三十一話:暗い部屋の才女
トーファにとってカーライルは親である。
しかしそれ故に、トーファはカーライルにずっと頼っている訳にはいかないのだ。
自立がしたい。
トーファの行動原理はその一言で言い表せた。
ただそれだけだ。ただそれだけの目的のために、トーファはカーライルに反逆する。
だけど、今日の出来事は予想外だった。
コンコン、と控えめに、優しいノックの音がした。
ベッドの上でぼんやりと時間を潰していたトーファは、突然発生した異音に僅かに警戒する。
「失礼、少し話をしたい。よろしいかな?」
扉越しに聞こえる声は柔和で、優しかった。
それと同時にその声がトーファの仲間のものではないことに納得する。
テスタならばノックなんてしなかったし、メアリーなら扉の前でまごまごする気配がする、カーライルならばもっと荒々しくノックをするだろう。
「……誰、ですか?」
久しぶりに出した声は掠れて、小さかった。
しかし柔和な声の主は聞き取ったようで、すぐに返答が返ってくる。
「私の名前はアルノ。しがない薬師だよ。ライルにお願いされてここにいる。もし話をする気があるのであれば、言ってくれ。断ってくれても構わない、ただ、君が悲しい思いや、やるせない思いをしているのであれば、是非話を聞かせてほしい」
「……どうぞ、入ってください」
少し躊躇いながらも、声の主……アルノに入室を促す。
罪悪感からだ、カーライルを困らせるつもりではあったが、無関係の人を巻き込むつもりはなかった。
無駄にトーファに振り回されるのはいけない事だろう。
少し間が空いて、ゆっくり、静かに扉が開かれる。
現れたのはやや長身の……その声の通り、柔和で穏やかそうな雰囲気を携えた青年だった。
身長はおおよそ平均的な域を出ず、少し痩せ気味ではあるが、健康的な血色をしている。
その顔にはほんの僅かな微笑を浮かべ、見る人を安心させる。
「……お招きいただきありがとう。改めて自己紹介しようか、私はアルノ、アルノ・ペッシュ。扉は開けたままの方がいいかな?」
「いいえ、閉じてください。椅子はそこのを使ってください」
ベッドに腰掛けながら、部屋に備え付けられている椅子を指差す。
アルノは言われた通りに扉を閉じて、椅子の方向を調整してからゆったりと座った。
「……まず、君の名前を聞いても構わないかな?」
「トーファです」
「ありがとう、トーファさん。まず前提として、私は君を説得しようとか、怒りに来た訳ではない、私はただ話を聞きに来ただけだ。何故、部屋から出ないのかをね」
その言葉に、トーファは静かに安堵した。トーファは自立がしたいが、カーライルに嫌われたい訳ではない。
「繰り返しになるが、私に話したくない事、知られたくない事があるのであれば、詮索はしない。いつでも、会話を終わらせてくれて構わない……君は、何故部屋から出ないのだね?」
「……」
トーファは静かに言葉を探した。
「……自立したいからです」
「ほう……自立、か……」
アルノはゆっくりと繰り返した。
「何故自立をしたいんだ?」
「……いつまでもライルに負担を掛けるわけにはいかないからです」
「そうか、確かにそうだな、君くらいの歳の子であれば独り立ちしてもおかしくない」
アルノはゆっくりと、再び繰り返した。
「……部屋にいる事が何故自立に繋がるのか聞いても?」
「そうすれば、ライルに嫌われるからです」
「嘘だな」
不意に、アルノの声が硬くなった。
ドキリと、心臓が鳴る。
「そも自立がしたいと言うのなら別居から始めるべきだろう。それにライルに嫌われたいと言うのなら、君は私の事も無視すべきだった」
「……」
自分でも心のどこかで考えていた事を言い当てられて、思わず動揺した。
「君は……そうか、自分でも気づいていなかったのか。しかし事実だろう、自立するのに、嫌われる必要は無い」
「ライルは過保護だから、私の一人暮らしなんて認めないです。それに、テスタも、メアリーもそうです、みんな心配性なところがあるので……」
少しの焦燥感を覚えながら、言葉を紡いだ。
アルノは一切様子を変えずに、極めて冷静に返した。
「彼は人の話を聞かないからね。独善的で人でなし……いや、あれは独善的というより……」
カーライルへの罵倒を聞いた瞬間、言いようのない苛立ちが湧き出てきた。少なくとも、カーライルはトーファを育てたし、トーファの前では立派な人間だった。
「すまない、君を不快にさせるつもりは無かった、家族の悪口など聞きたくなかったろう。申し訳ない」
「……いえ。でもしょうがないと思います。次から気をつけてくれれば、私はそれで……」
言いながら、トーファは表情を硬くした、トーファの苛立ちはそんなに分かりやすかっただろうか?
「……メアリー嬢やテスタ嬢とは、仲が良いのかね?」
不意に、アルノが問うた。
「はい、友達です、二人とも」
「ふむ、そうか……」
メアリーとトーファは友達だ、二年前、二人は強大な魔力を覚醒させたが、それでも友情は揺るがない。揺らぐはずがない。
「二人は卓越した魔術師らしいね?」
「はい、友人として誇りに思います」
「ふうむ……」
質問の意図が掴めず、トーファは内心で混乱した。
アルノが今の質問で何が知りたいのかを測りかねる。
「私はね、君の心理を知りたい。人の精神は誰も見れないものだが、反応から推察することは出来ると思うのだよ」
思考が止まる。
不意に告げられたその宣言は、トーファの思考を真っ白にした。
意味不明で、なんの脈絡も無い宣言だ、トーファの内心を除けば。
「ぁ……あの」
「君の言っていることは支離滅裂だ、自立がしたいと言いそう行動しているが、本質的に君はライルに依存して――」
「あの!!」
気づけば立ち上がっていた。呼吸がいつのまにか乱れている。
「……なんだね?」
「……もう、今日は、帰ってください」
「良いよ、帰ろう。ただ言っておく事がある」
アルノも立ち上がった、小柄なトーファを見下ろすアルノの目は、人の心理を見通しかねないと思える程鋭く、思わず目を伏せた。
「君は理由があってこの部屋にいるのではない。カーライル・マネガンから逃れたいと思っていないし、強き魔術師である二人への劣等感もない」
その声は冷たく、最初の柔和な雰囲気はどこにもない。
「自分の本当の望みから、目を背けない事だ……それから、部屋からは出てくれると助かる、それで助かる命があるかもしれないからね」
アルノのその言葉は、アルノが部屋を出てからもずっと、トーファの脳内にこべりついた。




