神様の手先の手先 幕間小話
本編35・36話のあたり。イマチの心情をちょろっと。
拾われた命なのだから、お前に使い道の有無はない。
物心ついたときに言われた言葉は、今もイマチの心奥深くに植え付けられたかのように潜んでいる。ときおりその言葉はふっと思考に潜み現れ、服に付いたインクみたいにこびりついて離れなくなる。
誰に言われたのだったかなんて、思い出そうとしなくてもすぐに口にすることができた。
腹違いの姉、第三王女エスメラダ。イマチのかつての保護者だった人。今となっては、儚くなってもう二度と会うことはないけれど。
顔は次第に細部まで思い出せなくなってきた。でも、綺麗な人だったと覚えている。潔癖で、イマチを見る目は厳しかった。もう一人の姉である第二王女コンハラナ曰く、彼女は優しい子だったそうだ。だがイマチの記憶の姉は、それだけではなかった。なぜなら、イマチに向けて「お前はいつか国のために死ね」と言い放ったくらい苛烈な面もあったのだから。
イマチは母無し子だ。
生まれたときに産褥で母は亡くなったと教えてもらったが、はたしてそれが真実なのかは怪しい。イマチの記憶にはないが、当時のイマチは痩せこけた乳飲み子で、見るに堪えない貧相な有様であった。そう不機嫌に言って聞かせてくれたのは、姉だった。なぜ保護してくれたのかは、思い出話がてら教えてくれたことがある。
イマチの母、王宮仕えの下女だった女性はエスメラダの年の離れた友人だったらしい。身分差がために、おおっぴらに言わなかったが、あのときの姉の口ぶりに嘘はなく、亡き母への好意がにじんでいた。だからイマチを見ては嫌なことを思い出すが、母のこともあり見捨てきれなかったのだろう。そう、思っている。
最低限の身の振り方を教えて、最期に呪いじみた命の使い道云々の言葉を言い含め、姉とはそれきりだ。
ある日突然、王宮から下町の方に移されて隠されるように過ごせと命じられて、祖母に迎え入れられたのだった。
カヒイに移ってしばらくしてから、姉が若くして死んだと聞いた。聞いたときは、ああ、やっぱりという気持ちと、栓が抜けて落ちるような心地を感じた。それから、夜、一人で身を丸めて息を潜めながら眠ったのを今も覚えている。
幼心ながら、六つか七つの子どもは、生き残るための処世術を考えた。すなわち、愛嬌と無邪気、純粋さ。今の年齢であることを最大限に利用した武器を磨いたのである。
イマチは嘘が見抜ける天性の才能があった。生来の勘の良さから相手の反応をうかがいながら、今まで生きてきた。
生存戦略の仮面はたった数年であっても、立派に機能するようになっていた。身に染みついて、もとからそんな性格だったかのように振る舞える。
「殿下ーっ!」
遠くで呼ばれた。自室の窓から声の先を探して軽く手を振る。「きゃあ」と明るい声を上げると、裾を翻して少女が遠ざかっていった。慌てて少女の付き人が追いかけていく。今日もイマチの婚約者は元気だな、とぼんやりと思って手を下ろす。
ここは良い場所だ。周りの人間も、概ね善人が多い。
そのような暖かな居場所を護るために、イマチに何ができるのだろう。知略も武力も不十分な未熟者に、どこまで手が伸ばせるのだろう。そう思う度にまた、きつい口調で言い聞かされてきた言葉が頭をよぎるのだ。
「……ひろわれた命なのだから」
呟けば、ひゅうと風の音がした。
不自然な風の音は窓から入ってきたのだろうか。部屋の中にうずまいて、やがて形をともなって鳥の頭が現われた。カイハンだ。
「ずいぶんと不安そうな様子。叱られて怖じ気づきましたか」
からかい混じりに軽やかに言う男の声。猛禽類を模した石の頭はさらに姿を変えて、イマチと同じくらいの年頃の少年になって周りをゆったりと回って近づいてくる。
叱られたというのは、カヒイの都執政官である祖母のことだろう。神様の部下に等しい方々を使いっ走りにすることについていつになくお怒りだった。あんな祖母は初めて都から抜け出して遊んだ以来である。怒られたはずではあったが、なんとなく懐かしくも思えてしまった。
だからカイハンの言う叱られて怯んだり怖じ気づいたりはイマチに当てはまらない。珍しく予想を外したカイハンに、イマチは笑って答えた。
「不安はあるが、怖じ気づいてはいないぞ」
「それは失礼」
口先だけで謝って、カイハンはイマチの正面、すこし上に浮いたまま止まった。色白の肌に曙色の宝玉が二つ、興味深そうにこちらを見下ろしている。白銀の髪は整えられ、この飛んでいる姿を見れば人を惑わす精霊もかくやの美しい容姿だ。執政官の館に勤める者たちもこの姿には目を奪われる者だっている。
神様の手先みたいな役割をもつ、年の離れた友人。そうイマチは思っているが、カイハンから同意されたことはない。いつだって面白そうに笑って、「そうですか」と言うだけ。
カイハンが心を許しているのは、きっと彼の家族らしいズヤウという男ぐらいなのだろうとイマチは知っている。自分の身内疑惑のあるミレイスはよくわからない。ただ、人であるイマチとは違うのだな、と思う。
口には出さない。「心を開いて交流しよう」なんて言ったが最後、一切笑っていない作り物の瞳を細めて肯定とも否定ともつかない答えが返ってくるだけだ。イマチはそういうところで察しが良い子どもだった。
「なあカイ。ミレイスたちは、どうしたんだ?」
「ズヤウたちなら心配なく」
やはり、ぴしゃりと返された。一歩距離をつめようとすると、こうして言葉で線を引かれるのだ。とはいえ、巻き込んだのは自分である。イマチは気が重いながらも口を開いた。
「では、二の兄上たちは」
「今は恙なくお過ごしのようですよ。まあ、監視下のもと、とつきますけれど」
さらりと返したカイハンはなんでも知っているようなそぶりで話す。事実知っているのだろう。カイハンは魔法巧者だ。人外じみた恐るべき魔法を使ってあれこれと見通しができるようなのだ。
イマチの言う、二の兄上。第二王子一行がカヒイの都につい先日やってきた。イマチがミレイスへと頼んだとおりに会談をするために、カイハンの魔法で帰ってきたのである。
ただ、その中に頼んだ当人のミレイスや彼女に付き添ったズヤウの姿はなかった。ちらと聞いた情報では、魔物が現れ襲われたという。今のそっけない態度もからかう素振りも、カイハンが機嫌を損ねているからかもしれないと思えた。
「そうか。できるだけ早く、話せたら良いが……ばーちゃんのことは、知っているか?」
「テネスナイ閣下の謀なら、存じていますよ。実行について私に伺いがありましたからね。悪くはない提案でした。もっとも、ズヤウは怒っているでしょうが」
「だろうなあ。でも、俺は、反対したのだぞ。民がいたずらに巻き込まれたと聞いた」
「しかし一番効率的ではありましたよ? だからこそ、閣下は可愛い孫である貴方のために手を汚したんですから」
それは、知っている。
イマチが口に出して、水の国の王座を目指すと言うよりも前に、祖母がそのつもりだってことも。
何も知らず無邪気に遊ぶ子どもではいられない。王宮で過ごす内に、エスメラダの言葉に学んでいた。カイハンの言うことも、祖母がしたことも理解はしている。だが、簡単に受け入れられるかといえばまた別だ。
むすりと黙り込めば、カイハンは大仰に肩をすくめてみせた。
「イマチ殿下は、妙なところで繊細ですね。良心を捨てねば、心を冷やさねば、この先やっていけませんよ」
知った風な口をきくカイハンを睨めば、表情は妙に柔らかかった。
「貴方の甘さは武器でもある。殿下を助け、成長を見守ろうとする者は多い。それは羨ましくあります」
「……非情で怠惰な王は、父上で見飽きたから」
「ですが、甘く勤勉な王は先の先で折れかねません。その代はよくとも、後の代で禍根は残ります」
「どんな王朝だって、つねに禍根と共にあるんだろう? カイの授業で習った」
「そういうところ、殿下は優秀な生徒ですけれどねえ……私が言い足りない分も、殿下が自分で気づくことや周りの者に指摘されることもあるでしょうし。所詮、部外者の小言ですとも。どのみちこの先は、第二王子殿下にぼろくそに言われて落ち込む未来が見えますし」
「そうだろうか」
「火種を自ら呼び込んでおいて、なにを今更」
くつくつと笑うカイハンが、またゆっくりと宙を散歩するように回る。明るく、なんでもないように不安になるようなことを囁く。悪しき魔物の囁きもかくやだろう。わかってやっているところが、カイハンの意地悪なところだとイマチは浮かぶカイハンの姿を目で追った。
「いつか後悔をするでしょう。下手すれば、良いことよりも悪く苦しいことが多い生涯になるでしょう。それでもその選択を自分でしたことを、忘れてはいけませんよ」
「カイはいつも、難しく考えたように言うなあ」
「世の中は単純明快にはできていませんので」
「なあ、カイ」
もとより命の使い道は決まっている。
心の内で呟いて、言い返す。
「おれが、国をなんとかしたいって思ったことは、本当なのだ」
曙色の瞳が面白そうに煌めいた、気がした。
「ええ、わかりますとも。だから親切な私が助言をしているのですから」
「助言?」
「とっても労っていますよ?」
本当だろうか。カイハンの方を見れば、ひょうひょうとした態度で笑んでいる。
ただ、イマチの優れた第六感を信じるならば、嘘は言っていないのだと思えた。心配か、お節介か。どちらにせよ案じて言ってくれたことなのだろう。きっと。好意的に解釈をして、イマチはうなずいた。
「若い身空で、生涯刑罰を受けるような席に座る奇特な子ども相手ですので」
「……そう言ったって、やめたりしないぞ」
「わかっていますとも!」
カイハンは楽しそうに言う。
「あなたの治世はちょっとだけ興味がありますので。せいぜい長く務めてみせてくださいね」
そう言ったきり、カイハンは姿を消した。いたずらに頬を風が撫でて通り抜けていく。おそらくまた窓から出て行ったのだろう。
興味ということは期待されているということだろうか。わからないが、わざわざカイハンが口にしてくれるくらいだ。発破もあったのかもしれない。
息を長く吐いて目を閉じる。
カイハンが残した言葉が熾火のように心をくすぐった。
第二王子との会談らしき場面はそのうち追加します。そんなに暗くはならないはず。




