連なる孤独(10)
「光琉はどうして欲しい?」
小麦は囁くような声で言った。光琉の目が泳ぐ。
「本当は…ずっと辛かったです。でも…。」
光琉は小麦を引き剥がした。
「お気持ちはありがたいですが、僕は弱みを晒すわけにいかないのです。日記のことはなかったことにして、今まで通り接して下さいませんか。それが僕の望みです。」
光琉の白い髪が風でたなびいて、赤い目には僅かに眉根を寄せた小麦の姿が映りこんでいる。小麦は視線を逸らし、狼の姿に戻った。
「光琉が選んだことなら、それもよかろう。気が変わったらいつでも言えよ。」
「…すみません。でも、嬉しかったですよ。」
小麦は笑うように口角を上げた。光琉が背に乗りやすいように屈んだ。光琉がしがみつくのを確認すると、振動が少ないように早歩きで進み始めた。
二十年経っても、小麦に外見上の変化は殆どない。そうは言っても、永遠に不変なヴァンパイアと違い、ウェアウルフは人間よりは長生きするだけだ。寿命もあれば、老化もする。そのうち小麦だって結婚して次世代を育てていくことだろう。光琉は小麦の成長を思って、嬉しくもあったが、寂しさと焦燥感に駆られてもいた。
「大きくなられましたね。」
「それは皮肉か?」
小麦は唸るように言った。光琉は微笑んだ。
「いいえ。本当にそう思います。」
小麦は少し速度を上げた。人の臭いを嗅ぎ分けて、見つからないように回り道する。
山神家では、正と若葉が治療の用意と食事の支度をしていた。
「その傷は治るまで一月はかかるのではないか?当分は正と若葉に世話を焼いてもらわねばなるまい。」
小麦は言った。光琉は暫く痣だらけの脚を見ていたが、意を決して言った。
「瞬時に治せますよ。涙石をお貸し下されば。」
小麦は服を着終えると、すぐに涙石を取ってきた。光琉は左耳に涙石を着けると、深呼吸した。
「お手数ですが、僕の脚の上に冷蔵庫でも投げ落として下さい。」
「光琉、そんなことをしたら…。」
若葉が言い掛けるが、小麦が遮った。
「分かった。」
今度は正が小麦の行く手を阻んだ。
「退け。」
正は溜息を吐いた。
「私が致しましょう。」
正は冷蔵庫を持ってきて、高く持ち上げた。光琉の脚が砕ける音と、血飛沫が鮮やかに広がった。冷蔵庫をどかしてみると、光琉の脚は綺麗に元通りになっている。
「ありがとう…ございました。」
光琉は荒い息遣いで言った。そのまま立ち上がった。問題ないようだ。
「片付けは僕が。」
光琉は雑巾を取りに向かった。
「これを渡そう。誘拐犯の一人の車内にあったそうだ。光琉のバッグだろう。」
正が差し出したのは、くたびれた茶色のショルダーバッグだった。
「ありがとうございます。」
光琉は中身を確認した。財布、スマホ、拳銃、弾丸、全てが入っている。
「その銃はこれからも持っているつもりか?」
小麦は光琉に尋ねる。光琉は拳銃を持って眺めながら言った。
「ええ。護身用に。いけませんか?」
「いや、構わん。」
小麦の表情は分からなかった。
光琉はスマホを弄った。連絡先に目を止める。『真白様の姉』の文字だ。光琉は自嘲気味に笑うと、何やら打ち込んで雑巾をかけ始めた。スマホには『小麦様』と書いてあった。
実は光琉はヒロイン枠でした。小麦様から見た光琉の印象ががらりと変わり、小麦様が光琉に関心を示し始めます。二十年もかかってようやく小麦様は光琉に興味が湧いてきました。遅すぎます。人外の時間感覚からしても小麦様は変わり者です。それに輪をかけた変人が光琉です。このくらいで光琉は心を開きません。光琉にとって、小麦様は(真白様の姉君だから)自分が死なないような状況なら助けるくらいの存在で、小麦様にとっての光琉は気が向いたら助ける存在です。




