EP 2
地獄の門番、坂上真一
「遊びではありません。私は、あなた方の戦術を最適化しに来た、日野輝夜です」
地下の作戦会議室。蛍光灯の冷たい光の下、輝夜の宣言が空気を震わせた。
出雲艦隊打撃軍・総司令官、坂上真一は、ゆっくりと振り返った。
身長一九〇センチに迫る巨躯。
制服の上からでも威圧感を放つ分厚い胸板に、無数の修羅場を潜り抜けてきた者の鋭い眼光。
「最適化、じゃと?」
坂上の声のトーンが一段下がり、微かに広島の鈍りが混じる。
それは彼が、目の前の人間を『敵』か『味方』か、値踏みする時の癖だった。
「霞が関の温室で、綺麗な数字遊びをしとるお嬢ちゃんに、ワシらの何がわかるんじゃ」
「数字は遊びではありません。事実であり、結果です。直近の合同演習のデータを開示していただければ、現在の弾薬消費率と補給線の無駄を——」
「小娘」
ドンッ!
坂上が一歩踏み出し、重いブーツが床を鳴らした。
それだけで、輝夜の全身に物理的な重圧がのしかかる。空気が薄くなったかのような錯覚。戦場でしか培われない、純粋な『暴力の気配』だった。
輝夜は思わず後ずさりそうになる足を、ハイヒールの爪先でどうにか床に縫い止める。心臓が早鐘を打ち、手の中の備前焼のタンブラーを強く握りしめた。
「ええか。ここはな、お前さんのような綺麗な人間が来る場所じゃあない。ワシらが背負っとるのは数字じゃない。『命』と『地獄』じゃ」
坂上の目が、輝夜を射抜く。
この女は、知らない。
血の匂いも、部下が肉塊に変わる光景も、その責任を全て背負ってなお明日の作戦を立てなければならない狂気も。
「地獄を知らん奴に、兵は動かせん。大人しく霞が関に帰って、平和な法律でも作っとれ」
冷酷な宣告。
普通なら、ここで泣き出すか、逃げ出すか、あるいは怒り狂って権力を振りかざすかだろう。
しかし、輝夜は深く一度だけ息を吸い込み、ゆっくりと口を開いた。
「——私が地獄を知らないからこそ、あなた方を救えるのです」
坂上の眉が、ピクリと動く。
「あなた方は、地獄に浸かりすぎている。だから、犠牲を前提とした作戦しか立てられない。私が来たからには、一人の犠牲も、一発の弾薬の無駄も許しません」
輝夜は真っ直ぐに、坂上の目を睨み返した。
その瞳は、暗闇に浮かぶ月のように、どこまでも冷たく、そして澄み切っていた。
「私の前で、地獄を言い訳にするのはやめてください。坂上司令」
沈黙が落ちた。
坂上は、目の前の小娘をじっと見下ろしている。
何だ、この女は。
確かに、地獄の『じ』の字も知らん、無垢で世間知らずな目をしておる。
じゃが、その奥にあるのは——狂気か?
己が全てを照らす光であると、微塵も疑っていない、純粋すぎる狂気。
(……こいつが本物なら……ひょっとすると、本当に地獄は不要になるかもしれん、か)
坂上は、ふっと息を吐き出し、胸ポケットからハイライトを取り出した。
「……言うようになったのう、お嬢ちゃん」
カチリ、とジッポーライターで火をつけ、紫煙を天井に吐き出す。
「まあええ。若林のタヌキ親父の差し金じゃ。無下にはできん。ただし——」
坂上はハイライトを咥えたまま、ニヤリと笑った。
それは、司令官の顔ではなく、かつて広島を席巻した暴走族総長の、獰猛な笑みだった。
「ワシらの『地獄』、とくと見せたるわ。せいぜい、泣いて逃げ出さんことじゃな」
「ご心配なく。月は、逃げませんから」
こうして、理想を抱く若き官僚と、地獄を統べる司令官の、歪な共闘が幕を開けた。




