あなたは可愛い人 下
休息日。
らしくもなく天気がいいようにお祈りしてみたり、友人たちにそれとなく占いやおしゃれについても聞いてみたり。そんなことをして過ごしていたらあっという間だった。
なぜかナーナが今度デートをすることは丸わかりだったようで、当日はにこやかなモナによって見送られてしまった。
数日前には、テトスから『ジエマさんについては任せてほしい』という謎の伝言が部屋の魔法道具に送られてきた。
ナーナは思った以上に浮かれていたのかしら、と自省をこめて膝の上を見つめた。
がたん。
轍を作って車が進む。
魔法道具の乗合車は、休息日ともあって人が多い。その分、隣の距離も近くてナーナは静かに呼吸をしながら車窓へと視線を動かす。
がたん。
また揺れる。
当たった肩は、ナーナよりも少し高い位置。そのまま、勢いによせて少しだけ頭を傾けてみる。わずかに相手の肩が跳ねた。
そして相手に近い手が、触れて緩く重なった。
始まったそばから、どうにかなってしまいそうだった。
ナーナは視線を窓の外に向けたまま、気づかないフリをして必死で目を閉じた。
橋の街、アストゥユポンス。
いつ来ても賑やかなこの街は、ナーナも学園に編入してから何度も訪れている。
それなのに、今日この日のこの街がここまで新鮮な気がするのは、隣にいるヨランのせいなのだろう。そう、ナーナは独りごちた。
事実、特別に楽しいと思えた。
互いが楽しいと思える場所の選択も、会話もその間の雰囲気もぜんぶ。
ナーナにとって始めてなのに、妙になじみ深くて、それでいて退屈しなかった。相性というものがあるのなら、きっと良いのだと思わずにはいられないくらい。
「……――そういえば、ナーナティカ。前に言っていた魔法なんですが」
充実した時間を過ごして、あとは帰るだけ。
停留所の待合で、ヨランはそう切り出した。
「せっかくの機会だから、話しておきます。まだ、時間は大丈夫ですか」
「前に言っていた魔法って、なんの……あ、足の?」
「はい、それです」
ナーナは一も二もなく頷いた。
ヨランの家に伝わるらしい、水中を自在に泳げるヒレができる魔法のことだ。
人魚の末裔である家系だから使える魔法なのか、思い返しナーナが使ってみてもうまく再現ができなかった。それを扱う要因がわかる機会である。
「学園の湖畔沿いに行きませんか。静かですし」
「湖畔沿いっていうとコウサミュステ寮の近くよね?」
「はい。寮近くに、雰囲気のいい場所があって。水がきれいで、期間限定で遊泳もできるんです」
「休憩所があるのは知っていたけど、そんなところがあるのね」
ナーナが知らない学園の情報に感心していると、ヨランは小さく笑った。
「カラルミス寮の地下施設みたいなものです」
「他寮生利用のないところじゃない。ヨラン、あなたもティトテゥスみたいなこと言って」
「他に知られていないから使われてないってだけですよ。自寮生の利用もほとんどないので、快適に過ごせます」
テトスに付き合わされて影響を受けている気がしてならない。ナーナの物言いたげな視線を受け取るヨランの背後に、気取ったテトスの姿が見えるようだ。
(でも、魔法は気になる。せっかく見せてくれるなら見たいわ。それに、ヨランが自分のことを教えてくれるのも嬉しいし)
ナーナは少し考えて、ヨランの提案を受け入れた。
すると、ヨランの表情が嬉しそうに緩んだ。ナーナは変に唸りそうになってしまった。胸がきゅうと鳴りそうだ。
(おんなじ男性でも、お義父様やティトテゥスと全然違うもの……! モナもこういう気持ちになるのかしら)
婚約者がいる友人を思い浮かべてみる。モナは幼いころから知り合っているから慣れたものなのかもしれない。
同時にテトスの「恋も知らぬ哀れな妹よ」という余計な記憶まで思い出してしまって、ナーナは頭を振った。
(うるさいわねティトテゥス。今なら私もわかるわよ。恋は、恋は……)
ヨランを盗み見て、ナーナはなんだかたまらなくなってうつむいた。
意識一つで、相手がとんでもなく魅力的で輝いて見える。本当にままならない。
(そう! すごい。すごいのよ)
だんだん訳が分からなくなりはじめた思考で、ナーナは脳内のテトスへ向かって魔法を放っておいた。その影響が現実に起きたかもしれないが、ナーナは今それどころではない。
車窓から射す日の光を受けて、眩しそうに目をすぼめるのでさえキラキラして見える。
思わず、魅了かそういう類の魔法構築式が、どこかに潜んでいるのではと探ったくらいだ。何もなかった。
「あ。そろそろ着きますよ」
くらくらとした心地を味わいながら、目的地までナーナは後をついていくばかりだった。
ヨランが案内したところは、たしかに人はいなかった。
かわりに人工物も何もない。というより、まるっきり自然のなかだった。
かろうじて日よけの代わりになる、木々の葉が天井に広がっている。一見しても休憩所には見えないし、腰が落ち着ける場所にはナーナには思えなかった。
囲うように木々と草地に囲まれ、前方へ数歩進めば静かな湖畔が広がっている。遠くにコウサミュステ寮が見えた。
よく利用しているのか、ヨランは慣れた様子で周りの木の枝に荷物を掛けはじめた。
「良ければ、人よけの魔法をお願いしてもいいですか。見られるのは注意したくて」
「あっ、ええ。もちろん」
いくら中立的な立場の学園だとはいえ、国の純人主義的な考えに傾倒する者はいる。ヨランの人魚の姿を連想させる魔法は見られては立場を危うくするだろう。
ナーナはすぐに人払いと目くらましの魔法をかけた。
「ええと、あとは」
立ち並ぶ木の幹に触れて、ヨランが何かを探っている。その先にはコウサミュステ寮の紋章が彫られていた。
ついで、寮の合言葉をヨランは口にする。
すると、音もなく木々がうねって空間を広げ、円形の長椅子に丸机が現れた。
「……こんなところが」
「ナーナティカ、どうぞ」
促されて、ナーナが腰を下ろす。椅子の背がないので、くるりと向きを変えれば湖畔を眺めながら過ごすこともできる。
(言った通り、良い場所だわ)
感心を覚えていると、その隣にヨランが腰かけた。
「本当は水中のほうがうまくいくんですけど……」
それから、ヨランは足を伸ばした。早速見せてくれるのだと、ナーナが視線を向ける。
ヨランの手先が膝から下へ触れていくと、みるみるうちに服ごとヒレの付いた足に変わった。ヨランの髪色を薄く明るくした、美しい青緑の足だ。
鱗というより分厚い皮膚が広がっているように見える。
(人魚というから魚の鱗が浮かぶけど、これは……人間の皮膚をもっと丈夫にした感じかしら。つるつるしてそう)
それにしても学生服のズボンと一体化するヒレ足は見事と言わざるを得ない。そうナーナは思った。
まじまじと上半身を屈めて見てしまう。
「ねえ。これは媒介道具は……ないわね。レラレ家に伝わるのだとしたら、一族でないと無理ってことかしら。それに、魔法の行使に言葉なく使えるのは相当な練度か相性がいるはず。私が使うには、血も相性も必要になるわ」
未知の魔法。それも脅威がなく、ナーナの好奇心を満たすものは素晴らしい。
目を輝かせてナーナは「すごいわ」と呟いた。
「街で遊ぶより、こっちのほうが喜びそうだなあとは思ってました」
「えっ、そんなことは……そうかしら。街のときもすごく楽しかったのは本当よ」
ヨランに言われて、慌ててナーナは言い返す。体を起こして見上げれば、曖昧に笑うヨランの顔があった。
「露店の買い物も参考になったし、写本屋もいいのを見つけられたし。魔法道具もゆっくり見られたし」
「わかってます。楽しそうじゃなかったら、困ります。そのために選んだんですから。色んな様子が見れてこっちも楽しかったです」
気を悪くしたわけではなかった。ナーナはそのことに思った以上にほっとしてしまった。
そのことがなんだか無性に嬉しくて、気が緩んだのかもしれない。距離を詰めて、同じようにヨランの足の横に並ばせるように片足を上げてみた。
「ねえ、ヨラン。コツとかある?」
「コツっていうものは、とくに。小さいころから家の者は出来て当然だったので」
「見てもいい? あと、触っても」
「……まあ、はい」
わずかに間が空いたが、ヨランの許可に甘えてナーナは遠慮なく指先で触れた。
魔法構築式をのぞく目でもって、何がその足にかかっているかを映し出す。
(やっぱり人の皮膚と違うのね。ひんやりしてつるつるしてる。≪回帰≫と≪抵抗緩和≫と≪同化≫、他にもあるけれどそう複雑じゃない。血筋が媒介となるからかしら)
試しにナーナも同様にかけてみるが、足の形は変わらない。単純に空気抵抗の少ない、泳ぐのに良さそうな状態が付与されただけだった。
足の感触も比べて見ても、やっぱり違う。ナーナは一息ついて姿勢を戻した。
「レラレ家なら誰でもできるの?」
「少なくとも僕の知る範囲なら、おそらく」
ナーナはそのまま足をふらつかせて、魔法を解く。ヨランも数度足を振って元の足へと戻す。
「じゃあ、私も同じようにその魔法を使うことはできないのね。ちょっと残念」
「それは、絶対できない……わけは、なくも」
ヨランがもごもごと言葉を濁した。
しかし、できなくはないという可能性の言葉をナーナは聞き逃さなかった。
「できるの? 変化の魔法って難しいでしょう。とびきりの媒介具がいるとか? それとも薬かしら」
「あっ、ああ……ええと、まあ、確かに難しいかもしれないけど、ナーナティカなら出来そうでは」
「あら、実力を買ってくれるのね。ありがとう、ヨラン。それで、私なら出来そうって? どうするの」
「なりたいんですか? 人魚に」
「なりたいというか、知りたいわ。ヨランと同じことをやってみるのも素敵だと思うし。駄目?」
ナーナが聞けば、ヨランは押し黙った。心なしか距離を取られた。
どうしたのかと体を向ければ、ゆっくり肩に手を置かれた。
「ナーナティカ。どのくらい、そうなりたいですか」
「えっ、準備は?」
「心の準備くらいでいいです。じゃあ、五つ数える程度でいいですか」
「それは別にかまわないけれど。なに、どうしたの」
「ナーナティカが分析したでしょう。一族であれば、使えるんです。だから、混ぜます」
「混ぜる……」
(一族。混ぜる。血か何かがあれば使えるってことだから……まぜ……)
思い至ってしまった。
ナーナは途端、体を強張らせて赤い瞳と見合った。
こぶし一つ分くらいの近い距離だ。ともすれば互いの呼吸音までわかりそうなくらい。
「やめますか」
唇をつぐんでいなければ、情けない声をあげていたに違いない。ナーナは返事を律儀に待つヨランをただ見返した。
抑えられた手から伝わる熱さ。
赤らんだ頬。
眼差しは、縋っているような気さえする。ものすごく照れているとわかるのに、ナーナを見る温度が好意を間違いなく伝えてくれている。そう感じた。
「……いいの?」
本当にヨランはいいのか。
そういう気持ちを込めて小さく問いかければ、ヨランは眉をひそめて顔を寄せた。
まだ全然、心の準備も何もできていない。
ナーナがヨランの名前を呼ぼうとしたが、もうそんな余裕もなかった。
触れた感触は、あっけなかった。
それからすぐに離れる。
ぎゅっと反射でつぶった目を、ナーナが恐る恐る開ける。
これで終わったのかと思えば、また重なった。
「開けて」
何をだ。
真っ白になりそうな頭で、とにかく息をしなければと唇を開ける。
さらに塞がれた。
もはや何がなんだかわからなかった。
ぼやけそうになる視界で、同じように熱っぽくこちらを伺うヨランが映る。
五つ数えるだけなのか。それ以上なのか。まったくどちらも考えつかないまま、やがて離れていく相手の口をナーナはぼうっと見た。
「……ナーナティカ。今なら、できると思いますよ」
唇をヨランの指先にぬぐわれて、やっと我にかえれた。
我にかえれば、魔法への好奇心よりも羞恥が勝った。
「あの。もっと、必要なら」
「いっ、今は、今はいいです!」
咄嗟に言って、ナーナは慌てて魔法を使った。
わずかに青いヒレがうっすら現れた。効果は確かにあったらしい。
だがナーナはそれどころではない。
(あああ頭! 頭、冷やさないと! 爆発しそう!)
すっくと立ち上がり、ナーナは前方に見える湖畔へと足を踏み出そうとした。
「ま、待って! ナーナティカ」
だが、止められた。
右手を取られて引っ張られた。たたらを踏んで、ナーナの体が止まる。
「待ってください。嫌だったなら、謝りますから」
しおらしい言葉に、ナーナは振り返った。
「調子にのったつもりはなくて。思わずで……あ、ちが、そうじゃなくて、逃げないでほしくて」
赤さが残った顔で、焦ったようにヨランが続ける。
「だって、あんなの耐えられるわけ……!」
腕を握る手がわずかに震えている。ナーナは体の力を抜いて、まじまじとヨランのほうを見た。
「余裕そうにみえたけど、違うの」
「余裕なわけないじゃないですか」
真っ赤な顔で言われた。
「見たらわかるでしょう。馬鹿みたいに必死です。責任取ってください」
「責任って……ヨランが、言っちゃうの」
「ナーナティカにする責任は負いますけど、僕にした責任はナーナティカがとってください」
腕を引かれる。
大人しくヨランの傍にナーナが寄る。
「この先、ずっといるんですから。こうなることは、どうか、許してください」
ナーナはぎゅうと胸が苦しくなった。
先ほどから、ずっと体はふわふわするし頭はぼうっとしてうだるようだった。それでも、ヨランに返すべき言葉と態度はわかった。
「許すも何も、ヨランならいいわよ」
もう一歩進んで、ナーナは自分の腕を取るヨランの腕にもう片手を添えた。
「これからずっといてくれる保証を、ありがとう」
ナーナの体に腕が回る。
同じ背丈でも、やはり違う。骨ばった成長途中の体はしっかりしている。それがどれほど頼もしく思えただろう。
気恥ずかしさはあっても、幸せな心地を強く感じる。
じんわりと伝わる暖かさに抱かれて、ナーナは目をうっとりと閉じた。
後日。
見事に風邪を引いて医務室に閉じこめられたナーナに、こっそり会いに来たヨランの姿があったのだった。




