聖剣の折れる時と、黒騎士の祈り
吹き飛んだ王都の城門跡。
もうもうと舞い上がる土煙の中で、王国第一王子アーサーが構える『聖剣エクスカリバー』だけが、星のような清らかな光を放っていた。
「……ルシアン」
アーサーは剣の切っ先を黒騎士に向け、血を吐くような声で親友の名を呼んだ。
「お前が私を憎むのは筋だ。だが、この王都には何十万人という無力な民がいる。王室の罪を問うというなら私の首を差し出す! だから、これ以上の破壊は……!」
「黙れと言ったはずだ、アーサー」
ルシアンは黒い大剣を片手で軽々と持ち上げ、冷酷なアメジストの瞳で王太子を見下した。
「我が主は『誰も殺さない』と仰った。それを『これ以上の破壊』などと、どの口が抜かす。貴様らは我が主の命を奪うために十万の魔物を嗾けておきながら、自分たちが少し脅かされただけで悲劇の主を気取るのか?」
「それは……っ!」
「それに、貴様は一つ勘違いをしている」
ルシアンの全身から、底なしの沼のようにどす黒い魔力が噴れ上がる。
「私は貴様を憎んでなどいない。王都の民の命など興味がない。……私の世界には、ライラ様だけが存在している。彼女の美しい靴底を汚す泥跳ねがあれば、それを全力で拭き取る。私の行動は、ただそれだけだ」
ドンッ! と、地面が爆発したかのような踏み込み。
ルシアンの姿が掻き消え、次の瞬間にはアーサーの目の前に漆黒の凶刃が迫っていた。
「くおおおおっ!!」
アーサーが聖剣を盾のように掲げ、その一撃を受け止める。
凄まじい衝撃波が走り、周囲の石畳がクレーターのように粉砕された。アーサーの足が地面に深く食い込み、後方へ数メートル削るように押し出される。
「はぁっ、はぁっ……! 重い……なんという力だ……!」
アーサーは腕の骨が軋む痛みに顔を歪めた。
かつて近衛騎士団で肩を並べていた頃、ルシアンの剣術は美しく、そして緻密だった。だが今の彼の剣には、文字通り『人間を辞めた』ような、暴力的なまでの純粋な質量と殺意が込められている。
「どうした、アーサー。王家伝来の聖剣とやらはそんなものか?」
ルシアンは一切の力みもなく、涼しい顔で大剣を振り下ろし続ける。
火花が散るたびに、アーサーの銀色の甲冑にヒビが入り、彼から流れる血が石畳を濡らしていく。
追い詰められたアーサーが、聖剣の全魔力を解放した。
眩い光の十字撃が、至近距離からルシアンの胸を真っ直ぐに貫こうと迫る。王国最強の剣士が放つ、正真正銘の必殺。
ルシアンは避けることすらしなかった。
光の十字がルシアンの漆黒の鎧に触れた瞬間、パァンッ! と弾け飛んだのだ。彼を取り巻く異常なまでの『神聖な加護の魔力』が、聖剣の光を完全に相殺していた。
「馬鹿な……聖剣の一撃が、傷一つつけられないだと……!?」
「貴様が信じているのは、偽りの神だ。……だが、私の背後には『本物の神の恩恵を受ける方』がいらっしゃる」
ルシアンのアメジストの瞳が、恍惚と狂気に光り輝く。
「ライラ様の愛と祝福を受けたこの体に、貴様らのような薄汚い偽善者の剣が届くはずがないだろう!!」
ルシアンが、両手で黒い剣を上段に構え、渾身の力で振り下ろした。
アーサーは必死に聖剣を交差させて防御姿勢をとる。
アーサーが目を見開く。
王国が誇る絶対不壊の象徴、聖剣の刀身に、亀裂が走ったのだ。
「王家の誇りごと、砕け散れッ!!」
甲高い金属音と共に、無敵を誇った聖剣が、真っ二つにへし折られた。
折れた刃が宙を舞い、地面に突き刺さる。
同時に、大剣の腹で強かに胸を打たれたアーサーは、血を吐きながら吹き飛び、瓦礫の中に無惨に転がった。
「がはっ……、あ、ああ……」
アーサーは折れた剣の柄を握りしめたまま、立ち上がろうともがいたが、足に力が入らずその場に崩れ落ちた。
完全なる敗北だった。
「さて、約束通り、二度と剣を握れぬよう両腕を切り落としてやろう」
ルシアンが、冷酷な笑みを浮かべてアーサーを見下ろし、剣を振り上げる。
「——そこまでよ、ルシアン」
私が氷の馬車から降り立ち、静かに二人の間へと歩み出たのだ。
「ライラ様……危険です、こいつは貴女に剣を向けた大罪人。生かしておけば必ず再び——」
「いいの。剣はもう折れたわ。これ以上、無抵抗の者を痛めつけるのは私の意思に反する」
私がルシアンの剣の刃にそっと触れると、彼はビクッと肩を震わせ、すぐに剣を収めた。彼にとって、私の言葉はどんな感情よりも優先される絶対の法だ。
私は、瓦礫の中で血まみれになっているアーサー王太子の前に屈み込み、その顔を覗き込んだ。
「アーサー殿下。……痛むかしら?」
「……聖女ライラ、……」
アーサーの青い瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
「殺してくれ。……国を守るための力も、友を救う力もなく、最後は無様な姿を晒した。……私に、もう生きている価値はない……っ」
彼は自らの無力さに絶望し、死を懇願していた。
王族としての重圧に縛られ、間違っていると分かっていながら王国の非道に加担し、そして最後はすべてを失った青年の、痛々しい涙だった。
「死んで楽になろうなんて、許さないわ」
私は冷たく言い放ち、彼が握りしめていた『折れた聖剣の柄』を、無理やりその手から奪い取った。
「……?」
「あなたが背負っていた『王室の呪い』は、私が折ってあげた。これでもう、あなたを縛る剣も、王冠もない。……あなたは今日から、ただの、自由なアーサーよ」
私は手のひらに光を灯し、彼の胸元にそっと当てた。
温かな水精の魔力が彼の体を包み込み、折れた骨や内臓の傷を瞬く間に癒やしていく。
傷が塞がっていく驚きと、私の行動の真意が理解できず、アーサーは呆然と私を見上げた。
「私はあなたの両腕を奪う代わりに、あなたの『人生』を奪うわ。アーサー、あなたは生きて、私がこれから創り上げる新しい世界を特等席で見なさい。……そして、王国のやり方がどれほど間違っていたかを、その目に焼き付け続けるのよ」
それは、死よりも重い罰かもしれない。
かつての支配者が、新たな支配者の足元で、己の過ちを噛み締めながら生き続けるのだから。
だが、アーサーの瞳から溢れる涙は、止まらなかった。
「……ああ。あなたは、本当に……底知れないお方だ。私の、完敗だ……」
彼はゆっくりと体を起こし、私の前に両手をついて、深く、深く頭を下げた。
王太子が額を擦りつける姿を見て、周囲で震えていた数千の王国兵たちも、一斉に武器を捨て、地面にひれ伏した。
もはや、王都に私たちを阻む者は誰もいなかった。
「行きましょう、ルシアン」
私は立ち上がり、王城へと続く真っ直ぐな大通りを見据えた。
「ええ。諸悪の根源たる、あの老ぼれ王の首に鎖を繋ぎにまいりましょう」
ルシアンは私の斜め後ろに立ち、狂犬のような笑みを隠そうともせずに追従する。
悲鳴と静寂が交差する王都を、私たちはゆっくりと進んだ。
家々の窓の隙間から、王都の平民たちが、恐怖と、そして少しの希望が入り混じった目で「聖女」の進軍を見つめていた。
すべての決着をつける場所、玉座の間は、もう目の前だった。




