EP 2
見えない弾丸と魔女狩り
防衛省の地下管制室に、けたたましい警告音が鳴り響いていた。
「……クソ。また別経路から! ロシアのSVR(対外情報庁)と中国のサイバー部隊、完全に結託してる。処理が……追いつかない!」
早乙女蘭の指先が、目にも留まらぬ速さでキーボードの上を乱舞する。
普段は感情の起伏を見せない彼女が、ギリッと奥歯を鳴らした。デスクに置かれていた角砂糖の山は、すでに半分以上が空になっている。
「防衛省のイントラネットだけじゃない。都内の交通インフラと送電網にも、同時多発的なDDoS攻撃……! このままじゃ、信号機が全部真っ暗になる」
「蘭さん、インフラの防衛を最優先に。軍事通信網は手動でアナログ回線に切り替えます!」
輝夜はタブレットを操作しながら指示を飛ばす。
だが、その声は上擦っていた。
義正の資産凍結に続き、敵の報復は一切の容赦がなかった。
彼らは軍艦を動かさない。その代わりに、日本という国の「日常」を根底から破壊しにかかっていた。
ピリリリリ!
輝夜のスマートフォンが鳴った。発信元は、若林幸隆。
「はい、若林幹事長。現在、サイバー攻撃への対応に——」
『ネットを見ろ、輝夜』
若林の声は、これまで聞いたことがないほどドスが効いていた。
輝夜が指示通りに手元の端末でニュースサイトを開くと、そこに信じられない見出しが躍っていた。
【極秘・日本政府内に戦争狂の魔女。米中露との開戦を企む弱冠25歳の若手官僚、日野輝夜の実態】
記事には、輝夜の顔写真、実家の場所、さらには東大時代の経歴までが詳細に晒されていた。
内容は悪質なフェイクだ。だが、巧妙に事実(出雲艦隊に指示を出していること等)が織り交ぜられ、あたかも彼女が独断で世界大戦を引き起こそうとしているように書かれている。
「これは……」
『アメリカの諜報機関が裏で糸を引いてるフェイクニュースだ。一時間で、世界中のSNSに拡散された。……我が国の総理官邸にも、朝から抗議の電話が殺到しとる。「魔女をクビにしろ」「戦争を起こす気か」とな』
輝夜の血の気が、すーっと引いていく。
画面をスクロールするたびに、無数の悪意が彼女に突き刺さる。
「……あり得ません。データと事実を見れば、これが捏造だとすぐに分かるはずです。公式な声明を出して、論理的に反論を——」
『甘ぇよ、輝夜』
電話越しに、ピースの重い煙を吐き出す音が聞こえた。
『大衆ってのはな、難しい「論理」より、分かりやすい「恐怖」と「怒り」に飛びつく生き物なんだよ。お前さんがいくら正しい数字を並べたところで、一度火がついた魔女狩りは止まらねえ』
「そんな……」
『政治の泥は俺が被る。だが、世論が完全に敵に回れば、お前さんをそこから降ろさざるを得なくなる。……気をつけろよ。ネットの悪意は、いつか現実の殺意に変わる』
ツーツー、という無機質な切断音。
輝夜は、震える手でスマートフォンを机に置いた。
正しい数字。完璧な論理。
自分が信じ、武器にしてきたものが、感情という泥濁流の前にあっけなく飲み込まれていく。
(私のせいだ……。私が、みんなを巻き込んで……)
備前焼のタンブラーを握る手が、白く変色するほど力み、そして小刻みに震えている。
彼女は気付いていなかった。
ネット空間だけでなく、現実の闇の中でも、彼女の命を狙う「見えない弾丸」がすでに放たれていることに。
理想という名の「月」が、厚い泥雲に覆い隠されようとしていた。




