三十九話:賽は投げ直された
トーファが駆ける。後三歩。
『待って』
メアリーとテスタは再び魔術を準備した。
トーファが走る。後二歩。
『だめ』
魔王の剣は一秒の猶予も無くカーライルを絶命させるだろう。
トーファが必死に手を伸ばす。後一歩、後一歩だけ届かない。
『――カーライル!!』
トーファが叫ぶ、最期に、カーライルは薄らと笑みを浮かべ……。
剣は軌道を逸れ、カーライルには命中しなかった。
一瞬だけ遅れて魔術が放たれ、魔王が後ろに飛び回避した。
『……!?なに?何が』
水鏡の中の魔王が狼狽する。国読みは信じられないものを見た。カーライルが生きている。未来が、違う、今は。
国読みは一切の理解が出来ない事象を前に、頭を真っ白にした。
「……は?」
カーライルが生きている。そんな未来を見た覚えは無い。
いや、何より、今、まさに、国読みは自分の目でカーライルに剣が当たらなかった事を見たはず……。
「違う、私は何を?今、私は、私が見たものは……」
カーライルは死ぬはずだった。国読みの未来視によりそれは絶対の未来だと確定していて、覆しようのない真実であり、何より国読みは確かに見たのだ!カーライルに剣が当たらなかった光景を!
「違う、私は何を言って……?」
『何が……?何が起きている!?我は今確かに、剣を外した……外し、た?』
カーライルは死んだ筈だ、国読みは確かにその光景を……見て、いない。見ていない。
「???……え?へ?」
何が起きているのか分からない。無理解と混乱で頭が支配された国読みを置いて、水鏡は状況を映した。
メアリーが氷柱を生成した。
氷柱が放たれる前に、国読みは未来を見る。
氷柱は当たらなかった。困惑する魔王は、魔力がほぼ空で今まさに意味不明な事象と遭遇したというのに、その動きには一切の鈍りが見えない。
未来視を中断して現在を見る。氷柱は放たれた。
魔王はそれを目視で確認して、そして回避行動を取ったが、回避できずに正面から受けてしまう。
『ぐああっ!?なに、何が起きている!?』
「???」
再び、混乱する。国読みは今見た。まさに国読みの未来視通りに、魔王が魔術を回避する、のではなく、回避に失敗して氷柱が命中する様子を。
しかし実際には魔王は回避に失敗して氷柱は命中し……。
「???????????」
何がなんだか分からない。意味不明だ。何も分からない。頭がおかしくなってしまったのだろうか?幻覚か何かだろうか?
そんな不理解の極みにあった国読みはしかし、三度目の同一事象……テスタの空間魔術の応用による風の刃が魔王を切り刻んだはずが、風の刃が魔王を切り刻むのを見て、ようやく事象の一端を理解した。
(……これは、まさか……)
背筋に冷たい物が流れる。国読みは人生で初めて恐怖した。
水鏡を操作し、視点を移動する。映すのはカーライルと、カーライルを支える少女……トーファだ。
トーファが魔術を使用する。再び、国読みの口では説明不可能な矛盾が発生する。
魔王が放った魔術がトーファ達に命中しない筈だったが、命中しなかったのだ。
これは、通常の人間が認知可能な魔術ではない。それは……。
「因果律、操作……過去改変……?」
ありとあらゆる事象を覆す、最悪の予測が、国読みの口からこぼれ出た。
***
因果というものはどんな物にもある。
結果の前には事象があり、事象の後には結果が残る。
トーファの扱う魔術はその因果をめちゃくちゃにする事ができる。
剣が当たらなかったという過程を作って、カーライルの死を無かったことにしたり。
あるいは氷柱を回避するという事象をなくす事で、連鎖的に氷柱が外れたという結果を無かったことにしたり。
風の刃が命中したという結果を作り、何が理由でそうなったかも分からないまま魔王の防御を完全に無視したり。
目の前で恐ろしい魔王がメアリーの魔術を防ぐ。
トーファは続けて因果魔術を発動し、メアリーの魔術が当たった事にした。
魔王はメアリーの魔術により傷ついた。先程までの魔術が当たらなかった現実は消え去った。
「グゥッ……何が……!!」
魔王は不思議な事に、もう起こらなかった事になった未来についてある程度知覚しているらしい。
メアリーとテスタは気づいていない。唯一変えてしまった過去をハッキリと覚えているのはトーファだけだ。
「我は……何故……!?」
因果を繰るのに必要な魔力はそれほど多くない。
もはや魔王に勝ち目は無い。
「き……さま、かああああぁぁぁ!!!」
魔王が咆哮する。ビリビリとした衝撃が放たれ、思わず身をすくめた。
メアリーとテスタの二人が何かしらの魔術で吹き飛ばされる。
トーファはカーライルを支えたまま、猛りこちらを睨む魔王を睨み返した。
「このっ……我を……まさかここまで……!まっこと!世界は面白いなあ!!」
「テスタ!カーライルの治療を!」
「了解!」
叫び、その場にカーライルを横たわらせるトーファに応じてテスタが妖精王の森を広げる。
魔王はそれを予見していたかのように、荒廃した世界を広げ返した。
魔王の空っぽだったはずの魔力が、再び大きくなり始めている。
魔王は燃えていた。その魂を薪にくべ、最後の抵抗を試みようとしている。
「良いぞッ!!既に確定した未来を覆せるのならばッ!そちらの方が可能性があるというものッ!!」
「止まれ!」
メアリーが停止した時間を、魔王は氷解させる。
メアリーが氷柱を生み出し、魔王に放つ。
そしてトーファは因果魔術を発動した。
「ッ!?」
魔王の肉体は燃えていない。その魂は薪にくべられていない。そんな事象は無くなった。
空間は人と精霊の時代に満ち、放たれた氷柱は魔王を打ちのめす。
しかし、しかし、魔王の肉体は止まっていない、メアリーの時間停止の魔術を、魔王は防御した。
「……ハハハッ、ハハハハハハハ!!連続して複数の事象を書き換えられるか!?」
魔王は氷柱で打ちのめされても、意識を失っていなかった。
なけなしの魔力で時間魔術を無効化しながら、大剣を構えこちらに突進する。
テスタが使役する風の精霊王が、魔王に風を叩きつける。
魔王は単なる肉体強度により、それを耐え切った。血潮が舞い、目が潰れ、それでも魔王は止まらない。
眼前に迫る魔王は、大剣を構え大きく振りかぶっている。後ほんの少しの時間で、トーファは死ぬ。
因果魔術は使えない。既に無くなった時間軸に標準が合わさっているから、今目の前の魔王に標準を合わせるのには、後少し時間が必要だ。
それでも、トーファは少しも不安を感じていなかった。
ただ一言だけ、最も信頼している人の名を呼んだ。
「――カーライル!!」
「ああ、トーファ」
大剣は弾かれる。魔王の顔が、驚愕に歪められる。
数歩、後ずさりながら、魔王は自嘲げに笑う。
「……忌々しい、精霊王め……最後の最後で、阻まれるとは」
「はっ、そりゃ、運が無かったな」
魔王は既に満身創痍、対してこちらに消耗はそれほど無い。
カーライルはそれでも、少しの油断もなくゆっくりと剣を構え歩いた。
メアリーは心配そうに声を出した。
「ライル、とどめを刺すなら……」
「さすがにこんだけ弱ってんなら危険はねえよ」
「……なら、良いけど……」
カーライルは膝をつく魔王に寄り、剣を大きく掲げた。
「ああ、まさか、このような終わりとは……」
「じゃあな」
「クク、ハハハ、まっこと、世界は、おもしろ――」
剣が鋭く下される。魔王は最期まで笑いながら、ただその剣を受け入れた。
魔王の体が地面に倒れる。
魔王は死んだ。その遺体は闇に溶け、あるいは光に変わり、少しずつ消えていく。
空は澄み切った青空で、魔王により枯れていた大地は蘇り、草木が踊る。
四人、ただ一人の欠けもなく。魔王は討伐された。




