058:潮目が変わる
大治城の守備が固い。冬を迎える前に陥落させるのは難しいと踏んだ秀蘭は、これ以上のマイナスになる前に早急に撤退という選択をとった。
泥沼になろうが落とそうと思えば秀蘭ならば落とせる。
しかしそれでは戦いが終わった後に、何かあった場合に身動きが取れなくなってしまう。その為の撤退である。
これに大治軍は助けられた。
「まさか攻め立てず、このまま立ち去るとは……秀蘭、何を考えているのだ」
「妥当な考えだと思いまする。この城の守りならば、そう簡単に落とせるものではございませぬ。兵糧や冬に近いというのを考えれば、ここで引くのが得策にございまする」
「俊膳も、そう考えているのか。さすがは俊膳だ」
撤退していく秀蘭軍の背中を、大治城の天守から英明と俊膳は見つめている。
2人とも秀蘭を感情的で大馬鹿者であると思っていたので、ここは攻め込んで来ると考えていた。しかし蓋を開けてみたら、損得を見積もって冷静に判断を下す。
この判断には驚きを隠せずにいた。秀蘭への考えを改めなければいけないと2人は思う。
「俊膳、この前の刺客の情報が漏れていた件。どこの誰が犯人だったのか、分かっているのか?」
「いえ、まだ断定できるほどの決定的な情報は集まっておりませぬ……ですが、おおよその見当はついております」
「ほぉ〜、それは誰だ?」
「国主……良元さまにございまする」
英明は俊膳に、刺客を放つという情報を流した人間は分かっているのかと聞いた。
しかしまだ断定するだけの情報を掴めていなかった。
それでも見当はついている。自分たちの事を良く思っていない西愛河の国主・野間口 良元である。
その言葉に英明は大して驚く事なく「ふぅ〜ん」という感じで、そんなものだろうと考えていたからだ。
「ならば良元さまの首を取るか……」
「な!? 英明さま、それはさすがに早すぎまする。勢力を持っていないにしても、ここで良元さまを失えば……その瞬間から、我らは賊軍になりまする。そうなれば秀蘭軍は大義名分を持って襲いかかって来ます、それを追い返すだけの力はありませぬ」
「分かっている、ただ冗談が言いたかっただけだ」
こうなったら国主・良元を殺し、自分が権力を握ってやろうかと口走ったのである。さすがに今の段階で、良元を排除したら賊軍となり、秀蘭が大軍を連れて襲いかかってくると、考えを改めるように言う。
冗談を言いたかっただけだと英明は笑いながら、その場を後にするのである。
この言葉に俊膳は歯茎を出しながら動揺する。英明の実権すらも握っていた俊膳だが、ここ最近になって英明が我を出すようになって来た事に焦りを感じる。
「ここら辺で主人を変えた方が良いか? いや、まだそれは時期尚早か……」
このまま英明を傀儡として良いものかと、俊膳は考えを改めようかと思った。
しかしまだ英明には利用価値がある。
こうなったら、まだ英明と良元に縋りついた方が良いかと俊膳は己を律して深呼吸をする。
改めて作戦を考え直さなければいけないと天を仰ぐ。
「全く成り上がるというのも簡単じゃないな」
俊膳は自分の計算通りに、英明らが動かない事に成り上がる為の謀略というのは難しいと感じざるを得ない。
この俊膳が暗躍し始めたのは、士官して5年目の事だ。
足軽の子供として生まれた俊膳は、父の香膳と共に戦場へと何度も赴いていたのである。
それなりに才能があり、戦場で多くの武功を挙げた。
しかし全ての潮目が変わる出来事が起きる。
今から15年前に英明の父。つまり先代の大治仙道家の当主である仙道 英正が長信に侵攻した。
だが英正軍は目を覆いたくなるほどの大敗。
多くの捕虜が捕まってしまった。
長信軍は捕虜を返還して欲しかったら、英正ら軍の幹部連中が投降するように求めた。
しかし英正が答える事は無かった。それにより500人の捕虜は斬首される。その中に俊膳の父・香膳もいた。
「く クソぉ! どうして英正さまは、我ら民をお見捨てになったのか……」
この悲劇に俊膳は、権力を持たない人間は権力者の我儘によって見捨てられると思った。
絶対に2度と自分が、こんな思いをしないように権力者へと成り上がってやろうと決意する。その結果が、今の俊膳というわけである。
ここに来るまで、いろんな不幸があった。だが全ては成り上がる為であると割り切って走り続けたのだ。
それでも俊膳の命運は尽きようとしていた。
この年、秀蘭たちの間で目立った動きは無かった。
強いて言えば隣国・駿静の国主・祥鳳の娘が成人した事で正式に東桜と長信と駿静の間で三国同盟が成立する。
遂に祥鳳が西愛河攻略に向けての下準備が始まる。
そして年を越し和帝暦18年(2178年)を迎えた。
「遂に西愛河を統一する時が来た! 直ちに兵を集めよ、憎き秀蘭の首を取る!」
「ほ 報告いたします!」
「なんだ! 大事な軍議中であるぞ!」
「そ それが……」
祥鳳が出陣に向けた軍議を開いている時に、1人の伝令兵が駆け込んで来るのである。
直ぐに中林家の重臣・岡野 太元が、大切な軍議中だから出ていくように促す。
しかしそれを祥鳳が「まぁ良い、申せ」と許可した。
許された伝令兵は「は!」と言ってから深々と頭を下げてから報告を行なう。
「軍総司令官……雪庭さまが今し方、息を引き取ったと」
『な なんだと!?』
伝令兵の口から飛び出したのは、軍の総指揮を任されている軍師・雪庭総司令官が亡くなったのである。
実は数日前から体調が悪いと休んでいた。本人は風邪を引いてしまっただけであると言っていたが、実際は大病に体が蝕まれていたのだ。
この報告を受けた祥鳳は、勢いよく立ち上がったが、直ぐに力無くドサッと床几に座り込む。
そのまま顔を地面の方に向けて脱力した。
「と 殿、どういたしまする? このまま雪庭殿の死を隠したまま出陣するのも手だと思いますが……」
「ダメだ。今回の戦いに関して、全てを雪庭に任せていたのだ……俺たちだけでは上手くは回らぬ」
「し しかし! 我らの大軍を持ってすれば、打ち取れるのは必定にございまするぞ!」
「秀蘭軍にだけならば勝てるかも知れぬ」
「な!? ま まさか!」
総司令を失ったとは言えど、祥鳳軍は大軍である。それも秀蘭軍を大いに上回るほどの。
しかし祥鳳が危惧しているのは、その背後にいる秀蘭の義理の父で美飛の国代・忠信である。
さすがに忠信軍を相手にするとなると、普通の策だけでは太刀打ちする事は難しい。そうなれば雪庭の力は必要だったのである。
こうなってしまったら、取る手は1つしかない。
「延期だ……今回の戦いは延期する! そして雪庭を厚く葬ってから、改めて西愛河攻略の作戦を立てる!」
『は!!!』
祥鳳は泣く泣く西愛河攻略は延期された。
この雪庭の死によって、中林家の命運が尽き始めようとしているのだった。
そして2178年4月。
雪庭死去と同時期に、西愛河で大事件が起きた。
それは英明の西愛河国主・野間口 良元襲撃である。
襲撃を受けた良元は勝ち目なしとして、自ら腹を切り自害。英明らに傀儡とされた人生が幕を下ろす。
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