第3話 魔改造された奴隷紋
「主様? あの、わたしの顔に何かついていますか……?」
ルナが不思議そうに自分の頬を両手で触りながら、小首をかしげた。
俺は額の汗を拭いながら、目の前に表示されている半透明のステータスプレートを二度見、三度見した。
「いや、なんでもない……。なんでもないんだが、ちょっと確認させてくれ。ルナ、自分のステータスって見られるか?」
「はい。所有権が移ったので、主様の許可があれば表示できます。ええと……【ステータス・オープン】」
ルナが小さく唱えると、彼女の前にも光のプレートが現れた。
それを見た瞬間、ルナの犬耳がピクンと直立し、丸い目が限界まで見開かれた。
「ふぇっ……!? な、なんですかこれ! 攻撃力と体力が、ありえない数字になっています……!」
「やっぱり見間違いじゃないよな……。ルナ、元のステータスはどのくらいだった?」
「ええと、レベルは十五でしたけど、攻撃力は百二十でした。それが……千三百二十って、十倍以上になっています! 魔力も十倍です……! これ、壊れているんでしょうか!?」
慌てふためくルナを落ち着かせながら、俺は脳内でスキルの数式を組み立て直した。
(なるほど、こういうことか……)
俺の『付与魔術』は乗算バフだ。本来、一時的に十パーセント程度の強化を行う魔法だが、契約魔改造によって奴隷紋の「パス」そのものをバフ仕様に書き換えた。
結果、一時的な魔法効果ではなく「常時接続のパッシブスキル」として機能するようになり、さらにパスを通る魔力がループすることで乗算が重なり、システムがバグを起こして十倍(千パーセント)の数値が固定化されたのだ。
「壊れてないよ。これが、俺の『契約魔改造』の効果だ。ルナ、ちょっと身体を動かしてみてくれるか。アパートの裏にある共有の空き地に行こう」
「は、はい……!」
まだ自分の身体の変化に戸惑っているルナを連れ、俺はアパートの裏手にある狭い空き地へと向かった。
朝の澄んだ空気の中、ルナが息を吸い込み、軽くその場で跳躍した。
「あ――」
ルナが軽く地面を蹴った瞬間、彼女の身体が文字通り「消えた」。
次の瞬間、彼女はアパートの二階の高さまで一瞬で跳び上がり、空中で一回転して、無音で着地した。
「つ、強すぎます……! まるで足元に爆発の風が吹いたみたいに、身体が軽くて……!」
「今度は、その辺に落ちている木の枝を、あそこの木箱に向かって振ってみてくれ」
「わかりました!」
ルナは落ちていた太い枯れ枝を拾い上げ、数メートル先にある壊れた木箱に向けて、軽く一振りした。
鋭い風切り音。
ただの枯れ枝から放たれた目に見えない空気の刃が、木箱を縦一文字に綺麗に両断した。切断面はまるで鋭利な名刀で斬られたかのように滑らかだった。
「うそ……木の枝なのに……」
ルナ自身が自分の手元を見て呆然としている。
「完璧だ。ルナ、君は本来持っていた剣士としての才能を、俺のバフで十倍以上に引き出されている。これなら低難度ダンジョンの魔物なんて敵じゃない」
「主様……本当に、わたしをこんなに強くしてくださったのですね」
ルナは枯れ枝を落とし、ぎゅっと自分の胸元を抱きしめた。
「前衛用なのに使えないと殴られ、捨てられて、もう二度と戦えないと思っていました。でも、主様がわたしを『戦士』に戻してくれた……」
「戻しただけじゃない。君はこれから、世界で一番強い剣士になれる。ルナ、俺を信じてついてきてくれるか?」
「はい! 主様の剣として、どこまでも!」
ルナのうつむいていた顔が上がり、そこには力強い、戦士としての光が満ちていた。
俺はアパートの部屋に戻り、ベッドの下から古い錆びかけた鉄のショートソードを取り出した。
「これしかなくて申し訳ないんだが、君の武器だ。俺がいつも手入れをしていたから、刃毀れはしていない。俺の付与魔術を乗せておいたから、少しはマシな威力になるはずだ」
「主様の手垢がついた剣……! ありがとうございます、大切にします!」
ルナは嬉しそうに両手でショートソードを受け取り、大事そうに胸に抱きしめた。手垢がついた、というのは語弊があるが、喜んでくれているなら何よりだ。
「よし、それじゃあ出発しよう。王都の冒険者ギルドへ行く」
俺たちはアパートを出て、朝の光に包まれた王都の大通りを歩き、冒険者ギルドの中央支部へと向かった。
重厚な石造りのギルドの扉を開けると、中にはすでに多くの冒険者たちが集まっていた。
受付へと歩みを進める俺たちの背後から、不意に下卑た笑い声が聞こえてきた。
「おいおい、見ろよ。あれって、昨日『金色の獅子』をクビになった無能付与術師のアルスじゃねえか?」
「本当にクビにされたんだな。しかも、隣にいるのは何だ? 薄汚い獣人の奴隷を連れてるぞ」
「あはは! 無能が仲間を見つけられなくて、死にかけの奴隷を買い取ったのかよ! お似合いのゴミ同士だな!」
声の主は、かつてレオたちの腰巾着をしていた中堅パーティーの冒険者たちだった。
彼らの嘲笑がギルド内に響き渡る。
ルナの耳がぴくぴくと怒りに震え、ショートソードの柄を握る手にぐっと力がこめられた。周囲の空気が、急激に冷え込んでいく。
「ルナ、よせ」
俺は静かに彼女の手の上に自分の手を重ね、首を振った。
「しかし、主様……! あいつら、主様を……!」
「いいんだ。俺たちの目的は、今日の飯代を稼ぐことだ。あんな奴らに構っている暇はない」
俺は受付のボードから、最も簡単な『Fランク:下水道の大ネズミ駆除』の依頼書を引き剥がし、カウンターへと持っていった。
だが、すれ違いざまに冒険者の一人が、わざとらしく足を投げ出してきた。
俺を転ばせようという幼稚な嫌がらせだ。
その瞬間、俺の横を歩いていたルナの瞳が、獣特有の縦長の細いスリットへと変化した。彼女の全身から、物理的な風を伴うほどの凄まじい「殺気」が解き放たれた。
「――ひっ!?」
足を差し出していた男が、悲鳴を上げて椅子ごと後ろにひっくり返った。他の冒険者たちも、何が起きたか分からず息を呑んで立ちすくんでいる。
ルナは無表情のまま、俺の後ろを静かについて歩く。
俺は冷や汗を流しながら、依頼書の登録を済ませるために受付嬢へと笑顔を向けた。
これから行く下水道のネズミたちが、少しだけ可哀想に思えてきた。




