あなたは可愛い人 中
「早かったな。で、どうだった?」
壁にもたれていたテトスに聞かれて、ナーナは目を瞬かせてあたりを見回した。
いつの間にか、ナーナたちは学園棟の入り口廊下に立っていた。隣には呆然としたヨランもいる。
後ろを見たが、何もない。先ほどまで居た部屋の痕跡も見つけることができなかった。
まだヨランと繋いだままだった手を放して、ナーナは乱れた髪を直しながら返事をした。
「どうと言われても。そうね、すごい技術だったわ。ね、ヨラン」
「はあ……あの、ナーナティカ」
「出された課題はすごく簡単だったから、達成した瞬間を観察できなかったのは残念だったかしら」
「ナーナティカ」
ヨランが繰り返してナーナを呼ぶ。
ナーナが振り向けば、据わった目つきで見られていた。耳や目じりはほんのり赤く色づいているのに、表情は苦虫をかみつぶしたようなものだった。
横目で見えたテトスが眉をひそめている。馬鹿にされているとだけはわかったので、ナーナが見返そうとすると、それを遮るように手を絡めとられた。
ナーナとは違う、しなやかだがちゃんとした男の子の手だ。
どうしたのかとヨランのほうを向くと、一息にヨランは言った。
「あとで話があります。ちょっと、確認をしたいので」
「確認? 今でも」
「いいえ、あとで。ゆっくり」
握られた手を、一度、二度、強く握りなおされる。
「いいですか」
やけに言葉の圧がある。
(えっ、何か、怒らせちゃった? 夢中になって見てたのが駄目だった? それか、えっと、何かしら)
おろおろとヨランを見る。それでもわからなくて、ナーナは同じ男ならわかるのかとテトスを見た。テトスは呆れた様子を隠すまでもなく言い放った。
「ナーナ、お前が悪い。そんなことより、部屋の仕組みや活性化の条件はなんだった」
期待してはいなかったが、助けはなかった。
ヨランも口を引き結んでいる。そして手はちっとも離れる様子もない。
幸いだったのは、人通りが多かったために誰も彼もナーナたちを気にしていないことだろうか。
それでも、誰かに聞かれて面白おかしく吹聴されてはかなわない。そう考えるところは双子で共通したのかもしれない。
ナーナが口を出すまでもなく、テトスが手で示した場所へ三人で移動した。
人気がないことを確認して一通り話し終えると、用は終わったとばかりにテトスは片手を上げて言った。
「なるほど。入る条件さえわかればあとはいい。参考になった。じゃあな」
そう言うなり、さっさと身をひるがえして帰っていった。
(相変わらず、勝手ですこと)
あっという間にいなくなったテトスの背を見送れば、あとはナーナとヨランがその場に残るばかりだ。
ナーナはまだ繋いだままの手を見下ろして、そろりとその手の先を見上げた。
ヨランの沈黙が、恐ろしい。
「あの、ヨラン」
「はい。話をしましょうか」
(お、怒って……いる? いないわよね。でもちょっと機嫌は悪そう?)
ヨランは商家の息子というわりに、表情はわかりやすいほうだ。
親しい間柄だからだろうか、そうだとするなら特権なのかもしれない。ナーナがうかがっていると、中性的な整った顔立ちはわずかに柔らかな印象に変わった。
「ナーナティカが、僕を好ましく思ってくれてることは疑ってません」
「えっ、あ、うん。そうね」
唐突に言われて、ナーナは面食らいながらうなずいた。
「だからあの部屋に入れたし、すぐに出れた。それは理解しています」
こくこくとナーナもうなずく。その通りだからだ。
ヨランは、唇に笑みを作ったまま、柔らかな声音で言った。
「この際、僕がナーナティカを可愛いと思っていることが知られてるのはいいんです」
「ええと、それは、ありがとう?」
「事実ですし、別に。けど、ナーナティカ?」
「はい」
にこ、と小さく微笑んでヨランはナーナの手を両手で挟んで握った。
「もしかしなくても、常日頃、僕はあなたに可愛いって思われてます?」
「あっ」
思わず声が出た。
(それが原因だったのね!)
ナーナは合点がいった。
年頃の少年に、それも恋人に向かって可愛いなんて、嬉しいことではなかったのだ。
(でも、本当のことだし……それこそ嘘じゃないわ)
事実、ヨランは可愛い。
ナーナは間違いなくそう思っている。
容姿も中性的でまだ青年になりかけのところも可愛いと思うし、一生懸命背伸びしてナーナたちに追いつこうと頑張っているところも可愛いと思っている。ナーナ自慢の可愛い年下の恋人なのだ。
この件に関して気にしている姿一つとってもそうだ。
先ほどまでの落ち着かない気持ちはどこへやら。ナーナはヨランに向かって言った。
「ヨラン。可愛いわ」
ナーナが言えば、ヨランはため息を一つ吐いた。
「……また言う」
「だって、そういうところが私は好きだもの」
ぴくりとヨランの手先が動いた。
赤い瞳が瞬いて、じわじわとその色が広がるみたいに目じりから頬が染まっていく。
(やっぱり、可愛い)
じ、と見入ってしまう。だがそれは、ヨランが我に返ったみたいに軽く頭を降ったことで止められた。
「それは、嬉しくは……なくはないんですけど……そうじゃないというか」
「私より、ヨランのほうが可愛いくらいだもの」
手をおろし、居住まいを直して、ヨランはナーナをじっと見た。
赤い瞳としっかり見合う。ぱちぱちと目を瞬かせて見返せば、小さく息を吐かれてしまった。
「ナーナティカ」
「はい」
おもむろに名前を呼ばれて、ナーナが返事をする。
「僕よりも。あなたのほうが、可愛い」
「あの」
「本当に、あなたのほうが、可愛いんです。僕にとって、あなたは」
「わ、わかったから」
「ずっと可愛い人だ」
一息に言われた言葉がしんとした空間に響く。
思った以上に耳に残る声音は、ひどく甘ったるく耳朶を打った。
遅れて、触れ合う指先から熱さが移ってくる。
ナーナは徐々に赤くなった顔で、ヨランを見返した。
ヨランも、さらに耳を赤くさせている。それでも視線は逸らさず、うつむきそうになるナーナを捉えている。
(恥ずかしいのに、逸らせない……!? あああ、なんで。なんなの、これ)
ぐるぐると恥ずかしさがこみ上げて、考えもまとまらない。恋とは不思議だ。
いつもなら普通に考えられることも、冷静さもあっという間になくなるのだから。
互いに沈黙することしばらく。
ヨランは意を決したように声をかけた。
「今度の休息日。空いていたら、時間をください」
「えっ、あっ、ええ。大丈夫、空いているわ」
「じゃあ、橋の街に。停留所で待ち合わせがいいか……あと、友人の付き添いは、なしで」
「何か買い物をするの?」
「してもいいです。ただ、一緒に出かける時間を作りたいので。いいですか」
「それって」
ナーナの脳裏に、「デート」の文字がでかでかと明滅した。
デートだ。間違いなく、二人きりのお出かけ。恋人と一緒に過ごす時間。まごうことなき、デートだ。
以前、ジエマのお願いで出かけたこともあったが、そんなものとは違うどきどきとした心地が襲ってくる。
あまりに意識する姿を見せるのもどうかと思うのに、ナーナは懸命に動揺をこらえてうなずくばかりしかできなかった。
ヨランも緊張していたのだろう。
ナーナの様子に、ほ、とゆっくり息を吐いた。
「良かった。では、今度の休息日に。時間は、ナーナティカはいつがいいですか」
咄嗟にいつでも、と応えそうになって飲み込む。
朝からずっと一緒を想像して、果たして自分は大丈夫なのかと思えてしまったからだ。間違いなく変な行動をしかねない。だって、今だってこうなのだ。
ナーナが考え込んでいると、ヨランはそっと言った。
「そんなに気負わなくていいですよ。最初ですから」
「最初……?」
「最初ですよ。一回きりなわけないでしょう」
「それは、そうね?」
「次も、その次も。何度でも付き合います。だから、変に気にしないでください」
気遣いからの言葉なのか。今後もあって当然と思っているのがそのまま出てきているのか。
判断しかねるが、その言葉でナーナの気が少し晴れたのは間違いない。
ナーナはたずねられるがまま、時間の約束をした。
そのまま和やかに会話に移って、いつも通り、図書館で過ごしてその日は別れたのだった。
*
ナーナと別れたそのあと。ヨランは寮の自室で小さくこぶしを握り締めていた。
(……よし。うん、大丈夫。この際、可愛いと思われていることは置いておこう)
そんなことより大事な用事ができた。
デートである。
ちゃんと、ヨランから誘って、お互いその認識をもって行うデートだ。姉のジエマが強制してきたあのデートもどきとはわけが違う。
そわそわと意味もなく自分のスペースの片づけをしながら、ヨランは何をしようかと考えを巡らせた。
(可愛いかったな……本当、僕なんかよりずっと。まわり、節穴だらけでよかった)
ナーナの故郷の奴らが、ナーナに目をつけなかったのはヨランにとって幸いだった。あれほどの才媛で魅力的な相手はいない。
ヨランは、恋に浮かれているため多少の美化をしているのだが、誰も指摘する者はいない。しみじみと先ほどまでのナーナの姿を浮かべて、ヨランは溜息をついた。
(かわいかったなあ……)
一つ二つの年の違いがなんだというのか。
ヨランから見た年上の彼女は、恋愛感情に慣れてなくて、真面目で、こちらに応えてくれようとしてくれる。
魔法に目がなくたって、ヨランを巻き込んで夢中になったって、そんな姿も込みで好意を持ったのだ。あとで気づいて伺うようにこっちを見てくるのも、好きだ。
(何しよう。写本と魔法道具の店は多分喜ぶだろうし、買ったならすぐ見たいかもしれないから……静かなところで)
まだ始まってもいないのに、次から次へと自分に都合のいい展開ばかり浮かんでくる。
「はあ」
幸せでも溜息は出るらしい。
新たな学びを経て、ヨランは視線を上げた。
いつの間にか、部屋はきっちり綺麗に整えられていた。




