EP 3
月給三億のバグと、空飛ぶ借金王
「あー、クソッ! またフラれた! 先月貸した三万円、絶対あいつの新しいバッグに化けてるぞ!」
防衛省地下、出雲艦隊打撃軍・情報管制室。
無数のモニターが青白い光を放つ室内で、パイロットスーツの上半身をだらしなく脱ぎ捨てた男が、パイプ椅子の上で仰け反って喚いていた。
平上雪之丞、三十歳。
航空自衛隊一等空尉にして、最新鋭ステルス戦闘機F35bのトップエース。
そして、基地内のあちこちで借金を作っては、女と酒に溶かしている正真正銘のダメ人間である。
「ねえ、平上クン。うるさい。私の脳の処理速度が〇・二秒遅れた」
その隣で、キーボードを叩く凄まじい音が響く。
ダボダボのパーカーのフードを被り、モニターを睨みつけている小柄な女性。
早乙女蘭、二十五歳。
民間トップ企業から『月給三億円』で防衛省にヘッドハンティングされた、特A級AIエンジニア。
彼女の傍らには、エナジードリンクの空き缶と、山積みの角砂糖の箱。
蘭は文字通り、無表情のまま角砂糖をボリボリと齧りながら、常人なら数日かかる暗号解読コードを数十分で書き上げている。
「蘭ちゃん、冷たい! ちょっと金貸してくれない? 三億もらってんでしょ? 俺が本気出したらすぐ返せるから!」
「嫌。平上クンに投資しても、リターンが計算できない。エラー吐くから近寄らないで」
「ひっでえ!」
そんな生産性の欠片もない会話が繰り広げられる中、管制室の自動ドアが開いた。
「相変わらず、動物園みたいな惨状じゃのう」
入ってきたのは、呆れた顔をした坂上真一と、その後ろを歩く日野輝夜だった。
「おっ、司令! それと……誰スか、その超絶美人!」
雪之丞が弾かれたように立ち上がり、輝夜に歩み寄る。だらしない顔が、一瞬で女を口説くモードに切り替わった。
「初めまして。霞が関から来ました日野輝夜です。今日から、あなた方の作戦行動の最適化を担当します」
「最適化! いい響きっスねえ。俺のプライベートも最適化してくれません? 今夜、六本木で——」
「平上一尉」
輝夜は瞬き一つせず、手元のタブレットをスワイプした。
「あなたの直近三ヶ月の出撃データと、それに伴う燃料消費率、および機体負荷率を算出しました。……素晴らしいですね。要求された作戦目標を、常に『六〇点のギリギリ及第点』でクリアし続けている」
「……え?」
「手を抜いているのでしょう? 本気を出せば、燃料消費をあと一五パーセント抑え、作戦完了時間を半減できるはずです。今日から、あなたの出撃ノルマは私の計算式に基づく『一〇〇パーセント』に設定し直します。サボれば、給与から燃料代を天引きします」
「鬼! 悪魔! 霞が関の血も涙もないマシーン!」
雪之丞が頭を抱えて崩れ落ちる。
「……ねえ」
その時、ずっとモニターに向かっていた蘭が、くるりとキャスター付きの椅子を回した。
ボリッ、と口の中の角砂糖を噛み砕く。
「あなた、おもしろい」
蘭は、焦点の合っていないような大きな瞳で、輝夜をじっと見つめた。
彼女にとって、世界はすべて数式で解けるパズルだった。人間の感情も、戦争も、すべては計算可能なエラーに過ぎない。
だが。
「さっきあなたが司令部に提出した、新しい戦術データ。見たよ。……あれ、狂ってる。国際法のギリギリのグレーゾーンを突いて、こちらの迎撃システムを完全に合法化する論理。私でも、あんな無茶苦茶な最適化、思いつかない」
蘭は立ち上がり、ふらふらと輝夜に近づくと、その顔を覗き込んだ。
「あなたは、この予測可能なクソみたいな世界のルールに突然現れた『バグ』だね。……好きかも」
天才ゆえの孤独を抱える蘭にとって、計算不能な輝夜の存在は、最高の劇薬だった。
「バグではありません」
輝夜は、自分より少し背の低い蘭に、ふわりと微笑んだ。
霞が関の鉄面皮ではない。陶芸の土をいじる時のような、わずかな人間らしい温度が混じっていた。
「私はただ、皆さんが明日、笑って『おはよう』と言える世界を作りたいだけです。そのためなら、システムの一つや二つ、何度でも書き換えます」
しんと、管制室が静まり返る。
「……ヒューッ」
床に突っ伏していた雪之丞が、口笛を吹いた。
「とんでもないお姫様が来たもんだ。なあ、司令?」
「……フン。手綱を握るこっちの身にもなってみい」
坂上は悪態をつきながらも、どこか楽しげにハイライトの煙を燻らせていた。
借金まみれの天才パイロット。
感情希薄なAIエンジニア。
そして、地獄を知る猛将。
最強で、最悪で、どうしようもなく欠陥だらけの男と女たち。
それが、日野輝夜に与えられた『剣』だった




