22 瑠璃のキス
撮影終了後。
現場は少しずつ片付けに入っていた。
照明が落とされる。
大道具が運ばれる。
スタッフたちも帰る準備を始めている。
主演女優の妻抜役もマネージャーと共に帰っていった。
もちろん。
その際。
レイは全力で手を振った。
「妻抜様ぁぁぁぁ!!また出演してくださいなのだぁぁぁ!!」
「機会があったらね」
「絶対なのだぁぁぁ!!」
田村は無言だった。
もう注意する気力もない。
瑠璃も静かに見ていた。
「……」
レイは満足そうだった。
サイン。
記念写真。
握手。
全部確保した。
非常に満足そうだった。
「のだぁ♡」
その顔を見ていると。
瑠璃は少しだけ考えた。
レイは変な人である。
かなり変な人である。
美人女優を見ると騒ぐ。
変な曲を書く。
事務所では毎日叫んでいる。
謝罪会見でも叫ぶ。
とにかくうるさい。
だが。
今日も結局。
自分の撮影を最後まで見ていた。
演技が少し良くなったことも気付いていた。
スポンサーのことばかり言うが。
仕事は取ってくる。
週刊誌が来れば守る。
変な方向だが。
心配もしてくれる。
だから。
瑠璃は少しだけ笑った。
その頃。
レイは帰る準備をしていた。
「のだっ♡」
サインを確認。
「のだっ♡」
写真を確認。
「のだっ♡」
待受にしようか悩む。
田村が言った。
「社長」
「なんなのだぁ♡」
「帰ります」
「帰るのだぁ♡」
「その写真を待受にしたら炎上します」
「しないのだぁ♡」
「します」
「しないのだぁ♡」
「します」
そんなやり取りをしていると。
瑠璃が近づいてきた。
「社長」
「のだ?」
レイが振り向く。
瑠璃だった。
まだ撮影衣装のまま。
白い十二単。
長い黒髪。
月の姫君のままの姿だった。
スタッフたちが思わず見る。
やはり綺麗だった。
レイは普通に感心した。
「のだぁ」
「今日はありがとうございました」
「うむ!」
レイは頷く。
「頑張ってたのだぁ!」
「本当ですか?」
「本当なのだぁ!」
「そうですか」
瑠璃は少し嬉しそうだった。
それは珍しかった。
普段の瑠璃は感情を大きく出さない。
だが。
今日は少し違った。
「社長」
「なんなのだぁ?」
「褒めてもらえて嬉しかったです」
レイは首を傾げた。
「のだ?」
「以前は、顔しか褒められませんでしたので」
「のだぁ」
それは否定できない。
実際そうだった。
歌もまだ弱かった。
演技もまだ弱かった。
だからレイは顔ばかり褒めていた。
しかし。
最近は違う。
瑠璃自身も成長していた。
レイもそれを見ていた。
「うむ!」
レイは胸を張る。
「今日はちゃんと演技も良かったのだぁ!」
「ありがとうございます」
「幽霊っぽかったのだぁ!」
「褒めてますか?」
「褒めてるのだぁ!」
瑠璃は小さく笑った。
そして。
少しだけ周囲を見た。
スタッフ。
遠い。
監督。
いない。
田村。
資料を見ている。
だから。
ほんの少しだけ。
勇気を出した。
「社長」
「のだ?」
レイが振り向いた瞬間。
瑠璃は背伸びした。
そして。
ちゅっ。
レイのほっぺに軽くキスした。
静かだった。
一瞬だった。
だが。
レイは固まった。
「のだ……?」
停止。
完全停止。
脳が理解を拒否した。
「のだ?」
もう一度確認。
瑠璃を見る。
瑠璃は少しだけ顔が赤い。
だが。
ちゃんと立っていた。
「お礼です」
「のだ?」
「いつもありがとうございます」
「のだ?」
「それでは失礼します」
瑠璃は頭を下げる。
そして。
そのまま去ろうとした。
レイ。
まだ停止中。
「のだ?」
田村。
顔を上げる。
状況を理解する。
そして。
ため息をついた。
「社長」
「のだ?」
「動いてください」
「のだ?」
「フリーズしないでください」
「のだ?」
「再起動に時間がかかっていますね」
レイはまだ動かない。
スタッフたちもざわついていた。
「あれ?」
「今……」
「見た?」
「見た」
「社長死んでる」
「死んでる」
レイ。
本当に死んでいた。
精神的に。
そして。
数秒後。
ようやく再起動した。
「のだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
現場に絶叫が響く。
スタッフ全員が振り返った。
瑠璃も振り返る。
「どうしました?」
「どうしましたじゃないのだぁぁぁ!!」
レイは顔を押さえていた。
「のだぁぁぁ!!」
「社長?」
「のだぁぁぁ!!」
「落ち着いてください」
「落ち着けるわけないのだぁぁぁ!!」
レイは本気で混乱していた。
「吾輩のほっぺなのだぁ!!」
「はい」
「ほっぺなのだぁ!!」
「はい」
「今キスされたのだぁ!!」
「はい」
「大変なのだぁ!!」
田村が言った。
「ただのお礼でしょう」
「ただのお礼じゃないのだぁ!」
「そうですか」
「大事件なのだぁ!」
レイは大騒ぎしていた。
その姿を見て。
瑠璃は少しだけ笑った。
珍しく。
本当に楽しそうに。
「ふふ」
その笑顔を見て。
レイはさらに固まった。
「のだ?」
田村は思った。
(もう駄目だな)
完全に駄目だった。
社長は今日一日。
主演女優のサインを自慢していた。
だが。
帰り際のたった一瞬で。
全部吹き飛んだ。
車へ向かう帰り道。
レイはずっと無言だった。
「社長」
「のだ」
「珍しいですね」
「のだ」
「静かです」
「のだ」
「何を考えているんですか」
レイは窓の外を見ながら言った。
「ほっぺなのだ」
「まだ言ってますか」
「ほっぺなのだ」
田村は諦めた。
そして。
少し離れた場所では。
瑠璃も車に乗り込んでいた。
マネージャーが聞く。
「今日は機嫌が良さそうですね」
瑠璃は窓の外を見た。
「そうでしょうか」
「そう見えます」
瑠璃は少しだけ微笑んだ。
「社長が喜んでくれましたので」
その言葉は。
いつもの静かな瑠璃らしいものだった。
ただ。
今日だけは。
ほんの少しだけ。
笑顔が多かった。




