061:命の天秤
良元が殺された日、吉丸は伝導奉行として上前津城の城下へと足を運んでいた。他国から死に物狂いでやって来た伝令兵を、労う為の宿屋や食事処を新たに契約する為だ。
この日は普段よりも上手く仕事ができていて、これなら早く帰れそうかと思っていた時だった。
城下町を一騎の騎馬が駆け抜けていく。その上に乗っている兵は、かなり焦っているようで血相が変わっていた。
騎兵の表情を見た吉丸は「何か大変な事が……」と悟って城へと急いで戻るのである。
するとやはり城もザワザワしており、これは何かあった事は吉丸の中で確証に変わった。
ちょうど目の前に小姓筆頭で、最近になって大佐に昇格した丹瀬 長廉がいた。これはちょうど良いと、腰を低くしながら「丹瀬さま」と声をかける。
「何かあったのでしょうか?」
「大事件だ! 西愛河を揺るがすほどのな。いや……秀蘭さまにとっては、吉報とも言えよう!」
「な 何があったんですか!?」
「良元さまが、英明らに討たれた! そして嫡男・義央さまが、こちらに向かっておられる!」
「まさかそんな事が起きたなんて……英明、そこまで愚かだったとは」
英明らが良元を襲った事を知った吉丸は、まさかそこまで英明が頭悪いとは思っても無かった。
この愛河にとっての大事件は、秀蘭からしたら好機以外の何ものでも無いのである。
そして吉丸が知った頃、秀蘭も話を聞いていた。
「それは本当か? 英明が良元を討ったのか?」
「は! 事実にございます!」
「そうか、良元が死んだか。それにしても俊膳は、何をしていたのだ?」
「それが決行された時、俊膳は奏一と敏三を引き連れて長信国境に遠征していたとの事にございます」
良元が英明に殺されたと聞いて、皆んなと同じように好機を迎えたと思っていた。
それにしてもこんな蛮行を、よくも俊膳が許したものだと考えた。しかしそれが俊膳の意向とは異なる事を知った秀蘭は、辻褄が合って納得する。
「それで義央さまは、ここに来られるのか?」
「はい! 今は追討軍が来るかもしれないからと、身を隠している由にございます。明日の早朝には、上前津城へと到着する予定にございまする」
「義央さまだけは殺させるわけにはいかない。軍を起こす準備をしろ、こっちから動くが俊膳や英明らの動きにも注視しておけ。あの男は、タダで転ぶ男では無いからな」
義央は行動を読まれて敵軍に捕まる事を恐れ、上前津城に行くのを1日遅らせる事にした。
予定では到着するのが明日の早朝。
それまでに義央が殺されてしまっては困るので、伝令兵に動きがバレない程度の援軍を向かわせるように指示。
上前津城に義央が到着してから俊膳の動きを観察し、それから動き出せるように軍を用意しろとも指示した。こっちから先行して動くのも良いが、今回の戦いでは完膚なきまでに俊膳軍を叩きのめす必要がある。
これは一刻も争う状況だから急ぐよう大盛を急かし、大盛は焦って部屋の外に出ていく。
「流れが変わった……向かい風が、追い風に変わる!」
部屋に誰もいなくなったところで、秀蘭は自分に今まで向かい風が吹いていた事を思い出す。しかしたった今、この風が追い風へと変わった事を確信する。
1人の部屋で秀蘭は鬼のような表情で笑っている。
するとそこに果耶が入って来て「あら、珍しい」と秀蘭が笑っている事を面白がる。見られてしまった秀蘭は、ゴホンッと咳払いをしてから、スッと厚畳に座る。
「どうしてそんなに笑われていたのですか? あんな笑顔を見るのは久しぶりです」
「俺だって人間だ、こんな風に笑う事はある。ただ……今回だけは違うな。向かい風だったのが、ここに来て追い風へと変わって来た! 時代が変わる事になるぞ!」
「そうですか。貴方の時代が来ようが来まいが、私は……貴方さまに着いていきまする」
「ふっ! 俺に着いて来い。そうすれば新しい日ノ本を見せてやる!」
今まで向かい風ばかりで、これからどうなるのかとプレッシャーが秀蘭の背中にのしかかっていた。
しかし果耶の言葉を聞いた秀蘭は、自分に着いてくるのならば最高に楽しく面白い世の中を見せてやると、笑みを浮かべながら果耶に言う。
この言葉を聞いた果耶も優しく微笑み「えぇ」と、一言だけ答えるのである。
秀蘭は全家臣と家来たちに、英明軍との戦いに向けて準備するように指示を出した。
吉丸も足軽5人組頭として、配下たちに準備を促す。
やはり武士階級である康人は準備に慣れている。初陣を果たす田中兄弟たちの手伝いをしてくれた。
これは良い人を部下にさせてくれたと吉丸は感じる。
「康人殿は、緊張していますか? いえ……武士階級の人にする質問ではありませんでした。申し訳ありませぬ」
「いや、何も問題ありませんよ。そうですね、確かにそれなりの戦場を渡って来ました……でも緊張しなかった時はありませんね。いつでも死ぬかもしれないという恐怖心と共に、戦場に立って戦ってます」
「康人殿の武者でも死ぬかもしれないと思いますか。まぁ確かに死なないと思っている方が危険か」
「その通りです、死ぬかもしれないという恐怖心を持っていない人間は……怪物か、自惚れです。いずれは誰かに討伐される事になるでしょう」
吉丸は準備している康人に、よく考えず戦場に立った時に恐怖心はあるかと質問してしまった。康人の答えが返って来たところで、恐怖心を感じない人間なんていないかと質問の無意味さを理解する。
しかし康人は死に対する恐怖を感じない人間もいると、少し遠くを見るように言った。それは人間の心を持たない怪物か、それとも自分は死なないと思っている勘違い野郎であると康人は語るのである。
それを聞いた吉丸は「ほぉ……」と言葉を詰まらせ、そういう事も言うのかと康人を見るのだ。
「逆に質問しますけど、組長は手が血に濡れていくのが怖くなる事はありませんか?」
「え? 手が血に濡れていく……」
「いや、私は不意に思う事があるんですよ。この人にも家族がいて、好きな人がいる。それは私に家族がいて、婚約者がいるのと同じだと……そう思うと、たまに手が震えてくる時があるんです」
康人から凄まじい質問が、鬼の豪速球で飛んで来た。
いきなりの厳つい質問に吉丸は準備している手を止め、視線を下から康人の方にバッと向ける。
自分の方に視線が向いたと分かった康人は、自分がたまに思う戦場における恐怖心について語ってくれた。この康人の考えこそが、普通の人間の考え方なのだろう。
吉丸は難しい質問に、なんとも言えない苦笑いを浮かべながら頭をポリポリと掻く。
「それで言うなら、きっと俺は怪物なんだと思います」
「ん? どういう事ですか?」
「確かに戦場で敵兵を殺す時は、馬鹿ながら考える事もあります……ですけど、もし100人の命を1人の命で助けられるのなら、俺は躊躇せずに1人を切り捨てられます」
康人の質問に吉丸は、自分が怪物であると理解した。
どうしてなのか。それは自分の夢や人の為ならば、他の人の命を天秤にかけて躊躇せずに切り捨てられるからだ。
この吉丸の答えに、康人は意外だという顔をした。
「とにかく命懸けの戦場で、相手を殺して良いのかなんて考えてたら、そん時は自分がやられますよ」
「確かに組長の言う通りです。変な質問をしてしまって申し訳ありません」
「いやいや! 康人殿と談義ができて良かったです!」
重っ苦しい空気になると察した吉丸は、満面の笑みで今の話が嘘じゃないかと思うくらいに話を切り替えた。
気を利かせて康人も話に乗った。




