表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
6/8

【第六幕】祖父の名に誓って

※前話——エリンが本物の「二人の王の樽」を保護し、鑑定人としてアイラを指名しました。追放した令嬢を伴い、エドマンドは王都へ戻ります。舞台はエリンの使節団と、二つの樽が待つ広間へと移ります。

その樽を前に、アイラはこの樽に隠された物語を語ります。

 王都までの道を、私はエドマンド殿下の行列と共に下った。

 会話は、ほとんどなかった。あの伝令の口上から、殿下はずっと何かを考え込んでいる。結構なことだ。考えることは、いつだって、遅すぎるより早い方がいい。

 荷物は少ない。着替えと、利き酒の道具一式。それから――懐に、小さな硝子の瓶がひとつ。


 王宮の大広間には、すでに役者が揃っていた。

 エリンの使節団が、ずらりと居並ぶ。

 その前に、二つの樽が鎮座していた。

 ひとつは、遠い旅をしてきた樽。南の自由港でエリンが保護し、海と山を越えて運ばれてきた「疑惑の樽」。胴には、エリン王室の封印が巻かれている。

 もうひとつは――ローワンデンの樽。うちの谷から出て、最大の敬意と最低の評とを同じ晩に貰った、祖父の遺した四十年。

 同じ年に生まれた、別々の物語の二樽が、静かに並んでいた。


 使節団の先頭に立つ、大柄な男が進み出た。使節団長――駐アルビオン大使、ロナン・オブライエン閣下。谷に来たあの豪商、コナー・オブライエンの従兄その人だ。

「アイラ・グラント女史とお見受けする」

「お初にお目にかかります、閣下」

「よくお出でくださった。……まず、詫びねばならぬことがある」

 大使は、ローワンデンの樽に目をやった。

「あの晩、貴家の樽を『最低の酒』と評した。撤回はせぬ。あの場で、あの目的のために選ばれる酒としては、あれは最低であった。――だが、場が違えば」

 一拍おいて、大使は深く頭を垂れた。

「間違いなく、最高の酒であった。ローワンデンの職人たちに、最大の敬意を。非礼を、詫びる」

「……お顔をお上げくださいませ、閣下」

 私は、静かに応じた。

「評は、正しゅうございました。誓いの席に、誓いでない樽を出されれば――何であれ、それは侮辱にしかなりません。皆様のお怒りは、樽を愛する者として、痛いほど理解しております」

 樽に代わって、謝罪は確かに頂戴いたしました。そう付け加えると、大使の目元が、わずかに緩んだ。


 水を差したのは、王家の側だった。

「……納得がいかん」

 殿下だった。隣には、蒼白の顔に愛想笑いを貼りつけた、フェアウェザー所長。

「王立には、腕利きの職人が幾らでもおる。よりにもよって、罷免された者を鑑定人に指名とは、どういう了見か」

「無論、女史が現役最高の鑑定人であることは、我らの調べでも疑いようがない。……だが殿下、指名の理由は、それだけではござらん」

 大使は殿下をしばし眺め――それから、心底呆れたという顔をなさった。

「この国では、歴史というものは、あまり大切にされないようだ」

「……なに?」

「では伺うが。四十年前、二人の王が樽をお詰めになったあの場に、どの職人たちが立ち会ったか――貴国の宮廷で、覚えておいでの方は?」

 誰も、答えなかった。

「我が国は、覚えている。両国から集った職人、その一人ひとりの名を。その中に――北の谷のグラント、の名があったことも」

 殿下が、弾かれたように私を見た。

「祖父ですわ」

 私は、まっすぐに申し上げた。

「四十年前、和議の樽詰めの場に、職人の一人として立ち会いました。……そして祖父は、後々の検めのために、あの日の原酒をひと掬い、抜き取って持ち帰りましたの」

 私は懐から、小さな硝子瓶を取り出した。

 封蝋の下で、ほとんど透明な液体が、ゆらりと揺れる。

「樽に入る前の、あの日の原酒――四十年間、硝子の中で眠っていた子です。硝子の中では、熟成は進みませんから」


 ふ、と鼻で笑う音がした。フェアウェザー所長だった。

「……透明な水を振り回して、何の座興かね」

「そうだぞ」殿下も眉を寄せる。「熟成前の原酒があったとして――樽に入っておらぬのだろう。四十年眠った樽の酒と、比べようがあるまい」

「いいえ、殿下。比べられますの」

 私は、瓶を光にかざした。

「ウイスキーの味わいは、二つでできております。――もとから在る味わいと、熟成で得る味わい。樽が与えてくれるのは、後の方。前の方は蒸溜された日に決まって、四十年経っても、酒の芯に残り続けますの」

「もとから在る、味わい……?」

「ええ。そしてそれは、同じ蒸溜所でも、日ごとに違います。蒸溜された日の気温。湿度。その年の麦の出来と、品種。仕込みに使った、その日の水の質――それらのすべてが、酒の顔立ちを決めますから」

 ですが、と私は続けた。ここからは、蒸溜所に関わる職人たち以外は誰も知らない話だ。

「あの樽の原酒が生まれた四十年前――両国は、長く苦しい戦争の終わりにおりました。畑は荒れ、麦は痩せ、川は戦で汚れて。酒を仕込むには、最悪の条件しかございませんでした」

 広間が、静まり返る。

「それでも。戦争の終わりを祝うに足る、今できる最高の一樽を造ろうと――両国の蒸溜所から、一流の職人たちが集まりましたの。痩せた麦の生かし方を出し合い、水を清める工夫を持ち寄り、知恵と技のすべてを注いで。……そうして生まれたのが、あの樽たちだったのですわ」

 私は、王家の方々に向き直った。

「殿下。王立蒸溜所が今日誇っていらっしゃる味と技術は――あの日、両国の職人が悪条件の中から絞り出した工夫の、直系の子孫でございますのよ」

 殿下が、愕然と樽を見た。

 フェアウェザー所長の顔から、貼りつけた笑いが剥がれ落ちていた。


 さて。

 お喋りは、ここまで。ここからは、鑑定人の仕事である。

 私は封蝋を割り、瓶の原酒をひと口、舌に乗せた。

 ――四十年を経ても荒い。若い。棘だらけ。

 けれどその奥に、設計図がある。痩せた麦を煙で支えた、燻香の柱。清められた水の、硬く澄んだ背骨。二つの流派が組み合わさった、他のどこにもない骨格。

 次に、疑惑の樽。封印の脇から汲み筒を差し入れ、赤味がかった深い琥珀をひと口。

 四十年の衣を、そっとかき分ける。白檀。干し杏。古い書庫の翳り。その衣のすべての奥に――同じ、骨格。

 同じ煙の柱。同じ水の背骨。同じ、あの日の設計図。

 ……ああ。

 頬を、ひとすじ、涙が伝った。

 悪条件しかない中で、これほどの酒を。神がかりとしか言いようのない、先人たちの手腕。脳裏に浮かぶ、その職人たちの中に、若き日の祖父がいた。厳しくて、優しかった、あの手が私の頭を撫でていった気がする。

 ――お祖父様。わたくしは、まだまだですわね。もっと修行いたしますわ。

 私は涙を拭わぬまま顔を上げ、広間に向かって宣言した。


「――このふたつは、間違いなく同じ。本物であると。我が祖父の名に誓って、断言いたします」

お読みいただき、ありがとう存じます。

続きは明日の21時に樽出し予定ですわ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ