檻の狼と尋ね人(1)
「小麦様、お腹が空きました。」
「そう言えば、もうそんな時期か。良いだろう。」
小麦は読んでいた漫画を閉じ、洗面所に向かった。光琉も後ろから付いて行く。小麦は洗面台の上に仰向けになる形で身体を倒し、着物を鎖骨が見えるまではだけた。首を右に傾ける。
「いただきます。」
光琉は左手を小麦の後頭部に回し、小麦の首の左側に口を近付けた。小麦の表情が一瞬歪む。洗面台が赤らむ。
「う…。痛い。この下手くそが。もっと優しくしろといつも言っているだろう。」
小麦は口元を押さえて声を我慢する。光琉はクスクスと笑った。
「何がおかしい。」
光琉は小麦の耳元で囁く。
「可愛らしい反応だと思って。わざと言っているならもっと面白いのですが。」
小麦は背筋がざわつくのを感じた。光琉は起き上がり、小麦を起こした。小麦は眩暈がして座り込む。
「御馳走様でした。今、傷の手当てをしますね。」
「私の身体に牙を突き立てられるのはお前くらいのものだぞ。無礼者め。偶には人間の血を呑んでみてはどうだ。」
光琉は手当てをしながら答える。
「無理ですよ。小麦様の野菜嫌いとは訳が違うのです。何人も試しましたが、本当に吐いてしまうのですから。」
「もし、私が死んだらどうする。」
「小麦様、長生きして下さいね。」
光琉は笑った。小麦は唸る。
「なあ、正からよく分からないメールが届いたのだが。」
光琉は小麦からスマホを取り上げる。
「この間一緒に観た映画の主人公のように忙しい日々を送っています?回りくどい言い方ですね。正さんらしくもない。どんな映画だったか覚えていますか?」
小麦は悩む。
「最後に正と映画を観たのはいつだったか…。半年前のミステリーだったかな。」
「その時に正さんはいらっしゃいませんでしたよ。別の側近の方がご一緒していましたよね。ほら、茶髪にセミロングの髪の女性です。そうだ。確か去年ですよ。主演の役者が真様に似ていると言っていたでしょう。」
光琉は口を挟む。小麦は頷く。
「そうだったな。去年の暮れだ。主人公は殺人犯で警察から逃げていた。」
光琉と小麦は顔を見合わせる。
「と言うことは…。」
「正は警察に追われている。ウェアウルフだとバレたに違いない。」
小麦はガラスのコップを握り潰した。派手な音が響く。小麦は立ち上がった。
「…小麦様、『人間に正体を悟られた者を庇ってはならない』という不文律のことはお忘れでないと思います。正さんは、小麦様に助けてほしいという意味で連絡している訳ではないでしょう。」
小麦は一番良い着物を引っ張り出して着替えようとしていた。
「構うものか。警視庁に行くぞ。」
小麦は一度決めたことを翻さない。光琉は諦めて義手を上着に通そうとし始めた。




