!」
「必要です」
会議室に、久しぶりに笑いが起きた。
大騒動の後でも、ピュア・クラウンはまだ終わらなかった。
むしろ少しだけ、嘘の薄皮が剥がれた分、変に強くなっていた。
レイはそのことに気づいて、少しだけ安心した。
そしてすぐ、またスマホを見て震えた。
「のだぁ……次は麗奈の事務所と共同コメントなのだぁ……」
エミリアが嫌そうな顔をする。
「麗奈と?」
「仲良しアピールなのだぁ」
「無理」
「やるのだぁ!」
「絶対顔に出る」
「そこを女優力で乗り切るのだぁ!」
レイは両手を合わせた。
「頼むのだぁ……今だけでも清純派っぽくしてくれなのだぁ……」
エミリアはため息をついた。
「仕事ならやる」
レイは泣いた。
「のだぁ……それで十分なのだぁ……」
清純派は崩れた。
だが、仕事は続く。
芸能界は、今日もそういう場所だった。




