072:少しは晴れた
本陣でドサッと構えている奏一と敏三のところに、伝令兵が駆け込んでくるのである。
伝令兵の額から汗を流し、目を見開いた表情から奏一は頭を抱えて嫌な予感がする。
本当なら聞きたくは無い。聞きたくは無いが……聞かないわけにはいかない。その為、奏一は呆れた様子で「どうした?」と伝令兵に声をかけた。
「は! 敵左翼が戦線を突破寸前との事にございます!」
「はぁ…もうか? こうなったら、後ろに下がる他あるまい。元々この戦いは、戦っては後ろに下がってを続ける作戦だ」
もう押し込まれた上に突破されそうになっているのかと奏一は、頭を抱えて後退を指示。
元々の狙いはスカッと1発で勝つ事ではなく、戦って負けそうになったら後ろに下がり、最終的には大治城で籠城するというのが英明軍の作戦である。
「全軍に後退すると伝えろ。総大将である俺が討たれなければ、この戦いは負けにはならん」
「奏一殿、あの家貴の突破力は計り知れませぬぞ? あまり甘く見ない方が……」
「いや! 本陣の守備についている四天王が居れば、そう簡単に突破する事は出来まい!」
全軍に後退の命令を出した奏一は立ち上がって、後退の準備を始めようとしている。
しかし心配性の敏三は、家貴の突破力を侮らない方が良いのでは無いかと口にした。そんな敏三の考えを、奏一は俊膳四天王が居れば問題ないと一蹴した。
だが問題ないと言った瞬間、伝令兵が駆け込んで「報告いたします!」とやって来る。
その表情は前者の伝令兵と同じだ。
「本陣右前方守備隊が戦線を離脱しました!」
「な なんだと!? どういう事だ! 右前方と言えば太田原殿の……どうなっている!」
「は! それが…太田原軍の横から数30から40の歩兵小隊に奇襲を受けた模様。その奇襲によって、太田原さまは討死なされました! そして奇襲を行なった歩兵たちの背を追って、太田原軍の残党が戦線を離脱!」
「な なんという事だ……」
本陣右前方守備隊が戦線を離脱した事を聞いた奏一は、驚きのあまりに床几から立ち上がる。
そして太田原が歩兵に討ち取られたのを聞いて、ドサッと自由落下のように床几に座った。そのまま頭を抱えて分かりやすく項垂れた。
「もう良い! 右後方の金子を前に出せ! その隙に本陣を後退させる。敏三殿、貴殿に殿を任せたい!」
「お 俺ですか!? い いやぁ、俺には荷が……」
「いいや! 副将である貴殿が、自ら率いる事で仲間の士気も上がろう。なにより家貴軍の進撃を止められるのは、敏三殿を除いて他にはおらん!」
太田原軍の代わりに、本陣右後方守備隊の金子を代わりに前に出るよう指示を出した。
そして続けて殿の指揮官として、副将である敏三を奏一は指名する。本当ならば奏一と敏三は同格なはずではあるが、総大将と副将に区別してしまったが為に、敏三は断る事ができずに引き受ける事となった。
そうと決まれば直ぐに撤退するので、敏三は殿を務める為の準備を始める。本陣から出て行ったところで、奏一の側近が「本当に良かったのですか?」と聞きに来る。
「総大将である俺が死ねば、この戦いは根底から崩れる。それに敏三と俺を比べて、どちらの方が生き残るのに相応しいかは火を見るよりも明らか……ここは敏三殿に、その身を持って助けて頂こうでは無いか」
やはり奏一は、ただ己の命を最優先に考えていた。
まぁ確かに総大将である人間としての考えならば、ある程度は理解できるところもある。それでも奏一の側近ですら「マジか、コイツ…」みたいな顔をした。
とにかく先頭を四天王の人間たちに、殿を奏一に任せて英明軍は全軍後退を開始する。
後退すれば安心というわけでは無い。
めちゃくちゃ恐ろしい速度と形相とパワーで、背後から家貴たちが追って来ている。まさしく捕まったら終わりの鬼ごっこのようである。
その恐怖心を一身に敏三が背負っている。
「真っ正面から戦おうとするな! とにかく馬の足を削って、家貴軍の攻撃の手を鈍らせろ!」
真っ正面から戦って勝ち目は無いと敏三は理解しているので、馬の足を削って攻撃の手を鈍らせるように指示。
本当に少しでも気を抜けば命がなくなるほどの戦いで、少しの選択ミスでも命取りになる。あまりにもハラハラドキドキして、敏三の額には体力の汗が見える。
「とにかく切り離せたら、すぐさま全力全身で逃げる!」
この状況をとにかく脱して、逃げる事だけに集中したいと心の底で強く敏三は願っている。
しかし逃げる事に集中したいと思っているところに、逃げている前方の方から「報告!」と叫び声が聞こえた。どうしたのかと思って正面に目を向ける。
伝令兵が流れに逆らうようにやって来た。
「報告いたします! 前方、左側から敵の急襲を受けました! それにより後方軍の退路が絶たれました!」
「な なんだと!? どこの誰だ! こんなところに伏兵を忍ばせていたと言うのか……」
「いえ! 率いている敵将は、敵右翼に布陣していた由井 積春にございます!」
「どうしてこんなところに良元残党軍がいる!? アイツらは右に配置されていたはず……こんなところにいるはずが無いでは無いか!」
「それが騎馬隊だけを率いて回り道をして来た模様」
吉本残党軍である由井が、歩兵を切り離して騎馬隊だけで全力疾走して来たらしい。
その行動によって英明軍は前と後ろの半分に分断。
敏三たちの退路が絶たれてしまったのである。
これに敏三は「クソ!」と叫んで、さっきまでは冷静さを保っていたが、ここで感情を露わにしてしまった。
もはや敏三が率いる後方軍に打てる手はない。
「こうなったならば、最後だけでも後世に名を残すとしようでは無いか……家貴を道連れにしてやる!」
もう勝ち目がないと悟った敏三は、ここで死ぬくらいならば最後の最後に名を残してやろうと考えた。その名を残す事とは、名が通っている家貴を道連れにする事だ。
死ぬ覚悟を決めて馬の向きを変える。
家貴がいるところは、少し離れたところでも分かる。それは激しい戦い振りゆえに砂煙が立っているからだ。
目に捉えた敏三は「そこか、家貴!」と狙いを定めて、家貴のところに突撃を始めようとした。
だが突撃を始めようとしたところで、敏三からしたら後方で軍全体からしたら前方。その方向から「うぉおおおおお!!!!!」という叫び声が聞こえた。
叫び声に反応するように、敏三は振り向くのである。
するとそこには鬼の形相で、敏三に向かっている由井が襲い掛かろうとしていた。
これは家貴どころでは無いと、敏三は向きを変えようと馬の手綱を引っ張った。
「奸賊、敏三っ! 由井が討ち取ったりぃ!!!」
向きを変える暇もなく、敏三の首は由井によって刎ねられたのである。
メンターを失った瞬間、敵殿は完全に戦意を喪失した。
由井たちは全員を殺したいところだったが、それをやってしまったら武士道に反するとして我慢。敵軍に対し「捕虜として捕らえよ!」と生きて捕らえる事を指示する。
そしてこの由井による敏三の討ち取りは、秀蘭だけではなく全員の耳に届く事となる。




