二十一話:憤怒
「分かった……事情を話す」
俺に出来る事は少ない、この詰んだ状況の最も厄介な点はチックだ。
嘘を見抜く精霊、その能力は今の様な余裕の無い状況では非常に厄介だ。
「赤子は病気だ。もう長くは無いだろう」
「……っ、そんな……!」
泣き声も上げられないほど衰弱している死にかけである。治癒魔術により体力や不足している血の補充は出来る、水魔術による水分補給も出来る。
その命を繋ぐことは可能だ。それだけに集中すれば六日……七日までは行ける。
そしてありとあらゆる手段を用いれば二日で街に届けられる。
「ここから最寄りの街まで正規の道を使っても五日は掛かる。馬を使ってもな。それまで持つとは思えない」
「……」
チックは更に衝撃を受けた様に立ち尽くす。
……いや待て、そこで諦めるのか?よく考えろ、お前がこの牢屋に入れられるまでそれほど時間が掛かっていないぞ、眠っている時間が長すぎて分からなかったか?
少なくとも帰るだけなら五日も掛かるはずが無い。それぐらい察せるものだとばかり……。
「……だがそれは正規の道を使った時だ、山中の道なき道を行けばもっと早いだろうな」
「!?そ、それじゃあ」
「しかし馬が居ない。そもそも居ても森は抜けられないが……」
……思い返してみれば、リンはどうやってチックをここまで運ぶ予定だったんだろうか?睡眠薬はある程度数があった様だが……馬車の用意があったんだろうか?
「……僕は、風の精霊と契約してる。精霊術で移動を補助すれば……」
精霊と聞いて、俺はそれをまるで初めて知ったかの様に瞠目し、わずかに驚愕を露わにした。
はえー知らなかったなぁ。全然知らなかった。びっくりー。
「……風の……そうか、しかしそれでもやはり駄目だ。移動の負担にあの赤子は耐えられない。俺の治癒魔術を常に発動し続ければ可能だが……」
「それなら……!」
「やはり無理だ。魔力が持たない」
そもそもチックの精霊術は二日持続して発動できるものでは無い。速度も遅く魔力が無尽蔵にあっても多分四日は掛かる。
そして俺の移動も人が増えればその分速度が落ちる。全体的にみればチックは置いて行ったほうが効率が良い。
「俺と、あの赤子だけなら連れて行ける。俺の魔術による移動はかなり速い。二日もあれば街に着く」
チックの表情がパッと明るくなり、安堵した。
「それなら解決じゃないか!ライルとあの子だけで行けば良い!」
俺はチックの顔から不安や迷いを探したが、見つからなかった。
チックは何も考えていないアホ面をしながら、期待した様に目を輝かせている。
「……馬鹿かお前?」
「へっ?」
思わず本音が出た。
今更引っ込めるのも変なので、俺は更に声を低くした。
「お前は馬鹿か?いや、お前は馬鹿だ」
「……?」
「俺が行ってる間お前はどうすんだよ!もっとよく考えろ!」
俺がそう怒鳴ると、チックはそれでもなお理解できない様子でポカンと口を開けていた。
「ぼ、僕?」
「そうだ、ついでに隣のあの男も!俺が行ってる間どうするんだよ!」
「ど、どうするって……」
そこまで言って俺は気づいた。なるほど、チックは現状を全く危ないとは思っていないらしい。
牢屋に入れられてそれはどうなんだと思わなくもないが、なるほどそれなら理解……出来ねえ、どんだけ平和ボケしてんだこいつ。
「……お前を捕らえ、この牢屋に入れたやつを知ってるか?」
「知らない」
「十中八九この城の城主、リーリル公爵だ。リーリルは知って――」
「リーリル?」
俺がリーリルの名を口にすると、意外にもチックはそれに反応した。
「……リーリルって、あの?『エルフ嫌いの怪老リーリル』?」
「……ああ、そうだ。知ってるんだな」
「……うん、知ってるよ」
不思議な反応をするチックをよそに、俺は更に続けた。
「リーリル公爵を知ってるんなら、アイツの嗜虐性は?俺が街に行っている間にどうなるか想像がつかないか?」
「……」
恐怖を煽ろう。チックは怖がりだ。なんとか諦めをつけさせる。
「奴は狂人だ。ここに残っていれば生き地獄を味わう事になる」
「……それなら良いよ。あの子一人だけでも助けられるんだろう?なら僕は置いて行ってくれ」
……!?
「何を言ってる?」
「何って……話は分かったよ、あの子は早く助けないと死ぬんだろう?なら僕は後回しで良い」
……?な、何を……いや、違う、チックは知らないだけだ。リーリルの恐ろしさを、そいつが行った所業を。
知ればきっと諦める。
「……リーリル公爵はエルフとの戦争を行っていた。知っているな?」
「知ってるよ」
「奴が捕虜として捕らえたエルフに行った拷問は?」
「……」
チックが口を閉ざした。知らないのか、知ってて黙ってるのか。チックは今何を考えている?
「奴はエルフを憎んでいる。お前には覚悟があるのか?」
「……あるよ」
「いや無いな。お前には無い」
俺はチックに一歩歩み寄り、その耳を手で摘んだ。
「奴は耳を削ぐ。お前と同じくらいの子供が捕まった話は知ってるか?」
「……」
チックは表情を変えず、俺の話をじっと聞いている。
「お前らエルフは処女性……男でもそうだが、無垢である事を重視しているな?」
エルフはそんな宗教観だから子供が産まれず、数が少ない。
特殊な木々からエルフを作り出す事によって個体数を増やしているが、生殖によって数を増やすことがない。
「戦争中、エルフは高く売れたそうだ。美形が多いからな。ん?意味は分かるよな?」
「……」
黙っているチックに、俺は続けた。
「吊るして火炙りにされた奴がいる。お前らの死生観ではそれは禁忌らしいな?」
「……」
顔色の悪いチックに、俺は更に続けた。
「端から骨を砕かれた奴がいる。魔物に生きたまま喰われた奴がいる。砂漠で干からびて死んだ奴がいる。悪趣味な魔術師に蛆に変えられた奴がいる。何もなせず妻子諸共串刺しになった奴がいる」
エルフとの戦争は酷かった。最初はそうでもなかったが、遺体を燃やしただの獣に食わせただの、宗教的な行き違い、誤解。そしてそれを煽りエルフを根絶せしめんとしたリーリルなどにより、戦争は激化した。
お互い憎み合い殺し合った。さっき言った所業もどれくらいがエルフが被害者なのか分からん。それは良い。
だが問題は……リーリルだけは、あの戦争から抜け出せていないという事だ。いつまで経っても、エルフを憎み恨み嫌っている。
「お前はそんな所業を受けて耐えられるか?今言った事をされても平気か?」
平気な訳が無い。それはチックが負うべき苦痛ではない。
戦争は終わった。アホの国読みが読み逃した災禍はもう終わった。
チックは無関係だ。チックは弱い。
チックは逃げるべきだ。そんなものに向き合う必要は無い、その過程で赤子が一人死のうが構わない。
「……僕は、それでも良いよ」
その言葉を聞いた瞬間、俺はあまりの滑稽さに思わず笑みが漏れた。
「はっ……くく、はははははは!」
「……」
あり得ない。馬鹿馬鹿しい。何も考えていない子供。何も知らないガキ。チックは初めて会った時からちっとも成長していない。
俺に嘲笑され、チックはムッとしてこちらを睨む。
「別に良いよ。僕は何をされても、どんな仕打ちを受けても――」
パン、と乾いた音が牢屋に響いた。
目の前にはチックが、その顔に衝撃を浮かべている。正面でなく、少し横を向いて。
頬が赤く色づいていた。
「……ぇ?……?」
俺は一瞬、誰がそんな事をしたんだと本気で思った。
だがすぐに理解した。叩いたのは俺だ。
「ぁ……え?な、ぇ……?」
チックが混乱しながら、涙をポロポロとこぼす。
だが、一番混乱しているのは俺だった。
(叩いた?俺が?チックを?)
頭のなかで何度も反芻する。だが信じられなかった。そんな事をしようとは思っていない。
自然と、呼気が荒くなる。混乱する頭でなんとか思考する。
(暴力は駄目だ。信頼を損ねる、謝罪。違う、それじゃ感情を制御出来ていない様じゃないか。評価が下がる。意図を考えろ)
混乱する脳みそで、ぐちゃぐちゃの思考からなんとか言葉を絞り出す。
「お前、お前……!ふざけるなよ、それはお前が良くても……俺が嫌だ、そんな自己犠牲を、お前、俺が許せると思うか!?」
自分でもそんな事を思っているのか分からない。適当に口を回しただけで、そんな事では精霊の嘘看破にひっかかると後から気づいた。
だが言ってしまったものは取り返しがつかない。当たり前だ。
俺は一瞬止まり、そして決意した。
牢屋を勢いよく出て、隣の牢……男と赤子が捕らわれている牢に向かう。
牢屋の鉄格子を剣で断ち切り、中にいる男と赤子に迫る。
申し訳なさそうな、悔しそうな表情を浮かべる男に、俺は凄んだ。
「子供を出せ。口を開けさせろ」
「……?なにを……」
「早くしろ!殺すぞ!」
男が慌てた様に差し出した赤子の口に、俺は懐から取り出した小瓶を傾けた。
ほんの一滴、それだけを赤子の口に入れる。
一瞬、雫を口に含んだ赤子が光り輝いた様に見えた。
赤子の呼吸は落ち着いている。俺の治癒魔術など比ではない。使用者の魂を活性化させ、その影響により服用した量に応じて不老不死にする霊薬『エリクサー』である。
精霊王が去った今、新たに作る事が出来ない最強の霊薬、膨大な富を持ってしても入手できず、俺ですら三滴分しか持っていない。
万が一、俺か仲間が死にかけたら使う予定だった保険だ。断じてこんななんの価値もないガキに使う物ではない。
「母親は?」
「……え?」
いまだに事態を把握していないクソ鈍い男の首を引っ掴み、無理やり立たせる。
「母親はどこだ?」
「あ、り、リーリルに連れられて」
俺は男を離し、無言で牢屋を出た。
チックを殴ったのは取り返しが付かない。起こってしまった事はどうしようもない。大事なのは今だ。リカバリーしてみせる。挽回してみせる。
完璧にコイツらを救い、チックからの評価を回復するっ!
***
牢屋の中、テスタは一人泣いていた。涙が止まらなかった。
原因は当然ライルだ。
テスタはライルを怒らせて、本音を引き出させるのを目的として行動していた。
だがついさっき、ライルに頬を叩かれた時、テスタはほんの少しも喜べなかった。
ただ悲しかった。不思議な事だ、今回ライルに叩かれたのは、ある種テスタの考え通りだというのに。
涙を拭う。何度も何度も拭う。
テスタの目的はライルと本音で話す事だった。ライルの本心と向き合う事だった。
だけどライルの剥き出しの本音に、振るわれた手に、テスタはこれ以上向き合える気がしなかった。心が耐えられなかった。
涙を拭う。
ライルの言葉に、態度に、嘘は無かった。全部全部本心で、真実だった。
涙を拭う。
テスタはどうすれば良いのだろうか?何を為せば良いのだろうか?そうしてライルが戻ってくるまで何度も自分に問いかけた。
けれど何も、何も分からずに、ただ涙が溢れるだけだった。




