十八話:トラップ返し
チックの後頭部に向けて振るわれたナイフは、不可視の力によって寸前で防がれた。
「!?」
「リン、突然何をするんだい?」
直前までビクビクと怯えていたとは思えないほど冷静な声を出している。魔術行使による精神の平定作用だろう。
チックは首を向け背後のリンに冷たい目線を向けた。
「オーガ!!」
リンが叫ぶ、空いた拳を握りチックに向けて振るった。
同時にオーガはその巨軀からは想像できないほどの速度でチックへと迫る。
リンの拳は半ばで止まり、チックは向かってくるオーガに向けて手を伸ばした。
風の魔力が放たれ、突風となりオーガを打つ。
そこまで見てようやく気づいた。リンの攻撃の防御とチックの魔術行使は通常同時にはなし得ない。精霊術か!
オーガが風に立ち向かい、ゆっくりと歩を進めていく。
その隙にチックは……否、恐らくはチックが使役している精霊は、高密度の空気の塊を射出することでリンを弾き飛ばした。
空気が震える。チックではない。俺以外の周辺に隠れている魔術師による魔術だ。
石の槍、風の刃。二つの魔術が時間差で放たれる。
目立ち、視認しやすい石の槍の後ろに、透明な風の刃が続く。
チックがオーガに吹かしている風を止め、精霊の魔術により足元に空気を生み跳び上がった。
飛来する石の槍と風の刃を飛び越える様を、オーガとリンはポカンと見つめた。
リンとオーガから距離を取り、チックは地面に着地した、そこそこの勢いがあったはずだが、全く堪えた様子はない。
オーガが警戒を露わにチックを睨む。
一度吹き飛ばされたリンも、オーガに並んだ。
「リン、どういうつもりか、説明してくれるかい?」
「シーフ、会話はするな」
「……分かってるわよ」
リン……シーフと呼ばれたリンは、不機嫌そうに呟いた。
オーガにシーフ……コードネームの真似事か?ガキのママごとかよ。人前で呼ぶ可能性を考えたらもっと個人名っぽくするべきだろう。メリットは……即席のチームでも名前が分かりやすいとかか?
「リン……!」
「……」
リンとオーガが構える。どうやら会話をする気は無いらしい。そんなもの期待する方が間違っているが。
「……ッ……悪いけど、加減は出来ない……!」
チックが矢筒から一本の矢を取り出す。
魔力伝導率の高い木から作り出された特別性だ。
オークがまっすぐチック目掛けて駆け出した。遅れてリンも斜めに駆ける。
チックは矢に魔力を込めながら、回避的な動きをするリンではなくまっすぐ向かってくるオーガに狙いを定めた。
弓を引き絞るチックに、周辺の木々から再び魔術が放たれる。
石の槍、炎の鞭、炎の槍。
水や氷がないのは炎と相反する属性だから。風がないのはチックと精霊の得意属性だから。
そこそこ考えられている。隠れている魔術師は五人、連携は出来ているようだ。
対するチックは未だ弓を引き絞った状態のまま魔術を発動する。現れた突風は炎を絡め取り、石の槍は精霊が作った高密度の空気の球体により弾かれる。
オーガとチックの彼我の距離は後三歩、チックはそこでようやく矢を放った。
風の魔力が込められた矢は通常の矢と変わらぬ様子で放たれ、オーガは腕を振るい矢を払い落とそうとする。
オーガの腕に矢が当たった瞬間、封じられた魔力が解放、衝撃波が炸裂する。
のけぞり、姿勢を崩すオーガ、しかし当然の様に致命には至らず、矢には戦線を離脱させる程の威力も無かった。
瞠目するチックの横合いから、リンがナイフを振るい迫る。少し反応の遅れたチックが、上段から振るわれるナイフを弓で防いだ。
再び炎の槍が放たれる。立ち直ったオーガがチックに迫る。
炎の槍は風により地面に叩き伏せられ、オーガは風の衝撃にたじろいだ。
……手加減をしているな?馬鹿が。
まあ今更手加減していようが関係無い。
――チックの負けだ。
チックの弓とリンのナイフの迫り合いが終わった。リンがナイフを手放したのだ。リンが姿勢を低く、チックの懐に入る。
チックは弓に掛かっていた力を不意に外され姿勢が崩れ無防備だ、魔術と精霊術は既に行使され、発動にはもう一息いる。
リンが拳を握った。
「あ……っ」
そして拳を思い切り振り上げ、チックの顎を打ち抜いた。
十分な衝撃を与え、脳を揺らしたその一撃は、チックの意識を飛ばすのに不足は無かった。
ふらりと下がり、一瞬意識のないまま立っていたチックは、すぐにバランスを崩し背後に倒れた。
戦闘不能……チックの負けだ。
敗因は甘さだ。精霊術により竜巻を発生させて接近戦を封じ、矢の狙撃により先制攻撃を与えれば勝てただろう。
敵方の戦力が待ち伏せしていたにしては少なかったのは精霊術が敵の事前情報には無かったためだろう。
俺も知らなかったくらいだから当然だが。
……精霊との契約か。風の精霊であれば他者の感情を読めるし、嘘の判別も可能だったはずだ。
チックの反発はそれが理由か?俺の演技の下に隠していた怒りを読まれたか。
……なら、関係回復は容易い。要はチックは裏切られた気分なんだろう?親しいと思っていた人間が本心を隠していたのがショックだったんだ。
だがしかし、俺がチックを仲間だと思っているのは間違い無い。チックが嘘を見破れるというなら、俺はただそう伝えれば良い。
俺は隠れながら、密かにほくそ笑んだ。
***
リン・ゾゥゾにとって、テスタ・チックは友人だった。
その友人は今意識を失い、地面に倒れ伏している。
テスタはリンの誘いを何も疑わず、こんな森の奥深くに一人で来た。底抜けの阿呆だ。
テスタはいつもそうだった、空気が読めなくて、馬鹿で、無神経で、馬鹿で、馬鹿だ。
「シーフ、魔封じの枷を」
「……分かってるわ」
意識のないテスタの腕を取り、手首に枷をつける。特殊な魔道金属で作られたそれは、着用者の魔力操作を乱す効果があった。
魔術を使える人間を捕えるのであれば絶対に必要な道具だ。
テスタの口に睡眠薬を含ませ、指先から水を出して口に入れる。
……効果は強力で、テスタはおおよそ一日は目覚めないだろう。
何も知らないテスタに、リンを疑わなかった友人にする所業ではない。今更、罪悪感が込み上げてきた。
ゆらゆらと立ち上がり、思わず後ずさった。
今更、今更だ。もうとっくに、覚悟は決めていたはずなのに。
心を無にしながら、自分に言い聞かせる。もう手遅れだ、どうしようもない、それに、チックを捕まえないという選択肢は、選ぶ事が出来ない。
リンの脳裏に薄気味悪い死体のような少女がよぎる。死よりも辛い苦痛を、魂を底冷えさせる恐怖を、リンは覚えている。
自然と、呼吸が止まっていた。カタカタと震えだす体を、リンは必死に制止した。
「シーフ、少し手伝ってくれ」
オーガがテスタの脚を持ちながら、リンに声を掛けた。
「……何、やってるの?」
「脚を折る」
一瞬、理解が出来なかった。
「な、何言って」
「シーフ、こいつの術を見ただろう?精霊術だ、今は精霊ごと意識を失っているようだが、いつ精霊が目覚めるか分からん、意識の無いうちに無力化しておくべきだ」
「それは……クライアントはできる限り傷をつけないでほしいって……」
オーガの言い分は最もだ、しかし……しかし、駄目だ、それは。
「無傷のままでは逃げられる。こいつの能力は俺たちの想定を超えていた、次も勝てる保証は無い」
「でも……睡眠薬は飲ませたわ、丸一日は目覚めないはず」
「関係無い。精霊が目覚めれば術者の意識が無くとも俺たちを殺すだろう。さっきの戦闘で俺たちが誰も死ななかったのは、このガキが殺さないように精霊の力を制限していたからだ」
オーガはテスタを指差しながら、不機嫌そうに言った。
力を制限……それが本当であるのなら、テスタは本物の馬鹿だ。
なんとかオーガを止めようと思考を巡らせると、オーガが一歩近づき凄んだ。
「てめえの目算が狂ってたせいで一歩間違えりゃ死んでたんだぞ?その上うじうじ後から後悔しやがって……!殺すぞ……!」
「で、でも……」
言い淀むリンを、オーガは突き飛ばした。
「あ……っ!」
元々の体格差に、予期していなかった事もあり尻もちをついた。
「でもじゃねえ!クソが……!」
尚も詰め寄り、拳を上げるオーガに、せめてもの抵抗で腕を前に出し……。
落下してくる何かに気づいた。
どさりと、オーガの背後、リンの前方10m程前に、何かが落ちた。
上手く視認は出来なかったが、オーガも気づいた様子で、すぐさま振り向いた。
「……なんだ?シーフ、警戒しろ」
何も言えない。いつの間にか、首に剣を当てられていた。
気配も、音も、匂いも、何も無かった。そのはずなのに。
「シーフ?何を……ッ!!?」
不意に、オーガが横に飛ばされる。
頭に強い衝撃でも受けたかのように不自然に飛ぶ。
「ガアッ……!!何、が……!」
倒れるオーガの上に、巨大な高密度の魔力の塊が現れる。
それは空気となり、質量を増し、密度を増していく。その球体はすぐに、鋼鉄よりも硬くなる。
倒れるオーガの上から、球体がゆっくりと降り落ちる。
「グッ……ぐうう……!!シーフ!シーフ!!なんとかしろ!!」
何も出来ない。襲撃者は高度な魔術を使用しつつ、リンへの警戒を少しも解いていない。
ピクリと体を動かせば、剣が少し動いた。痛みは無い。だが、首から生暖かい液体が流れるのを感じる。
もし逃げようとすれば、即座に首を刎ね落とされる。
リンに出来ることは無い。
オーガの上の球体は力を増し、今にも破裂しそうな高密度の空気は、ゆっくり、ゆっくりとオーガをすり潰していく。
「ギイイッ!!シーフ!!シーフッ!!助けろ!俺をッ……!」
オーガが叫ぶ。そのやかましい声は、すぐに終わりを告げた。
「ギャッ」
肺が圧縮されて空気が口から漏れたのか、それとも悲鳴を上げたのか、それは定かではない。
だが、少なくとも確実にオーガの肉体は完全に潰された。
「……良かった。リン、大人しく待ってくれてありがとう」
その声には聞き覚えがあった。そして、その声が聞こえた途端、安堵した。
「ライル……」
「ああ、俺だぜ」
ライル・ベアフットがここまで強いとは知らなかった。出てきたタイミングが良すぎる。きっとずっと見ていたのだろう。
ウォルドウルフが来なかったのも、ライルの仕業だろう。
……自分は死ぬんだろうか?ああ、馬鹿な友人を騙した自分には、お似合いの末路だろう。
未だ首に当てられた剣に対し、怯えはなかった。ただ、きっと天罰だろうという諦観があった。
「リン。俺はお前の事を友人だと思ってる。いつもチックと良くしてくれてるしな。あまり酷いことはしたくない」
「……もういいわ。殺して」
「よくない。そもそもそこのオーガが脚を折るだの言わなければこんなことする必要無かったんだが……なあ、誰からの依頼だ?」
その質問に、リンは恐怖で喉を鳴らした。
「だ……ダメ、教えられない」
「何故?」
「言えば私……!私……!」
あの少女から受けた苦痛が、魂の芯まで響く苦悶が、リンを縛り付ける。
心臓は早鐘を打ち、冷や汗が止まらない。
あんな苦しみを受けるくらいなら、死んだ方がずっとマシだ。
「言えない!私、わたしは……!」
「リン、顔を上げろ」
剣が下がった。
リンはゆっくりと振り返り、背後にいるライルを見た。
左手に人の頭を四つ持ち、右手に剣を持っているライルは、まるでなんて事のない様な顔でリンを見つめた。
目を見開き、何も言えないリンを、恐怖で顔を染めたリンを見て、ライルは……にっこりと笑みを浮かべた。




