二十五話:森の詩人の本懐
この世で最も信頼出来る人間がいた。
もしもその人間の為に死ぬ必要があるのなら、少しも迷いもしないくらいに助けてもらった。
テスタ・チックにとってライル・ベアフットは恩人であり、友人である。
そんなライルが、今目の前で爆発した。
「な……あ……?」
信じられなかった。ライルならばなんとかするだろうという思いがあった。
実際に、ライルはテスタが手も足も出なかった黒い汚泥の様ななにか相手に一切引けを取らなかった。
「この手は使いたくなかったんだけどなぁ……」
「……ぁ……」
煙が晴れ、ライルの姿が露わになる。衣服が灰になり、上裸になりながらも、その体はそれほど傷がある様には見えない、しかし、精霊が教えてくれる。
ライルの最も傷ついているのはその呼気……肺の内側である。
「咄嗟に体内をガードしたのかな?バラバラになってもおかしくないのにさ」
「ぐ……う……て、め……!」
まだ生きているライルに、テスタは必死に走り寄る。走りながら精霊に指示を出す。
「無色透明、魔力に呼応して破裂する毒だよ。感想くれると嬉しいな」
そう言いながら笑って手を振る肌の黒い女に、テスタはゾッと冷たいものを感じながら、精霊が風を起こす、ライルの体が浮き上がり、テスタの方向に飛ぶ。
テスタは風の魔術でクッションを作り――。
その時点で目の前に来ていた女にお腹を殴られる。
「グッ……うぅ……!」
「ダメだよ〜?泥棒は」
一発、ただ軽く、なんて事のない様に振るわれた女の拳はテスタの腹を抉り込み、鈍く、芯に響く様な衝撃があった。
よろめき、魔術が霧散し、涙目になりながらも、精霊はそんなテスタの苦痛に関係無しに仕事をこなす。
風に運ばれたライルが、そのまま出口に向かう。それを横目に、テスタは全力で目の前の女に抱きついた。
「わわっ……困るなぁ……」
「わあああああ!」
叫びながら、地面を踏み締め全力で女を押す、壁か、地面でも押しているかの様な感覚はテスタと女の力量が隔絶していることを如実に表していた。
しかし、数秒、それだけ稼げれば良い。それでライルが逃げられるのなら……。
テスタのその考えが甘いと分かったのは、それから数秒経った後だった。
いつまで経ってもテスタに何もしてこない女に違和感を覚え、距離を離し入り口に振り返った。
そこには真っ白な肌に、真っ黒な衣服を纏った女がいた。
その太ももの辺りに剣が刺さっている、ライルの剣だ。だがそれを気にした様子も無くこちらに歩いてくる。
その周囲には先ほどテスタを無力化した黒い汚泥の様な物を従えて、背後には膨れ上がった黒い汚泥があった。
テスタは直感的に理解する。あの中に精霊が捕らわれている。あの汚泥は、精霊の全力の抵抗をものともせずに抑え込めるのだ。
「トール、捕まえたよ」
「ありがとー!メイジーちゃん大好き!」
「メイジー・メイジーだよ」
「メイジーメイジーちゃん好き!」
気の抜ける様なやり取りを目の前にして、テスタは動けなかった。
少なくとも、今動いても何も出来ない。
白い女、メイジーと呼ばれていた人が手をかざす、それに合わせて黒い汚泥が盛り上がり、中からライルを吐き出した。
(ッ……!ライル……!)
「メイジーメイジーちゃん、この子、結構根性あるよ〜?さっき私に組みついて来たんだ!」
「トールに?正気とは思えないな……」
二人の会話を聞きながらライルの様子を確認する。
まず意識はある、だがその体に黒く澱んだアザがあり、その表情は苦痛に満ちている。早く助けたほうがいい。
二人を見る。その姿は自然体で、少しも緊張していない、テスタに対しての警戒なんて全く無い。
それでも、それでもテスタには戦える未来が見えない。逃げるだけでも、不可能に思える。
「さて、テスタちゃん、私たちの目的に協力して欲しいんだけど、良いかな?」
「……目的?」
「そ、カーライルちゃんはこんなだし、テスタちゃんじゃ私たちに敵わない。協力してくれるよね?」
「な、何をすれば……?」
逆らってもどうにもならない。大人しく言う事を聞いた方が良い。
声は穏やかで、それほど酷い目には遭わない気がする。
「えっとねー、これから君たちを虐めるからぁー……出来るだけ耐えてねっ!」
「……は?」
何を言っているのか分からなかった。ただ肌の黒い女……トールはライルの側に寄り、倒れているライルを蹴り付けた。
「はあっ……!?ちょ、ちょっと待って!」
「待ちませーん!おらおら!目ぇ覚ませー!」
「グッ……ゴフッ……トールッ……!死ね……!」
思ったより元気そうなライルが数度蹴りを入れられる。
それを止めようと魔術を用意し駆け出し……。
足首を掴まれる。転倒し床に手を突きながら足元を見れば、黒い汚泥がテスタの足首に纏わりついていた。
黒い汚泥がゆっくりと体積を広げ、のしかかって来た。
うじゅるうじゅると生理的嫌悪感が浮かぶ音を立てながら、ゆっくりと身体が飲み込まれていく。
「ヒッ……!や、やだ!やめて!」
「うーん?この程度で音をあげるの?トールに組み付くよりずっとマシだと思うんだけどなぁ……」
「メイジーメイジーちゃん!そっちは良いからカーライルちゃんからやろ?順番決めてたでしょ!」
「はいはい……」
二人の会話を聞きながら、テスタは咄嗟に叫んだ。
「ま、待ってくれ!僕が先に……ら、ライル……じゃ、なくて、僕を、先に……」
言いながら、言葉は尻すぼみに小さくなっていく。
怖かったからだ。ライルに酷い目に遭ってほしくはないけれど、自分がその代わりをするのも怖かった。
だがそんな弱虫なテスタに、メイジーメイジーはその顔を覗き込みながらパッと笑みを浮かべた。
「そうかそうか、つまりキミはそこのカーライルより、自分をやれと言っているんだね?」
「う……は、はい、そうです……」
蚊の鳴くような声で肯定する。メイジーメイジーの背後でトールが『うげえ』とした顔をしていた。
「分かったよ!ボクは慈悲深いからね、キミの言う通りにしてあげよう」
そう言いながら、メイジーメイジーは服の内側に手を入れ、中から一体の人形を取り出した。
木でできた人形だ、顔は無く、関節部分は球体で、サイズは手で握った時手足がはみ出るくらい。
メイジーメイジーは人形をテスタの顔の前に出した。
不意に直感する。その人形と目があった。
それと同時に、テスタの体に異変が起こった。まるで何か大きな手に握られているかのような感覚が突如発生したのだ。
……そう、まるで目の前の人形と同じように。
まさか。そんなはずがない。そう頭で考えても、冷や汗が止まらなかった。
メイジーメイジーが人形の腕の根本を摘む。
同じ様に、腕の根本を掴まれた感覚があった。
メイジーメイジーが少しずつ指をずらしていく。腕の先端……手に当たる部分に着くまで、それほど時間はかからなかった。
そしてメイジーメイジーは指に力を込めた。
「うわあああああっ!!!」
手が砕けた。そう錯覚させるには十分な痛みだった。
手を胸の前に置き、もう片方の手で強く押さえつける。
痛みに溢れ、それ以外の感覚が酷く薄い。ただ自分の手が砕けていないことを確かめるため、強く強く、手を押さえる。
「……うん、思ったより良いリアクションだ。ルールは分かったかな?この人形の受けた痛みをキミに移し替えることが出来るんだ。別にダメージも移せるけどね」
「メイジーメイジーちゃん、やっぱりカーライルちゃんからにしようよー、かわいそーだよー」
「いやこれはこの子の望みだからさ」
「……あのさあ、メイジーメイジーちゃん、それ私怨でしょ、やめなよみっともない」
メイジーメイジーがトールの言葉を無視して人形の頭に触れた。
後頭部に大きな巨人の指がのしかかっている感覚がある。
既に先の手の痛みは消えていたが、その感覚は痛みを思い出させるには十分だった。
息が上手くできない。過度に緊張して、震えが止まらない。
メイジーメイジーが頭を二つの指で摘んだ。
「安心しなよ。感覚だけだ。ダメージは無い、キミは生きたまま、傷つかないまま頭を潰される」
その痛みを想像するだけで、なにも出来ない。体が恐怖ですくんで動かない。涙を流し、追い詰められて、そして現れたテスタの本質は、臆病で、恥知らずなものだった。
「らいるぅ……」
情けない声が出た。別に、本当に助けてもらえると思っていたわけではなかった。そんなものは無理だと思っていた。
しかし。しかし、ライル・ベアフットという男は、テスタの最も信頼する人間は、その小さな叫びを聞き逃さなかった。
ライルが立ち上がり、メイジーメイジーに迫る。そしてその顔面に拳を叩きつけた。一瞬の事だった。
思わず、ポカンと口を開けてライルを見る。
メイジーメイジーは倒れていなかった。人形を持つその手を、ライルに握られていたから、倒れられなかった。
「……ひどいな。ボクの事が嫌いかい?」
「……っは……普通、分かるだろ?」
手首を掴まれ、姿勢は崩れ、そもそもの体格が小さい。
それでもメイジーメイジーは余裕を崩さなかった。
理由は明白、ライルを蝕んでいる呪いだ。
「後何秒立ってられる?ギブアップの時は言ってくれ、精一杯笑うよ」
「…………」
そこでようやく自分のすべき事に気づいたテスタは、足を覆っている黒い汚泥を殴った。今のうちに、脱出すべきだと考えたからだ。
「ライル、キミの判断は正しいよ。キミはボクが人形を落とさない様、うっかり持ったまま転ばない様細心の注意を払ってた。それは正しい」
「…………」
「ボクの人形は感覚のフィードバックの時にスケールを合わせる様に出来てる。例えば……こういう風にね」
メイジーメイジーが手を離す。人形が落下した。同時にテスタの全身に、風の様な感覚が、否。落下の感覚が走った。
ゾッと、背筋が凍った。
(あ……これ、まず――)
ライルが姿勢を崩し、落下する人形を優しく受け止めた。
地面に勢いよく伏せながら、自分の体の上に人形を着地させる。
「死にかけのキミに負けるほど、ボク達は弱くない。あの子はボクの拘束から抜け出せない。詰みだよ」
「……死ねっ!クソ、ボケ……!」
メイジーメイジーが足元のライルを蹴り付けた。小さな足から放たれた蹴りはテスタに向けてライルを吹き飛ばし、テスタはそれを風の魔術で受け止めた。
「おっメイジーメイジーちゃん良い蹴りだねぇ……カーライルちゃんからやる気になったの?」
「違うよトール、今のはただの憂さ晴らしさ。やっぱり狙うのはあのエルフだ」
「あのさ……メイジーちゃん、ちょっとしつこいよ、カーライルちゃんにしよ?カーライルちゃんはクズだよ。おっぱい大好きおっぱいマンだよ」
「メイジー・メイジーだよ、トール」
「……だっるーい、ぶん殴っちゃうよ?」
トールが面倒くさそうな顔を浮かべ、メイジーメイジーに詰め寄る。
テスタは二人が揉めている隙をついて、倒れるカーライルの耳元に口を近づけた。
「ら、ライル……ライル……!」
「グッ……肩を貸せ、今、アイツらを……」
未だ闘志の尽きないライルの体を抑えた。
ライルは今上裸で、その素肌に触れるのは恥ずかしかったが、それ以上に、ひどく冷たいライルの体はテスタを不安にさせた。
「チック?」
「ライル……逃げて」
それは切実な、テスタにしては珍しく正しい言葉だった。
ライルはおかしなモノを聞いたみたいに目を見開いて目を丸くしている。
「何を……」
「わ、分かるだろう?僕なんて良いから、ライルだけでも逃げてくれ」
「出来るかっ……アホ……!」
「あほでもばかでも良い。ライル、君が苦しむ必要はないだろう?」
精一杯の虚勢を張って、震える声を、小さく萎んでいく自分を必死に鼓舞する。
「馬鹿が!お前だけを見捨てる訳ないだろ!」
「なんで、そこまで……」
「仲間だからだ!俺が、お前の事を大切な仲間だと思ってるからだ!」
ライルが叫ぶ。その言葉の真偽は、テスタには分からなかった。
精霊は今捕らわれて、テスタのそばにいない。だから、ライルの言葉が嘘かどうか……否、本当の事かどうか、信じられなかった。
「ライル……僕は、君と会った時の事を、今でも鮮明に思い出せるよ」
ゆっくりと、語り始める。
「あの酒場で、悪漢に脅されていた僕を助けてくれた君を覚えてる。ダンジョンで死にかけた僕を助けてくれた君を覚えてる。ヒトの世界の常識を、丁寧に教えてくれたのを覚えてる」
三年間、色々なことがあった。
テスタはそれら全てを、全部全部覚えている。まるで昨日のことの様に……いや、まるで数秒前のことの様に、覚えている。
「ライル。僕は全部覚えてる。全部ついさっきのことの様に覚えてる。だから僕は分からなかったんだ。今までどれだけ長い時間が過ぎたのか。君にとって……人間にとってそれがどれだけ長かったのか」
ああ……そうだ、それがテスタの目的だった。
テスタは今この瞬間、ようやく自分の本当の気持ちに気づいた。
「三年だ、僕にとってあっという間の三年間、僕は、僕たちは君の事を……ずっと苦しめてきた」
ヒトの寿命は短い。それは残酷で、思わず目を背けてしまう真実だった。
きっとだからこそ、テスタがパーティーを抜けるのではなく、ライルをパーティーから抜けさせる事を選んだのだ。
「……」
押し黙ったライルに、テスタは尚も続けた。
「もう良いよ。ライル。君は僕たちに尽くしたじゃないか。もうこれ以上、僕たちのために苦しまなくても良いんだよ……だから」
逃げてくれ。と、そう口に出そうとした瞬間ライルがテスタの頬を掴んだ。
「…………じゃねえ」
「……へ?」
「――ふざけんじゃねえ!!」
ライルが怒鳴った。
思わず、体を硬直させる。
「お前、お前!ふざけやがって!俺が、苦しんだだと!?」
「だ、だって」
「俺も楽しかった!!」
ライルが叫んだ。
その言葉の意味を理解すると同時に、体の奥底から熱いものが込み上げる。
「お前は馬鹿で間抜けでどうしようもないアホだ!だけど、俺はそんなお前と過ごしてるのが楽しかった!」
自然と、涙が出てきた。
「お前にとってあっという間の三年が!俺にとってもあっという間だった!毎日が楽しかった!一瞬だった!」
精霊は未だ捕らわれたままだ。それは嘘かもしれなかった。
でも、目の前で叫ぶライルを、感情を爆発させるライルを見て、感じた熱を疑うことなんて出来なかった。
「だからッ!お前は俺にとって大事な仲間なんだっ!だからッ!今お前を見捨てて逃げる事が!出来るわけねえだろ!」
――体に、魔力が満ちている。テスタの激情に呼応して激しく暴れる魔力が。
風が吹いていた。
「終わったかな?結論は出た。順番はキミからだ、エルフ」
「むう……」
不満げなトールと、ニヤついているメイジーメイジーがこちらを見る。
メイジーメイジーがこちらに手を伸ばした。
体から溢れる魔力に指向性を持たせる。
真っ先にトールが気づいた。表情を引き締め、メイジーメイジーの前に出る。
魔力が迸る。その魔力は風……ではない。
空間が歪み、広がる。一瞬にして距離が広まり、塗り替えられる。木々が生え、森と化す。
その瞬間、テスタ・チックは覚醒した。




