第24話 ネコ撫で沼
目が覚めると朝だった。ベットから起き上がり、昨日のことを思い出す。
そういえば寝落ちしそうなのを我慢して、ひたすら限界までフロウの頭を撫でていたんだっけ。
撫でていた人差し指を見る。どうやら指紋が削れているようで、指の腹がピカピカと光沢を帯びていた。
あのひと時が至福だったとはいえ、正直やり過ぎだったと思わなくもない。
撫でるのに夢中になって、腕立てや腹筋といった基礎メニューをこなせなかったからな。コネクトとグラビティは維持していたが……。
そこでハッとしてステータス表示を呼び出した。ずらっと並ぶ項目から真っ先に目をやるのはMP表示だ。
MP 1900/1900
あ、あれ……減ってない?
コネクト二本とグラビティは……維持したまま? ありゃ、解除しないで寝ちゃったのか。
そうなると、解除してないのにMPが回復してるってことは、思ったより早く熟練度が上がったのかもしれない。
そこで新たにゲートを作成してみたら、刻印の大きさが直径15ミリと大きくなっていた。
レベルアップしたからだな。そろそろフロウに用意してもらったメダルからはみ出しそうだ。そうなったら収まるサイズで小さく作るか……。
新たに作成したゲートをコネクトで繋いでMPの様子をみる。
…………まだゆっくり回復してるな。
更にゲートを刻んだメダルを6枚作成しコネクトを追加してみると、さすがにMPが減り始めた。とりあえずはこのまま維持してみよう。
ゲートはその性質上ペアで作る事になるのだが、そのペアのうち最初に作ったゲートと次に作るゲートはきっちり紐付けされるため、他のゲートとの混線は起きない。
更に作成者の俺は複数のゲートが混じっていても容易に見分けられるので、ゲートを刻印したメダルを大量に持っていても混乱しなくて済むからありがたい。
さて、MPの確認が終わった所で顔を洗ってこよう。
洗面台でバシャバシャ顔を洗うと、残っていた眠気まできれいに洗い流された。タオルで水気を拭き、食事のためテーブルにつく。
「宝箱先生、朝飯をお願いします! できればさっぱりした和食がいいです!」
ぱん、ぱん!
柏手を打って拝むと、厳かに宝箱の蓋が開く。中を見ると、駄目もとで頼んだというのに和食が入っていた。
「宝箱先生、ありがとうございます!」
感動した俺は宝箱先生に礼を言い、いそいそと取り出してテーブルに並べていく。
たくあん、味噌汁、赤シソのおにぎり。うん、三品とも立派な和食だ。さっそく味噌汁から頂こう
うちは両親共に糖尿だったため、食事はまず味噌汁からと習慣づけられていた。血糖値の上がりかたが穏やかになり、また満腹感も得られやすいので、肥満になりにくいというメリットがあるらしい。
とはいえゆっくり味わって食さねば効果は薄いので、決して流し込むように飲んではいけない。
味噌汁には貝が入っている。見た感じアサリだろうか。軽く掻き回し、熱い味噌汁を吸う。よくダシが出ていて、味噌の香りも素晴らしい。
味噌を投入してから煮立たせてしまうと、味噌の風味が損なわれてしまう。だが、この味噌汁がそうでないのは明らかだ。
アサリの身をひとつ頂く。弾力のある歯ごたえと滲み出る旨味は、アサリがとても新鮮であることを教えてくれる。続けていくつか身を頂き、汁で流し込む。
味噌汁を半分ほど頂いたら、いよいよ赤シソのおにぎりだ。
三角というよりは丸に近いおにぎりに、赤いシソの葉と小さめな海苔が巻いてある。両手で手づかみにし、少しだけ温もりを持ったおにぎりにかぶりつく。ぶちりと赤シソの葉が噛みちぎられ、鼻から抜ける清々しい香りと共に飯粒と混ざる。
少し塩味が足りないが、そこはおにぎりの中に埋められた梅干しの出番だ。少しだけ梅干しをかじりとり、飯と合わせて咀嚼する。食欲を刺激する梅干しの酸味と塩味、そして飯の甘さとシソの風味が噛むほどに混じり合っていく。
ここですべてを食し切ってはいけない。たくあんを一切れ口にほうり込み、ポリポリと十分に咀嚼する。口の中がさっぱりとしたら、再びおにぎりを頂く。
さて次は海苔の巻いてある部分だ。海苔はおにぎりすべてを覆いはせず、カニのふんどしのような形で巻かれている。パリッとはしておらず、おにぎりの水気を吸ってしっとりと張り付いている感じだ。だがこのしっとりした感じがいい。
海苔の部分を頬張る。適度に水気を吸った海苔はたちまちに口中にて解け、柔らかな飯粒と踊るように混じりあう。たくあんとのコラボを十分に味わいながらおにぎりをすべて頂くと、残してあった味噌汁を飲み干してホッと息を吐く。
「宝箱先生、和食、大変おいしゅうございました!」
感謝を込めて頭を下げると、宝箱の蓋はゆっくりと上下を繰り返した。
「フロウ、おはよう」
朝食をとり身支度を整えた俺は、控室から出てコアフロアで待っていたフロウに挨拶する。
〈ラント、起きましたか〉
フロウはフェアリーモードのファントムバージョンで出迎えてくれた。妖精さん的なフロウは、身長より長い透明な翅をゆったりと靡かせて浮いている。
あれはもう翅というよりドレスの一部ような感じだな。フロウはフェアリーに寄せたと言っていたから、実際のフェアリーもあんな感じなのかもしれない。
「ああ、やっぱりいいな。フェアリーモードのフロウは」
〈ラントはこの形態を肯定的に捉らえてますね〉
「俺はその姿を見てるだけでテンションが上がるし、頑張ろうって気にもなるからな」
〈フェアリーモードの視覚的情報が、ラントの気力に良い影響を与えていると把握しました〉
よっし、『フロウの少女形態は俺の気力を上げる説』が、フロウ的にもしっかり立証されつつあるようだ。いずれは更なる高みを目指すため、新たな『説』を生み出さねばなるまい。
ふふ……そうだ、更なる高みへと。
俺はまだ、無限に続く紳士坂を登り始めたばかりだ。
「それで報告なんだけど、コネクトの熟練度が上がって今は六本を同時起動してるんだ。消費MPもだいぶ少なくなってきたし、この調子ならまだまだ少なくできると思う」
〈そうですね。ダンジョン外部での活動が更に有効になると期待できます〉
コネクトのMP消費をぐっと押さえ込めば、ダンジョン側と連絡を取りながらも魔力回復速度3倍の恩恵を十分に得られるようになる。そうなればMP切れの心配はほぼ無くなると見てもいいだろう。
〈ところで、昨晩は満足できましたか?〉
「えっ」
唐突に変わった話題に驚いていると、スーッとフロウが近くに寄ってくる。
〈昨晩は、いつもなら寝ている時間になっても私の頭を撫でていました。まだまだ撫で足りないと言っていましたが、満足はできましたか?〉
うっ……! 中毒性のあるフロウの頭がすぐ近くに……。
以前、ネコを飼っていた時のことを思い出す。寝ているネコの額を撫でるとゴロゴロとのどを鳴らすのだが、その様子が実に幸せそうで、こちらまで安らいだ気持ちになったものだ。
撫でるのをやめると、そのうち自然とのども鳴りやむ。
だが、そうなるとまたゴロゴロさせたくて、ついつい撫で続けてしまう。
思うに、あのネコの寝顔とのどのゴロゴロには中毒性があったようだ。撫で始めたらどっぷり沼にはまる、それがネコ撫で沼だ。
かたやフロウはどうだろうか。
撫でていると少しだけ目を細めてくるのだが、どうしてそうなるのか本当のところは分からない。
ただ、俺には聞こえる気がした。フロウの鳴らすのどの音が、ゴロゴロ、ゴロゴロと。
飼っていたネコのイメージと重なって、聞こえるはずもない音がフロウからも聞こえる。
撫でるのをやめるとピクッとフロウの目が開き、脳内に響くのどのゴロゴロもとまる。それが楽しくて、撫でてはやめ、撫でてはやめの無限ループにはまり込んでいた。
改めてフロウの頭を見る。
やはり危険だ……うっかり撫でてしまえばネコ撫で沼にはまる。絶対にだ。
「あ……ああ、おかげで満足できたよ」
〈それなら大丈夫そうですね。それがラントにとり意味のある行為なら、またいつでも撫でると良いでしょう〉
くっ、静まれ……静まれ俺の右手ッ!
「そ、そうだね。また撫でさせてもらおうかな」
左手で右手を抑える俺を、フロウがちょっと小首を傾げて見ている。
可愛い……この妖精さん可愛い過ぎる。
ふうう……深呼吸して心を落ち着かせよう。大丈夫、俺はまだまとも……俺はまだまとも……。
よし、俺はまだ、まともな紳士だ。
「撫でるのは次の機会にってことで、フロウに聞きたいことがあるんだ」
〈なんでしょう〉
「俺がダンジョンから出て外で活動すると、ここの守りが薄くなるだろ? だからもう一体フロアガーディアンを召喚したらどうかなって考えたんだけど……」
それをコストとルールが許すなら、だが。
〈フロアガーディアンの重複は認められませんが、臨時ということであれば考慮されます〉
「やっぱりそんなルールなんだ……。うーん……臨時だとどんな風になるんだろ?」
〈例えばガーゴイルのような存在です。ラントがここにいる間は動かぬ彫像として。いない間は動くモンスターとして存在します〉
なるほど、うまく出来てる。
「それは召喚できない?」
〈ガーゴイルのような特殊モンスターは召喚コストが高く、また、維持コストも多く必要とするため、低レベルダンジョンでの召喚は高いリスクを負います〉
「そうかー、そんなのじゃ召喚は無理か……」
今のところダンジョンに侵入者が現れる様子はないが、その危険性はずっと頭の中に引っ掛かっていた。特に自分のいないタイミングで来られてしまうと最悪だから、なんとかしておきたいのだが……。
「もっとコストの低い……ここでも余裕で雇えるゴブリン的な臨時モンスターっていないのかな?」
〈――検索――該当モンスターあり。クレイゴーレムがその条件に該当します〉
「おお、ゴーレム! なんか良さそうな気がする」
ゴーレムといえば力強く堅牢なイメージがある。
〈残念ながらクレイゴーレムは弱いモンスターです。その分低コストで召喚できますが、これをフロアガーディアンにしているダンジョンはありません〉
「そ、そっかあ……所詮は安かろう弱かろうなモンスターってことか、残念だなあ……。とはいえ決めるのはフロウだし、俺が考えるようなことでも無かったか」
〈いいえ、ラントの意見は参考になります。積極的にダンジョンマスターを目指すその姿勢にも、好感が持てると言えるでしょう〉
フロウの好感度が上がってる……?
こ、これはますます真剣に考えねばなるまい、この妖精さんの期待に応えるためにも。
「よっし、昨日やらなかった分、今日はトレーニングしまくるぞー! 3倍モードだ!」
〈トレーニングメニューを3倍ですか? さすがに無理があるのでは?〉
「チェイン・グラビティ解除! グラビティを1.08Gから1.24Gに変更! チェイン・グラビティ!」
グラビティにより掛かっていた負荷が3倍になる。
「3倍だぁあーーーッ!!」
〈――その3倍ですか〉
「さ……さて、軽く腕立て100回からいこうか。いっち、にい、さん……これならもっと負荷があっても大丈夫かな? フロウ、効率アップのために腰に乗ってくれないか?」
この流れるように自然な誘いは、実体化した妖精さんに腰に乗ってもらおうという恐るべき作戦である。
〈腰に乗られることで更なる負荷を得たいという要請ですね、少し待ちなさい〉
ま、まさか本当に……乗ってくれるのか!?
〈ゴブリンCを呼びました。ラントの腰に乗るよう指示してあります。私に乗られるよりゴブリンに乗られたほうが大きな負荷を得られます。効率よくトレーニングできるでしょう〉
「いやーーーッ!?」
〈今のラントなら耐えられる負荷のはずです。私は近くで見ています。気力で頑張りなさい〉
「ま、待って待ってフロウ! 確かあいつら、一枚の毛皮をただ腰に巻いてるだけじゃ……」
そう、裸の腰にぐるっと巻いただけ。
下から覗き込めば、人は……恐ろしき狂気の深淵を目の当たりにするだろう。
〈そうですね。それがゴブリンの通常スタイルです〉
コアフロアの扉が開いた。
その扉から、ゴブリンはニヤニヤ笑いながら現れた。黄ばんだ目を細め、ねっとりとした視線で俺を見るゴブリン。その腰の毛皮は、一部が不自然に盛り上がっている。
床に伏せた格好の俺を見ているゴブリンの口角は三日月のように吊り上がり、毛皮を巻いただけの腰がゆらゆらと振り動かされ始めた。
やがて腰の振りは激しさを増し、南国のカーニバルダンスのようにうち振られ、ビタンビタンと謎の音が聞こえ始める。
「ゴブリャァアーーーーーッ!!」
その激しい腰振りのまま、辛抱たまらんとばかりに急接近して来るゴブリン。
だから――。
――俺が全力でグラビティを撃ってしまったのは、仕方のないことだと思った。




