19 映画がコケたエミリア
スターライト・ユニバース本社。
試写室。
そこには、奇妙な沈黙が流れていた。
スクリーンには、エンドロールが流れている。
映画タイトル。
『廃墟に棲む白い影』
主演。
エミリア・神崎。
若手女優として評価を上げていたエミリアにとって、初の本格ホラー映画主演作。
宣伝文句は立派だった。
『新時代の清純派美少女が挑む、極限の恐怖』
『閉ざされた廃墟で、少女が見たものとは』
『美と恐怖が交差する、新感覚ホラー』
だが。
完成した映画は。
つまらなかった。
とてもつまらなかった。
すさまじくつまらなかった。
開始十分で、だいたい犯人というか怪異の正体が読める。中盤は延々と廃墟を歩く。怖がらせ方は全部大きな音。台詞は説明ばかり。終盤で明かされる真相も、どこかで見たことがある上に、見たことがあるものより雑だった。
唯一良かったのは。
エミリアの顔。
それだけだった。
暗い廃墟に立つエミリア。
懐中電灯を持つエミリア。
怯えた顔のエミリア。
怒った顔のエミリア。
泣きそうな顔のエミリア。
走るエミリア。
振り返るエミリア。
画面のどこを切っても、エミリアの顔だけは強かった。
だが、それ以外がない。
本当にない。
エンドロールが終わる。
試写室の明かりがつく。
沈黙。
誰も最初に言い出せない。
その沈黙を破ったのは、もちろん社長レイだった。
「……」
レイはしばらく真顔だった。
隣の田村は警戒した。
エミリア本人は腕を組んで座っていた。
そして。
「ぷっ」
レイが吹き出した。
「……社長?」
田村が低く呼ぶ。
だが、遅かった。
「エミリアの可愛さ以外何もないのだぁあああああ!」
レイは腹を抱えて笑い出した。
「あーはっはっは!!なんてことですのだぁ!あーはっはっは!!」
試写室に社長の笑い声が響いた。
「顔!顔だけなのだぁ!映画じゃなくてエミリア鑑賞会なのだぁ!ホラー映画なのに吾輩、途中から“次はどんな角度のエミリアなのだぁ?”しか考えてなかったのだぁああ!」
エミリアの眉がぴくりと動いた。
「社長」
「なんなのだぁ?主演女優殿なのだぁ?あーはっはっは!」
「笑いすぎ」
「無理なのだぁ!だってつまらなかったのだぁ!すごくつまらなかったのだぁ!ただしお主の顔だけは国宝だったのだぁ!つまり映画館は美術館だったのだぁ!」
「褒めてるのか馬鹿にしてるのかどっち?」
「両方なのだぁ!」
「後で覚えてなさい」
エミリアは睨んだ。
だが、内心では分かっていた。
駄作だった。
撮影中から、なんとなく分かっていた。
監督は映像美ばかり気にして、脚本の穴を見なかった。脚本家は伏線を張ったつもりで説明台詞を書き連ねた。編集は間延びしていた。音響は驚かせるだけ。共演者の芝居も悪くはなかったが、全体が噛み合っていない。
エミリア自身は全力でやった。
それは確かだった。
だが、主演女優一人で映画全体を救えるほど、作品作りは甘くない。
田村が淡々と言った。
「興行はかなり厳しいでしょうね」
「田村まで言う?」
「現実です」
「うわ、最悪」
レイはまだ笑っていた。
「でも大丈夫なのだぁ!エミリアの顔だけは話題になるのだぁ!」
「それで慰めてるつもり?」
「かなり本気なのだぁ!」
公開後。
レイの予想は、半分当たった。
映画は見事にコケた。
初週から厳しい。
口コミは伸びない。
ホラーファンは首を傾げる。
映画ファンは酷評する。
そしてネットには、容赦ない感想が並んだ。
『エミリアを見る映画』
『ストーリーは虚無』
『怖くない』
『エミリアが可愛いだけ』
『むしろエミリアのPV』
『主演は頑張ってた。映画は寝た』
『顔面偏差値だけで二時間持たせようとするな』
『廃墟より脚本が廃墟』
レイはそれを見て、また爆笑した。
「脚本が廃墟!あーはっはっは!うまいこと言うのだぁ!」
エミリアはソファにクッションを投げた。
「笑うな」
「痛いのだぁ!でも面白いのだぁ!」
「面白くない」
「映画より感想欄の方が面白いのだぁ!」
「本当に後で覚えてなさい」
その頃。
超大手芸能事務所『鳳凰プロモーション』の一室でも、同じ映画の話題で盛り上がっていた。
そこにいたのは、売れっ子若手女優。
月城 麗奈。
十九歳。
明るいキャラ。
華やか。
よく笑う。
自分が一番綺麗だと当然のように思っているタイプ。
顔はエミリアと同クラスの美形。
ただし演技力は微妙。
そして、絶対に他の女優を「綺麗」とは言わない。
特に、エミリア・神崎に対しては。
裏では犬猿の仲だった。
麗奈はスマホを見ながら、明るく笑った。
「あはははは!何これ、映画めちゃくちゃコケてるじゃん!」
マネージャーが苦笑する。
「麗奈さん、声が大きいです」
「だって面白いんだもん。あれだけ“若手実力派”“清純派新星”って持ち上げられて、ホラー映画でこれ?」
「主演だけの責任ではありませんよ」
「知ってる。でも笑う」
麗奈はソファで足を組み、コメント欄をスクロールした。
「“エミリアの顔しかない”だって。うん、そこだけは認めてあげる。顔しかない映画に出るには向いてる顔だよね」
隣にいた同年代の女優が笑った。
「麗奈、それ褒めてる?」
「褒めてるよ。顔しかない映画に必要な顔って大事でしょ?」
「性格悪い」
「事実を言ってるだけ」
麗奈はにこにこしていた。
表では、明るく可愛い人気女優。
バラエティでも笑顔。
雑誌でも天真爛漫。
だが、エミリアの話になると目が笑わない。
なぜなら、仕事が被る。
年齢も近い。
顔の強さも近い。
そして最近、エミリアの演技評価が上がっていた。
麗奈はそれが面白くなかった。
自分の方が綺麗。
そう思っている。
だが、世間は時々エミリアを持ち上げる。
それが気に入らない。
「でもさあ」
別の若手女優が言った。
「エミリア、演技は悪くなかったらしいよ」
麗奈は笑顔のまま言った。
「そうなんだ。じゃあ映画が可哀想だね。良い主演を無駄にしちゃって」
その言い方は柔らかい。
だが、棘がある。
さらに別の女優がスマホを見せた。
「これ見て。“エミリアの美貌だけでチケット代の半分は返ってくる”だって」
麗奈は一瞬だけ目を細めた。
だがすぐ笑顔に戻る。
「へえ。半分なんだ。残り半分は返金してほしいってこと?」
部屋に笑いが起きた。
若手女優たちは、みんな笑っていた。
同業者の失敗は蜜の味。
特に、仕事を奪い合う同年代ならなおさらだった。
「でも、ちょっと羨ましいよね」
一人が言った。
「何が?」
麗奈が聞く。
「駄作でも“顔は良かった”って残るの」
麗奈は一瞬だけ黙った。
それは確かだった。
映画はコケた。
だが、エミリアの顔は叩かれていない。
むしろ褒められている。
そこがまた腹立たしい。
「まあね」
麗奈は明るく笑った。
「顔だけで生き残れるなら、楽でいいよね」
マネージャーは何も言わなかった。
麗奈本人も、顔で仕事を取っている部分が大きい。
それは周囲も分かっている。
ただし、本人は絶対に認めない。
一方。
スターライト・ユニバース本社。
瑠璃は、静かな控室にいた。
彼女の私生活は完全に隠されている。
事務所の管理が徹底していた。
学校、仕事、自宅。
移動経路も管理。
SNSも必要最低限。
余計な交友関係も出さない。
週刊誌が嗅ぎ回っても、何も出ない。
出るのは、仕事現場で美しい顔をしている写真だけ。
そんな瑠璃が、タブレットでエミリアの映画評を見ていた。
『エミリアの顔以外、記憶に残らない』
『怖いより眠い』
『主演の美貌だけは異常』
『ホラーとしては失敗、美少女映像としては成功』
瑠璃は口元を押さえた。
「……」
笑ってはいけない。
そう思った。
エミリアは仲間である。
同じピュア・クラウンである。
映画がコケたのは可哀想である。
主演として頑張ったことも知っている。
だが。
『美少女映像としては成功』
この一文で、瑠璃は肩を震わせた。
「……ふ」
小さく漏れた。
慌てて口元を押さえる。
そこへ、ひまりが入ってきた。
「瑠璃ちゃん、何見てるんですかぁ?」
「いえ、何でもありません」
「エミリアちゃんの映画ですかぁ?」
「……はい」
ひまりはタブレットを覗き込む。
「わぁ、たくさん感想がありますねぇ」
「そうですね」
「“映画はひどいけどエミリアちゃんは可愛い”って書いてありますぅ」
「……はい」
「正直ですねぇ」
「……はい」
瑠璃はまた口元を押さえた。
ひまりは悪気なく続ける。
「エミリアちゃん、可愛いですもんねぇ。映画がつまらなくても可愛いなら良いですよねぇ」
瑠璃は耐えた。
必死に耐えた。
「そう、ですね」
そこへ、エミリア本人が入ってきた。
「何見てるの?」
瑠璃とひまりは同時にタブレットを伏せた。
エミリアは目を細めた。
「見せなさい」
「いえ」
瑠璃は珍しく即答した。
「今の即答、逆に怪しいんだけど」
「何でもありません」
「瑠璃、笑ってた?」
「笑っていません」
「口元が怪しい」
「気のせいです」
ひまりがにこにこ言った。
「エミリアちゃん、映画はつまらないけど可愛いって書かれてましたぁ」
「ひまり」
瑠璃が静かに止めたが遅かった。
エミリアの顔が固まる。
「……へえ」
そこへレイが飛び込んできた。
「エミリアぁあああ!吾輩、第二弾の宣伝文句を考えたのだぁ!」
「何?」
「“物語は虚無、美貌は本物”なのだぁ!」
「最悪」
「“恐怖より顔面”なのだぁ!」
「もっと最悪」
「“廃墟に咲いた顔面国宝”なのだぁ!」
「映画の宣伝じゃないでしょ」
「でも事実なのだぁ!」
エミリアはレイを睨んだ。
レイは笑いすぎて涙目だった。
「のだぁ……だって本当にエミリアの可愛さ以外何もないのだぁ……」
「もういい」
「でもお主は悪くないのだぁ!」
レイは急に真面目な声を出した。
「のだ?」
エミリアが少し眉を上げる。
レイは続けた。
「映画がコケたのは作品全体の問題なのだぁ。主演が全部背負う必要はないのだぁ。むしろこの駄作で“顔と芝居は悪くない”って言われてるなら、かなり強いのだぁ」
エミリアは少し黙った。
田村も横から言った。
「実際、エミリアさんへの仕事の問い合わせは減っていません。むしろ“駄作でも印象を残せる”と評価する向きもあります」
「……そう」
エミリアは目を逸らした。
悔しくないわけではない。
笑われて腹が立たないわけではない。
特に、麗奈たちが笑っているだろうことは想像できる。
あの女なら絶対に笑う。
明るい顔で。
綺麗な顔で。
嫌味を混ぜて笑う。
エミリアは低く呟いた。
「次で黙らせる」
レイはにやりとした。
「のだっ。それでいいのだぁ」
「次は脚本ちゃんと見て」
「見るのだぁ」
「本当に?」
「田村が見るのだぁ」
「社長が見なさいよ」
「吾輩は怖い映画が苦手なのだぁ」
「じゃあ何で取ってきたの?」
「ホラー映画の主演ってかっこいいと思ったのだぁ」
「馬鹿なの?」
「今それを痛感してるのだぁ!」
瑠璃がついに小さく笑った。
今度は全員に聞こえた。
エミリアが振り向く。
「瑠璃まで笑った」
「申し訳ありません」
瑠璃はすぐに頭を下げた。
「ただ、社長とエミリアさんのやり取りが少し……」
「映画じゃなくて?」
「……」
「瑠璃?」
「……少しだけ、感想欄も」
エミリアは目を細めた。
瑠璃は完全に視線を逸らした。
その珍しい反応に、ひまりが笑った。
「瑠璃ちゃんも笑うんですねぇ」
レイは感動した。
「のだぁ……瑠璃が笑ったのだぁ……エミリアの駄作映画で瑠璃が笑ったのだぁ……これは価値があるのだぁ……」
「価値にしないで」
エミリアは呆れた。
その日の夜。
月城麗奈は、エミリアに短いメッセージを送った。
『映画、見たよ。エミリアは綺麗だったね』
エミリアは画面を見て、数秒黙った。
そして返信した。
『ありがとう。麗奈もいつか演技褒められるといいね』
すぐ既読がついた。
返信はなかった。
エミリアは少し笑った。
翌朝、レイはそのやり取りを聞いて頭を抱えた。
「火種を増やすななのだぁあああ!」
「向こうが先」
「だからって返すななのだぁ!」
「嫌味には嫌味」
「清純派美少女のやり取りじゃないのだぁ!」
「世間には出してないから平気」
「裏でも怖いのだぁ!」
田村は静かに言った。
「表に出ていないなら、まだ管理可能です」
「田村まで芸能界思考になってるのだぁ……」
「仕事です」
結局、『廃墟に棲む白い影』は大コケした。
だが、エミリアは沈まなかった。
むしろ。
『駄作でも美貌と存在感だけは残した若手女優』
という奇妙な評価を手に入れた。
麗奈たちは笑った。
同年代女優たちも笑った。
レイも一番笑った。
瑠璃まで少し笑った。
ひまりはよく分からないまま笑った。
エミリアは腹を立てた。
だが、その腹立ちが次の仕事への燃料になった。
レイは社長室で、次の主演候補資料を並べながら言った。
「次はちゃんと良い脚本なのだぁ」
「当たり前」
エミリアが腕を組む。
「次もコケたら?」
「吾輩がまた笑うのだぁ」
「後で覚えてなさい」
「でも次で当てたら?」
「麗奈に笑い返す」
「のだっ♡それでこそエミリアなのだぁ」
その横で瑠璃は静かにお茶を飲み、ひまりはクッキーを食べていた。
ピュア・クラウン。
清純派超美少女三人組。
その実態は、今日もだいたいこんな感じだった。




