087:おかえり、吉丸
吉丸が本人である確証を得たところで、なんとか吉丸は大治城内に入る事ができた。
詳しい話をしたら長くなるので、秀蘭がやって来る上段の間に向かう廊下で、簡単に今日までの話をした。
怖い話を聞くように険しい顔をして利恒は聞いている。
そして上段の間に到着する。
「今、殿を呼んで参るから少し待っててくれ」
「あっ! できれば果耶さまも、一緒に呼んでは貰えないだろうか?」
「果耶さまも? それは構わないけど……まぁ分かった」
利恒が秀蘭を呼んでくるから待っててと言って、上段の間を出て行こうとした。
その利恒を吉丸は呼び止めた。
それは秀蘭を呼ぶと共に、果耶も呼んで来て貰えないかと頼んだのである。
利恒は「どうしてだろう」と思ったが、直ぐに忠信の事について話したいんだろうと思って了承した。
上段の間で吉丸は、ただ1人で秀蘭を待っている。
ここに来て自分だけが生き残ってしまった事で、秀蘭にどうやって申し開きをしようかと冷や汗が吹き出す。
さらに自分で言ったものの忠信の娘である果耶も、この場所にやってくる。どんな罵りを受けるのかと、吉丸は気が気ではなくなって来た。
別に切腹や首を刎ねられるのは怖く無い。
しかし秀蘭や果耶に、見損なわれ見限られ死んでいく事だけが、最も恐ろしい結果である。
そんな事を考えていると、口から心臓が飛び出すんじゃ無いかというほどに心拍数が上がっている。
すると襖が開く音がして、小姓が「仙道 秀蘭さまの御成である!」と聞こえて来た。
吉丸は急いで畳に手を着いて平伏する。
その畳に着いている両手が、小刻みに震えていた。
そんな吉丸を横目に秀蘭と果耶が、上段の間にゆっくりとゆっくりと上品に入って来た。
「犬、生きておったか」
「はは! 不肖、吉丸……恥ずかしながら、先の戦いで生き残ってしまいました! 本当は自害するつもりでしたが、殿と果耶さまにお伝えしなければいけない事があり、ここまで戻って参りました!」
上段の間に入って来た秀蘭は、厚畳があるところまで歩きながら横目で、平伏している吉丸を見る。
そして生きていた事を確認した。
何を言われるのか、とてつもなく怖い吉丸。自分が生きているのは恥ずかしい事は理解している旨を伝えてから、話さなければいけない事があるから帰って来たと話す。
すると秀蘭は厚畳に座り「ほぉ」と相槌を打った。
秀蘭の声は恐ろしいほどに低かった。これは怒り心頭であると吉丸は、さらに震え上がる。
「そんな事は、どうだって良い……そんな事よりも、先に言う事があるんじゃないのか?」
「は はい? 先に言う事……あっ! 忠信さまを、お守りする事ができずに申し訳ございませぬ!」
「違う! そんな言葉を聞きたいのでは無い!」
言うべき事があるだろうと言われたので、忠信を守れなかった事を吉丸は謝罪した。
しかしそれは全くもって秀蘭が求めた言葉では無い。
これには吉丸も意味が分からず、困惑し「え? え?」という風に言葉を出せなくなる。
そんな吉丸に、秀蘭は呆れながら言う。
「ただいまだろ」
「は? え? な なんと?」
「帰って来たならば、何よりも先にただいまというべきじゃ無いか?」
「は はは! ただいま帰りました!」
「うむ! 良くぞ、生きて帰って来たな」
秀蘭が求めていたのは、どんな事よりも吉丸の「ただいま」という言葉だったのである。
まさかそんな言葉が秀蘭から出るとは思わず、吉丸は理解できずにフリーズした。その姿を見た果耶は、手で口元を隠しながらフフッと笑う。
ようやく動き出した吉丸は、深々と頭を下げながら「ただいま」を言って秀蘭を満足させた。
少し前までムスッとしていたが、今はぎこちない笑みを溢しながら吉丸を見ている。
「それにしても本当に、良く生きていたな」
「はい。忠信さまに逃して頂けなければ、今ここにいないと思いまする。あとは倒れていたところが、たまたま医者の家だったというのも大きいかと」
「犬、お前はどうやら天に好かれているみたいだな」
「いえいえ! 天に好かれているのでしたら、秀蘭さまの方にございます。秀蘭さまの話を聞きましたが、あれだけの乱戦を生き抜いておられるのですから」
ただいまとおかえりの儀式が終わったところで、秀蘭は良く生きていたなと吉丸に言う。
この言葉が身に余る光栄と思った吉丸は、自分なんて秀蘭の足元にも及ばないと謙遜した。
そして秀蘭は良い感じで雑談したところで本題に入る。
「俺に伝えなければいけない事とはなんだ?」
「は! 忠信さまが、お討死いたす前に伝えて欲しい事があると言いつかって参りました」
「ほぉ親父殿の最後の言葉って事か。あの人は、なんて言っていた?」
吉丸が最初に言っていた、話さなければいけない事とは何かと秀蘭は真剣な表情をして聞いた。
忠信からの言葉を伝えに来たと答えた。
すると「ほぉ」と言葉を溢してから、一体なにを言い残したのかと秀蘭は興味を持つ。
ゴホンッと咳払いをしてから話し始める。
「私は戦の前夜に、忠信さまから殿と果耶さまへの言伝を承っておりました」
「ほぉ犬に、親父殿が」
そう吉丸は決戦前夜に、忠信から呼ばれて部屋に足を運んでいたのである。
そこで秀蘭と果耶への言伝を聞いていた。
まさか忠信が吉丸に、そんな事をするとは思わず、秀蘭は吹き出して面白がった。
まずは秀蘭について。
「婿殿は新進気鋭な武士であり、少々奇抜である為、周りからは冷たい視線を向けられるであろう。しかしそんな目は無視して己の思うが道を進め、さすれば自ずと結果も着いてくるであろう。なにせ世を変える為には、新たな血が無ければならないからだ……と、仰っておりました」
「ははは! さすがは親父殿だ、自分の事と重ねてお話になったのであろうな。大変ありがたい言葉ではあるが……言われなくても己の道を進むつもりだ。だが、まぁ親父殿には果耶を貰った恩がある。大いなる感謝を示そう」
忠信が秀蘭に送った言葉とは、商人から国代にまで成り上がった自分と重ね合わせた言葉だった。
今も周りからは田舎者や大馬鹿者であると秀蘭は罵られているが、その道を疑わずに進め。そうすればきっと願いが叶うと励ましたのである。
言葉を聞いた秀蘭は、忠信らしいと手を叩いて笑う。
もちろん秀蘭は周りになんて言われようとも、自分の道を他者に決められるような事は無いと、忠信の言葉は大きなお世話であるかのように言った。
しかし最後に大事な娘である果耶を貰った事を上げ、この事は何よりも返し難い恩であると述べた。
そのまま深々と頭を下げた。
秀蘭の姿を見た果耶は「ふふ…」と笑ってから、スッと吉丸の方に視線を向け「私には、なんと?」と聞く。
「それが……特に無いと」
「まぁ!? 殿にはあって、実の娘の私には無いと!?」
どんな事を言ってくれたのかと、果耶は楽しみにワクワクしながら吉丸の声を傾聴しようとした。
しかし吉丸は、モジモジして言いづらそうにしている。
覚悟を決めて忠信は、果耶に対して「特になし」と言った事を伝えるのである。
すると果耶は立ち上がって、娘に何もなしという事が信じられず、笑えて来た。
そんな果耶に吉丸は「続きがあります!」と言う。




